[※歴代自民党内閣は「国民のために働」いていなかった!? 縁故主義・政権の私物化もアベ様から《継承》 (日刊ゲンダイ 2020年10月14日)↑]
(2024年07月05日[金])
金(カネ)色の五つの輪に批判の目を向けるきっかけを与えてくれた谷口源太郎さん。6月22日に亡くなったそうです。ご冥福をお祈りいたします。
岸本拓也記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/【悼む】政治とカネにまみれた五輪に警鐘を鳴らし続けた谷口源太郎さんの「遺言」 我々が受け継ぐべき精神は】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/337770?rct=tokuhou)。《スポーツジャーナリストの谷口源太郎さんがこの世を去った。享年86。商業主義に染まった五輪のあり方に警鐘を鳴らし続けた。「こちら特報部」にも幾度となく登場した反骨のジャーナリストから引き継ぐべき思いとは。ゆかりの人々に聞いた。(岸本拓也)》、《「文部科学相だろうが、JOC会長だろうが、どんな権威にも事実を取材して、真っ正面から正論で批判した。時の権力にとっては一番痛い。源さんのような存在を最後にしてはいけない」》。
『●「精神疾患と〝薬漬け〟」
『週刊金曜日』(2014年2月21日号、980号)について』
「谷口源太郎さん【やせ細りきったオリンピックの理念
ショービジネスと国家威信の祭典に】、「NHKまでもが…
民放もオリンピック翼賛報道に徹することなどによって、
ナショナリズムを煽りに煽っているところだ」。東京はヤクザまで
(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/3be56253bf645f165d92b336bd2b3c64)」
『●穢れた金(カネ)色の五つの輪: 命を賭してボランティアしても
彼/彼女らのオカネ儲けに利用されるだけ』
《スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏がこう言う。」
「大会組織委の森喜朗会長が東京五輪で目指しているのは、
オールジャパン体制ですし、スポーツ精神を滅私奉公だと言って
はばかりません。こうした言動は、まさに国家総動員を象徴している
と思います。政府がこのような精神に基づいて東京五輪の開催へと
突き進んでいるので、ますます国家主義的な体制が強化されていく
のではないでしょうか。放映権料を払ったマスコミなどは、
五輪翼賛報道へと突っ走っています。五輪に反対すると『非国民だ!』
と言われかねない風潮が醸成されていると思います」》
『●#粉飾された美しい国…《政治の目標に数字を合わせていけば
政権の都合のいい数字になっていくのは当然》』
《五輪に詳しいスポーツライターの谷口源太郎氏がこう言う。
「今回の件では全国紙からは真実を追及しようという姿勢が
伝わってこない。どこか手加減している印象が拭えない。
それは東京五輪のスポンサーになっていることと決して
無関係ではないでしょう。メディア本来の役割を放棄し、
国民の注目度が高い五輪でとにかく部数を拡張し、
利益につなげようとする思惑が透けて見える」》
『●第2波が高止まりのまま、無謀なGoTo強行。そして、いま、第3波の
ほんの入り口かもしれない…懸念通りの感染拡大。市中感染拡大』
《谷口源太郎氏がこう言う。…「国内主要メディアは
大会スポンサーになっていますから、厳しい報道を控えるのは
当然です。批判的な記事を幹部に差し止められた記者がいた
ことも明らかになっています。欧州を中心としたコロナの状況を
見れば、開催が難しいのは明らか。海外メディアは
『五輪より人命』という当たり前の感覚で報じていますが、
国内メディアにはそれができないのです。“お祭り”を
持ち上げてばかりでは、真実は伝わりません」…国民が目を
向ける真実にメディアがソッポとは、異常事態だ。》
『●意図的に《検査件数が大きく減っている…東京都は都内の保健所
に対し、「積極的疫学調査」の対象を絞るよう、通知を出している》』
『●森喜朗氏も東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会
会長を〝解任された〟し、金(カネ)色の五つの輪なんて要らない』
『●金(カネ)色の五つの輪の中止を! …《フタを開ければ、おぞましい
ほどカネにまみれているのが五輪の実態なのだ》(金子勝さん)』
『●ボイコフ教授《新型コロナウイルスのパンデミックのさなか、聖火リレー
は五輪の虚飾のため、公衆衛生を犠牲にする危険を冒している》』
『●《五輪利権をむさぼり尽くさずにはいられない豚の卑しさと…中国に
「証し」とやらのマウントを取られたくないド腐れ猿の哀れすぎる性》』
『●《東京五輪、もはや「詰んだ」状況ではないのか》、メディアは分かって
いるのに書けない…だって、金(カネ)色の五つの輪のスポンサー』
『●馳浩《知事は元文科大臣であり、それ以前に元高校教諭である。恥ずかしく
ないのか。子供たちへの悪影響は計り知れない》(小沢一郎衆院議員)』
《スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏も馳氏の発言を
「政府主導の招致活動で、いろんなことが行われた可能性を
示唆している」と注目する。谷口氏は、16年の五輪招致失敗後、
招致活動の主導が東京都や招致委から政府に変わったとみている。
当時首相だった安倍氏と森氏がその中心で、馳氏は森氏の誘いで
政界入りしたことはよく知られている。「延期を決めたバッハ会長
との電話会談の席に2人が出席し、実質的に安倍氏が仕切った
ことは象徴的だった。森—安倍ラインで招致を進め、馳氏はその
一翼を担ったと言える。官房機密費が使われたのであれば、
政府主導の何よりの証拠だ」
高価なアルバムを渡すことももちろん問題だが、谷口氏は
あくまで表面的なことに過ぎないと説く。
「アルバムが機密費で作られたのであれば、馳氏の個人プレー
であるわけがない。政府が東京五輪の招致で何を行ったのか、
馳氏の背景に何があったのかを追及していく必要がある。その
意味で、馳氏の発言やブログは大事な手掛かりを提供してくれた」》
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/337770?rct=tokuhou】
こちら特報部
【悼む】政治とカネにまみれた五輪に警鐘を鳴らし続けた谷口源太郎さんの「遺言」 我々が受け継ぐべき精神は
2024年7月4日 12時00分
スポーツジャーナリストの谷口源太郎さんがこの世を去った。享年86。商業主義に染まった五輪のあり方に警鐘を鳴らし続けた。「こちら特報部」にも幾度となく登場した反骨のジャーナリストから引き継ぐべき思いとは。ゆかりの人々に聞いた。(岸本拓也)
◆死の2カ月前の取材でも、熱く
「このままの五輪を続けていくと、スポーツは死ぬ。五輪に代わる新たな国際スポーツイベントをつくり直したほうがいい」
6月22日に亡くなった谷口さん。「こちら特報部」が最後に取材したのは、それからおよそ2カ月前の4月26日だった。開幕が迫るパリ五輪の問題点について西田直晃記者が電話で尋ねると、熱っぽい語り口で商業主義にひた走る五輪を強く批判した。
(五輪の政治利用について講演した、在りし日の
谷口源太郎さん=2017年、石川県七尾市で)
1980年代以降、選手を後回しにして商業主義に傾く現代五輪を問題視してきた谷口さん。特報部の記者はその主張に何度も耳を傾けた。目の前の事象にとらわれず、歴史的な流れを踏まえた背景を記者に説いた。電話取材が1時間を超えることもざらだった。
◆長野五輪招致を巡る利権疑惑を追及、今はパリ五輪にもメス
谷口さんは1938年、鳥取市生まれ。早大中退後、講談社や文芸春秋の週刊誌記者を経て、1985年にフリーとして独立した。スポーツを社会的視点で捉えて批評し、1994~95年に東京新聞夕刊に連載した「ウオッチング〈スポーツの広場〉」でミズノ・スポーツライター賞を受賞した。
数十年来の付き合いがある日体大の森川貞夫名誉教授(スポーツ社会学)は「源さんの一番印象深い仕事は、1998年の長野五輪招致を巡るJOC(日本オリンピック委員会)初代会長だった堤義明氏を追及した報道だ」と話す。谷口さんは現地に泊まり込んで、五輪を巡る開発が自然を破壊するだけでなく、堤氏が君臨した西武鉄道グループの利権に結び付いているという疑惑を追及した。
(オリンピックシンボルの光と影(イメージ写真))
その後も徹底してマネーファーストの五輪を批判してきた。隔月誌「放送レポート」で連載「スポーツとマスコミ」を手がけ、最後の原稿となったのが、先月発売分の第200回。パリ五輪をテーマに、水質汚染が懸念されるセーヌ川での史上初の船上開会式やトライアスロン競技を疑問視し、「選手を見せ物化してしまうものでしかない」と憂えた。
同誌の岩崎貞明編集長は「谷口さんは、政治的な思惑と利権の温床になった五輪はやめた方がいいという信念を持っていた。とりわけ国威発揚のために、スポーツを利用する危険性を強く訴えていた」と話す。
日本では「観(み)るスポーツ」に偏りがちなことも問題視していたという。岩崎さんは「観るだけでは、スポーツが一部のエリートアスリート中心のものになってしまう。いろんな人が気軽に参加できる『する』スポーツ環境が日本にはもっと必要だ、という思いを持っていた」と振り返る。
◆どんな権威にも真っ正面から批判
シンポジウムなどで谷口さんと意見を交わしたスポーツ文化評論家の玉木正之さんは「五輪や日本のスポーツの歴史や事実を押さえ、筋を通す意見が言える人だった」と評する。
スポーツ振興くじ(toto)を巡っては「ギャンブルとスポーツを結び付けてはいけない、という原則論を説くのが谷口さん。禁じたらアングラ経済がもうけるだけと考える私とは考えが違った」と話す。
それでも玉木さんは「意見が違っても有意義な討論ができた。筋が通った異論をもっと聞きたかった」と故人をしのんだ。
先の森川さんは、谷口さんの精神を受け継ぐことが必要と説く。
「文部科学相だろうが、JOC会長だろうが、どんな権威にも事実を取材して、真っ正面から正論で批判した。時の権力にとっては一番痛い。源さんのような存在を最後にしてはいけない」
【関連記事】フランスが威信をかけてセーヌ川を大掃除する五輪の愚 「東京」の反省生かされず
【関連記事】「カネと利権まみれ」東京五輪・パラ汚職事件が札幌大会招致に浴びせた冷や水
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(2021年02月01日[月])
【<金口木舌>「老害」の拡散に思う】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1264409.html)。
《▼年齢で人を決めつけていいものか。「老害」という文字を見る度に心が波立つ。年齢で他者を差別をする人も老いる。矛先はいずれ発した側に向かう》。
『●キャッシュレス…アベ様の《庶民ぶりっ子にだまされていた日には、
私たちは奴隷そのものにされてしまう》』
『●『俺たちはどう生きるか』(大竹まこと著)読了…
《みんなが協力し、かばいあい、ヨタヨタと時間が過ぎた》』
コラムの前半の《違和感》について、親族その他や自身での経験から、感じることの多い昨今。
さて、コラムの後半。「エイジズム」に陥ることなく、批判すべきは批判したいもの。
東京新聞の記事【辞任表明の森喜朗会長「説明責任なってない」 報道を批判、会見には出席せず】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/85618)によると、《東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は12日、評議員と理事による合同懇談会に出席し、冒頭で辞任を表明したものの、懇談会後の会見には出席しなかった。会見では記者から「説明責任がなっていない」と批判の声が上がった。森氏は、公開された会議の冒頭で10分あまり発言した。この中で「私の不適切な発言が原因で大変混乱した。今日を持ちまして会長を辞任します」と辞任の表明した。一方で女性蔑視発言をめぐっては、「意図的な報道があり、女性蔑視だと言われた」と報道を批判し、「老害」と言われて「極めて不愉快」と怒りをにじませた》そうです。
さらに、同紙の記事【【全文】森喜朗会長が辞任表明、女性蔑視発言は「解釈の仕方」「意図的な報道あった」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/85567)によると、《◆老害「きわめて不愉快」 したがって、だれかが老害、老害と言いましたけれども、年寄りが下がれというのはどうもいい言葉じゃないんで、子どもたちに対するいろんな言葉がございますけれども、老人もやっぱりちゃんと日本の国のために、世界のために頑張ってきているわけですから、老人が悪いかのような表現をされることも、きわめて不愉快な話であります》…どうそうです。
シンキロウ サメ脳氏・森喜朗氏が東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会会長を辞任しました。自身の差別発言による辞任を、ご本人は、偏った、一部を切り取った「老人イジメ」的報道等により辞任するのだ、と思っておられるかもしれない。それは誤解で、世界中に拡散された御自身の醜悪さを、シンキロウ氏の個人の資質上の醜悪さを、ブログ主は「老醜」「老害」「老残」という言葉で批判しています。〝箕部幹事長〟も同様。《老人もやっぱりちゃんと日本の国のために、世界のために頑張ってきている》方々はたくさんいます。でも、シンキロウ サメ脳氏や〝箕部幹事長〟はそうではないと言っているのです。
『●〝腰ぬけ〟で結構、害悪老人よりは!!』
「「戦争の体験があるぼくたちはこのままじゃ死ねない」というのは、
戦争をしないと気が済まないのでしょうね。いや、
〝腰ぬけ〟小皇帝ですから、自らあるいは身内が行くのではなく、
若者を戦争に行かせないと気が済まないということでしょう。
あるいは、ベトナム戦争の際に石川文洋さんに咎められなかったら
大砲の引き金を引いていたように、安全地帯に居て、罪なき民衆を
殺すためのミサイルのスイッチを押すような卑怯者でしょう。
哀しい精神構造です。城山三郎さん・佐橋滋さん・中山素平さん・
石田禮助さんらの反戦派の気骨ある〝老人〟たちに学ぶ能力の無い、
哀しい老害人です。エイジズムに加担する気はありません。
でも、この都知事は「ババア」発言に見られるようなエイジズムの権化
ですし、差別主義者のミーイズムの塊ですからね」
『●「憲政史上初となる珍事」: 〝日本〟vs〝日本〟』
『●『自民党の終焉』読了(4/4)』
『●3.5期の空白都政と都知事選候補達』
『●あぁぁ、〝箕部幹事長〟はブーメランも理解できな程の老醜…《事の
発端》をお忘れか? ―――《二階の年末の「8人ステーキ会食」》』
「「エイジズム」の意図は全くないのだが、政治家個人として
醜悪であり、「老害」「老残」だ」
筑紫哲也さんが(玉木正之氏か誰かとの論争で)「エイジズム」「老害」について書いておられた、と思い、探してみたが見つからなかった。このWeb頁(http://www4.plala.or.jp/coolmint/Column/col_page/column_rougai.html)から、一部引用させていただきます。《その一方で、昨今では、「エイジズム(ageism)」という造語まで生まれている。英語で人種差別を「レイシズム(racism)」、性差別を「セクシズム(sexism)」と言うが、これらのエイジ(age)版とでもいった表現で、世代差別を意味する。以前、某局のニュース番組で、筑紫哲也氏がこの「エイジズム」という言葉を用いて、老害について取り上げたことがあった。氏は、現代社会を「エイジズムの社会」と明言すると同時に、「老害」が高じて「老人差別」となりかねない点に言及し、警鐘を鳴らした。確かに氏の言うように、近年、何かと世代で線引きする傾向はより顕著になり、年寄りを汚物扱いする者も増えてきている。モラルの低下は目を覆うばかりだ。年寄りは人生の先達として、尊敬すべきは尊敬し、見習うべきは見習わねばならないのだが、核家族化の進行とともに年寄りと一緒に生活することが珍しくなった今日では、もはや当然のことが当然のようにできなくなってしまっている。「子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」と言うが、今こそ、思い返すべき時だろう。いずれ自分も年寄りになるそのことを忘れて、年寄りを軽んずるようでは、日本の将来は暗い》。
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【https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1264409.html】
<金口木舌>「老害」の拡散に思う
2021年1月30日 06:00
金口木舌 高齢者ケア エイジズム 年齢差別 小倉智明
「ごっくんと、うまく飲めたかな」。病室内のカーテン越しに看護師の声が聞こえてきた。同室の80代女性に薬を飲んだかどうかを尋ねている。ケアは細やかだが幼い子どもに接するような話し方に違和感があった
▼看護師は当方には丁寧語、女性には幼児語を使った。弱い存在だから、守らなければという親切心からの話し方としても、ばかにされたと感じる人はいるだろう。デイサービスでも、職員が幼児語で高齢者に話す場面をときどき見掛けた
▼親しい同士なら、いわゆる「ため口」でいいのかもしれない。見下す気持ちがあるなら年齢に基づく差別や偏見につながる。「エイジズム」という年齢差別の概念で、米国の精神科医のロバート・バトラーが唱えた
▼高齢に伴い身体の衰える人もいれば、活力のある人もいる。晩年のピカソのように創造性を発揮する人も。高齢だからと安直にひとくくりにできない
▼ネットのSNS上で「老害」という言葉を使った高齢者批判が散見される。エイジズムの一つである。朝の情報番組「とくダネ!」の看板司会者、小倉智昭さんが番組降板を決めた。辞める理由の一つに「老害じゃないか」と書かれたネット上の批判を挙げている
▼年齢で人を決めつけていいものか。「老害」という文字を見る度に心が波立つ。年齢で他者を差別をする人も老いる。矛先はいずれ発した側に向かう。
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