Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●どちらの国に生まれた子どもが幸せだろうか?

2013年12月25日 00時00分02秒 | Weblog


東京新聞の社説3つ。
フィンランドの教育現場(1) すべての子に学ぶ支援】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013121602000138.html)、
フィンランドの教育現場(2) 人に投資、現場を信じる】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013121702000133.html)、
フィンランドの教育現場(3) 解決のかぎは公正さ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013121902000132.html)。

 愛国心を押し売りし、ハタやウタに目の色を変える国。格差社会が教育にも大きな影を落とす国。それが愛国とは程遠く、『非国民』こそが愛国的であるかに気づかない国。彼我の教育に対する考え方の大きな差、この国のレベルの低さを感じる。かたや「教育大国」、かたや「愛国強制大国」。どちらの国に生まれた子どもの方が本当に幸せなのだろうか?

   『●犬がワンと鳴き、飼い主が喝采する、というお話
   『●『創(2009年8月号)』読了(2/2)
   『●『石原慎太郎よ、退場せよ!』読了(2/3)
   『●大阪元〝ト〟知事、重いツケ、将来への大きな禍根
   『●日の丸訴訟、君が代判決
   『●「東京都立三鷹高校元校長」対「東京都教委」
   『●我が身を省みらずに遠吠えする元新聞記者らしき人と
              校長の検閲に喝采を送る元弁護士らしき人のイサカイ
   『●ト知事たちのハタとウタ
   『●元大阪〝ト〟知事は単なる目立ちたがり屋!? 「あざとい」・・・
   『●教育壊革!? ~忠魂碑と教育塔~
   『●ハタとウタと東京都教委: 強制しておいて、その記述を問題視するとは・・・
   『●音圧計でも持ち出しそうな勢い、
          たかがウタに「口パク」禁止令・監視命令・・・アホらしい

   『●『人はなぜ学歴にこだわるのか。』読了
     「「・・・旧弊な身分制度社会の桎梏から近代の人間を解放する役割を
       果たしてきたはずの学歴システムが、いつの間にやら階級固定
       道具になっている現実・・・」(p.19)。「・・・子供の学力は、低年齢で
       あればあるほど、親の教育水準および経済状態をストレートに反映・・・」(p.66)。
      「・・・学歴における機会均等なんてものは、もはや建前でさえない・・・」(p.168)。
       斎藤貴男さんの『機会不平等』(※1) と同じ指摘。
      「学歴問題は、環境問題にも似ている」(p.56)。 [学歴社会反対・
       環境破壊反対に] 「誰もが賛成しているが、具体的な場面において
       人々が何をやっているのか・・・」」

================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013121602000138.html

【社説】
フィンランドの教育現場(1) すべての子に学ぶ支援
2013年12月16日

 「みんなも同じ時代に生きていると想像してね」。地理の時間。シモ先生(43)の明るい声に励まされ、生徒たちは色鉛筆を手に、米大陸の先住民族インディアンの肖像画を描き始めた。

 首都ヘルシンキから東へ約百三十キロ離れた地方都市、コトカ市にあるランギンコスキ中学校。教員歴十八年のシモ先生は、脳機能の障害などで読み書きが難しい生徒たちの特別支援学級を受け持つ。絵を描くのは、言葉や感情を上手に伝えられない生徒たちにとって、表現力を養う工夫でもあるのだという。

 人口約五百五十万人のフィンランドは、小国ながら二〇〇〇年以降、経済協力開発機構(OECD)加盟国を中心とする国際学習到達度調査で常に上位に位置してきた。「教育大国」を自任するのはそのためだ。応用力や読解力を養う総合学習の成果とも言われているが、エリート教育はされていない。高い学力の秘密はむしろ生徒間の学力差の小ささにある。成績下位の子どもが少ないことが水準を押し上げているのだ。

 フィンランドでは親の経済力に関係なく、大学まで無償で学ぶ機会が保障される。公財政支出に占める教育費は13%弱。日本の9%を上回る。一学級の人数は二十人前後で、授業に応じてアシスタントの教師が配置される。

 特別支援学級はさらに少人数で行われる。シモ先生の一人一人の力に応じたきめ細かな指導も、ハンディがある子どもをこそ手厚く支えようとするこの国の教育のあり方を表している

 背景には、一人一人の学ぶ権利を大切にするという社会の合意がある。すべての子に支援を惜しまないと決めた教育が、格差の小さな学力と高い学力とを両立させている

 日本でも習熟度別授業などで教師を増やしているケースはある。でも一学級四十人の基準は減らない。財政難を理由に教育予算が削減されるなら、今以上に学校からゆとりが奪われるだけだ。フィンランドに日本が学べることは何か。コトカ市の学校現場を訪ねながら考えた。    (佐藤直子)



http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013121702000133.html

【社説】
フィンランドの教育現場(2) 人に投資、現場を信じる
2013年12月17日

 教育大国と呼ばれるフィンランドの転機は一九九〇年代のバブル崩壊後に訪れた。財政難で教育予算も大幅な削減が求められた。だが当時の教育相は「教育の力で不況を切り抜けたい。むしろ予算を増やして人に投資すべきだ」と、大胆な教育改革を打ち出した。

 教育の権限は国から地方へと移され、予算執行は自治体に任された。学習内容も国は大綱によって最低限の目標を示すだけで、具体的なカリキュラムや授業配分は自治体や学校が決める。現場の裁量は広がる一方、教師にはより高い質が求められるようになった。

 教職の人気は高い。大学の養成課程には意欲ある学生が集まり、みな修士号を取る。「教職に就いてからも指導法の研究は欠かさない」とコトカ市の中学校教師タイナさん(36)。「教師は競争を勉強の動機づけにしないのです」

 子どもたちは「勉強は自分のためにするもの」と教えられる。金曜日の小学校では、ある子は国語の書き取りに、ある子は計算問題に取り組んでいた=写真。「週内に十分に達成できなかったことを、それぞれが考えて補習している」と担任が教えてくれた。

 義務教育は日本と同じ九年。最後に到達度をはかる学力テストがあるが、それは公教育を競わせるためのものではない。学力差のある子らが同じ教室で学びながら、一人一人が目標にどう近づくのかが大切にされる。詰め込みや点数競争にさらされない子どもたちの姿はのびのびとしてみえた。

 学校や教師の「責任とやる気」にかけたフィンランドの改革は、国際的な学習到達度調査の上位国となることで成果を収めたようにみえる。だが課題がないわけではない。一部の自治体では、人件費抑制のために教師が交代で休まされるようなことも起き、学習環境の悪化が心配されている。

 「よりよい公教育を目指し、学校や教師は努力してくれる」。来日したキウル教育相は学校現場への信頼を口にし、「それでも」と言葉を継いだ。「私たちの改革はまだ道半ばです」 (佐藤直子)



http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013121902000132.html

【社説】
フィンランドの教育現場(3) 解決のかぎは公正さ
2013年12月19日

 木くずを飛ばし、のこぎりを引く。障害児学級を併設したコトカ市のムッサロ学校で、知的障害のある生徒たちが教師に手伝われて木工に取り組んでいた。

 フィンランドでは成人して親と一緒に暮らす者は少ないという。身体に障害があっても同じだ。このため九年の義務教育では木工の授業を重視する=写真。技能があれば社会的な自立につながるからだ。職業学校に進んだり、木工所で働くこともできる。

 課題を抱えた子だからこそ手厚く支え、その方が将来の自立につながるという考えはごく当然だ。しかし、その先に「その方が社会全体にとってもいい」と考えるのがフィンランド流だと思う。

 不登校の子どもはどうか。市の特別支援調整役のハナレさんによると「ゼロ」だという。市内の小中学生約五千五百人のうち病気で登校できない三人がいるが、日本のような不登校はいない。全国で十万人を超え、どの学校にも数人の不登校児童・生徒を抱える日本では想像もつかないことだ。

 学校に行きたがらない子に対しては、校長がカウンセラーらと協力し、家まで迎えに行くこともある。「何度か訪ねると来てくれるようになりますよ」と、ムッサロ校の校長は言う。信頼とは簡単にいかなくても、そこには校長が同じ位置に立とうとする思いがある。

 経済協力開発機構(OECD)が実施した二〇一二年の国際的な学習到達度調査で、日本は「教育大国フィンランド」を、すべての分野で上回った。だが排除される子どもがどうしてこんなにも生み出されるのか。

 むろんフィンランドも夢の国ではない。厳しくなる財政事情や失業の増加など問題を抱えている。

 だが公正さを失わず、一人ひとりの力を伸ばすことで社会の発展を目指そうとする福祉国家の原則は古びていない

 それはあらゆる場で格差を広げている今の日本にこそ取り入れられてほしい考え方だ。時間のかかる教育も、機会が平等に保障されてこそ、成果が生まれる。フィンランドののびやかな教育現場がそれを物語っている。 (佐藤直子)
================================================================================

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●音圧計でも持ち出しそうな勢い、たかがウタに「口パク」禁止令・監視命令・・・アホらしい

2013年10月20日 00時00分34秒 | Weblog


asahi.comの【天声人語】(http://www.asahi.com/paper/column.html?ref=com_top_tenjin、9月21日)。

 東京「ト」教委と同じですね、大阪「ト」教委。目視に飽き足らず、音圧計でチェック、なんてことをやりかねない。

   『●犬がワンと鳴き、飼い主が喝采する、というお話
   
   『●『創(2009年8月号)』読了(2/2)
   『●『石原慎太郎よ、退場せよ!』読了(2/3)
   『●ト知事たちのハタとウタ
   『●大阪元〝ト〟知事、重いツケ、将来への大きな禍根
   『●日の丸訴訟、君が代判決
   『●「東京都立三鷹高校元校長」対「東京都教委」
   『●我が身を省みらずに遠吠えする元新聞記者らしき人と
              校長の検閲に喝采を送る元弁護士らしき人のイサカイ
   『●元大阪〝ト〟知事は単なる目立ちたがり屋!? 「あざとい」・・・
   『●ト知事たちのハタとウタ
   『●教育壊革!? ~忠魂碑と教育塔~

 「自主性が大切と普段から説いてきた先生が、信念を封じて口パクをする。想像したくない光景だ」・・・・・・残酷で、胸が締め付けられる。そして、「先生がお互いに監視しあう」・・・・・・、一体どこが教育改革なのか? 教育壊革である。

================================================================================
http://www.asahi.com/paper/column.html?ref=com_top_tenjin、9月21日】

2013年9月21日(土)付
天声人語

 歌い手が録音に合わせて口だけ動かす。俗にいう「口パク」である。オバマ大統領の2期目の就任式で、歌手のビヨンセさんが披露した米国歌がそうだった。北京五輪の開会式での「天使の歌声」もそうだった。音楽業界では珍しくないらしいが、それが学校の入学式や卒業式という場であったらどうだろうか▼大阪府教委が府立高校に通知を出した。式で君が代を斉唱する時、教職員が本当に歌っているかどうか、「目視」で確認せよ、と。去年、府立和泉高校長が教員の口の動きを監視させ、物議を醸した。その校長が教育長になり、全校に広げる▼式場で教頭らが目を光らせ、歌っていない者がいたら、名前を府教委に報告する。判断の基準は形式的な「口元チェック」ではなく、「公務員として誠意ある態度かどうか」だという。漠然とした話だ▼例えば「感極まって歌えなかった」場合は目こぼしになるかも知れないという。そんなことまで考える情熱があるなら他のことに注いではと思う。自主性が大切と普段から説いてきた先生が、信念を封じて口パクをする。想像したくない光景だ▼起立斉唱を義務づける条例がある以上、守るのは当然と考える人も少なくないだろう。だが、君が代をどう考えるか、歌うかどうかは個人の思想・良心の自由にかかわる。最高裁も去年の判決で教員へのいきすぎた処分に釘を刺している▼先生がお互いに監視しあう。教育の場が荒廃しないか。多感な生徒の心に暗い影を落とさないか。
================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●ハタとウタと東京都教委: 強制しておいて、その記述を問題視するとは・・・

2013年07月03日 00時00分20秒 | Weblog


東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013062802000112.html)。

 たかがハタやウタを有難がる「」教委。「「国旗国歌をめぐる『自治体で強制の動きがある』という記述が、都教委の考え方と異なる」と問題視」って、強制しておいて、その記述を問題視するとは呆れる。

   『●『創(2009年8月号)』読了(2/2)
  
     「教育者としての成果というモノサシで考えれば、
      これはどこからどう見ても都教委の完敗だろう」

   『●『石原慎太郎よ、退場せよ!』読了(2/3)
   『●日弁連声明: 都教委を擁護する東京高裁
  
     「一審の東京地方裁判所は、「起立したくない教職員、
      斉唱したくない教職員、ピアノ伴奏したくない教職員に対し、
      懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱等させることは、いわば、
      少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置である
      と思料する」として、国歌斉唱などの義務がないことなどを認め、
      憲法上の思想・良心の自由を尊重する判断
を示していた」

   『●ト知事たちのハタとウタ
   『●日の丸訴訟、君が代判決
   『●「東京都立三鷹高校元校長」対「東京都教委」
   『●教育壊革!? ~忠魂碑と教育塔~

================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013062802000112.html

二重検定おかしい」都立高教師ら反発 実教出版日本史
2013年6月28日 朝刊

 東京都教育委員会が、実教出版の高校日本史教科書について「都教委の考え方と異なる」と指摘し、都立校で使用すべきではないとの見解を示した問題。国の検定を通った特定教科書を名指しで排除する異例の手法に、教育現場などから怒りや反発の声が上がった。(中山高志)

 都教委が二十七日の定例会で議決した見解は、今年の教科書採択の対象となる実教出版の教科書「高校日本史A」「高校日本史B」について「国旗国歌をめぐる『自治体で強制の動きがある』という記述が、都教委の考え方と異なる」と問題視。「都立高校などで使用することは適切でない」と結論づけた。

 「現場の教師が生徒の実情に合わせ教科書を選ぶ慣行が、都教委により踏みにじられた。納得できない」。都立高校で日本史を教える男性教諭(57)は同日午後、都教委の方針に声を震わせた。

 勤務校は二年生で日本史Aを教えており、ことしの採択では実教版も選択肢に含まれる。校内ではすでに、都教委の意向を先取りするように、実教版に難色を示す声が出ているといい「さらにこんな見解が出れば、実教版を選ぶのは至難の業」と嘆息する。

 「『この教科書は使うなというやり方が横行すれば、やがてはこの教科書しか使うな』という国定教科書のような制度にもなりかねない」。男性教諭は強く危惧する。

 同様に都立高校で日本史を教える鈴木敏夫さん(64)も「国が検定を通し事実と認めた記述を都教委が否定し、その教科書を使わせないのは『二重検定』に当たる」と批判する。

 実教出版の編集責任者は「事実であれば大変残念」と言うにとどめたが、出版労連教科書対策部の吉田典裕部長(54)は「憲法が保障する出版の自由の侵害」と強く反発する。

 一方、都教委高校教育指導課の江本敏男課長は「各校で教科書選定作業を適切にやってもらうことが狙い。採択権を持つ都教委が、採択の具体的な考え方を示すことはあり得る」と説明している。

 教科書は、使用する前年にそれぞれの高校が選び、その報告を基に教委が採択する。教委は通常、高校については学校の選択を尊重して追認している。

 都教委が「不適切」とした二つの教科書のうち「日本史A」は昨年も採択対象だった。都教委は都立二百三十三校のうち、採択に当たる十七校に「実教版は都教委の考え方とは相いれない」などと非公式に連絡し、結果として全校が実教版以外を選択した。もう一冊の「日本史B」も対象に含まれる今年は、都教委が昨年より露骨に踏み込んで公の見解を出した形で、採択にかかわる都立校は延べ百九十四校に上る。

教委の職権乱用

 高嶋伸欣琉球大名誉教授(社会科教育)の話 教科書検定を通った記述が、自らを批判する内容になっているからといって、選定をやめるよう通知するのは教育委員会の権限を越えている。見解の相違があるなら、選定した高校に対し誤解のない指導をするよう伝えればよく、職権乱用だ。昨年は高校に電話で懸念を伝えたが、メンツのために正式な通知にしたのではないか。高校の教科書は無償ではなく、家庭が負担するので、不適切な採択方法に異議を申し立てる保護者もいるかもしれない。
================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●壊憲: 国内問題ではなくて、もはや国際問題

2013年05月06日 00時00分04秒 | Weblog


神保哲生さんのvideonews.comの記事(http://www.videonews.com/on-demand/621630/002755.php)。

 押し付けられた憲法、らしいですよ。帝国憲法だって、軍部の押しつけでしょうに。番犬様・アメリカに尻尾振りながら、押しつけもヘッタクレもないと思うけれども。
 ツイッターで見かけましたが、「96条」を使って「96条」改悪って法的に大丈夫なのか? 自らの縛りを国民の縛りに改悪しよう、というとんでもなさですから、何でもアリ?

   『●トンデモな両元〝ト〟知事がリーダーの「維新」を支持する価値はあるのか?
   『●改憲などしている場合か? ~壊憲派に勝たせてはならない~
   『●教育壊革!? ~忠魂碑と教育塔~
   『●「9条が危ない! 自民党の暴走」『週刊金曜日』(2013年4月26日、941号)
   『●・・・であるのならば、壊憲派を勝たせてはいけない
                 ~「“悪魔”を阻むハードル」を下げてはならない~
   『●壊憲: 自らの鎖を解放ち、その鎖を国民に巻こうとしている

 憲法9条破壊は、もはや国内問題ではないようだ。

   「ジャン・ユンカーマン監督は「日本国憲法、特に憲法9条は
    国際的に日本の平和に対する姿勢の現れとして見られている。
    だから日本の憲法改正論議は国内問題ではなく、国際的な問題だ」
    と話す。その先駆けとなった日本が平和条項を改正すれば、
    それは日本の国際的な信用を損ねるのみならず、
    日本に倣って平和憲法を作った国々にも大きな落胆をもたらすだろう。
    ユンカーマン氏は、今日の日本の政治家たちにその視点が
    欠けていることに大きな危惧を抱くという」

================================================================================
http://www.videonews.com/on-demand/621630/002755.php

マル激トーク・オン・ディマンド 第629回(2013年05月03日)
世界は日本国憲法をどう見ているのか
ゲスト:ジャン・ユンカーマン氏(映画監督・ジャーナリスト)

 憲法改正を目指す政権の下で5月3日、日本は66回目の憲法記念日を迎えた。
 世論調査などの結果を見ても、憲法改正への抵抗感は明らかに弱まってきているようだ。安倍首相はまず、憲法改正のために衆参両院の3分の2以上の賛成を求めている第96条の国会発議の要件を引き下げ、過半数の賛成で可能にする改正の意向を示している。しかし、言うまでもなく安倍首相、そして自民党の目指す憲法改正の最終目標は第96条ではない。自民党は既に、基本的人権条項などを削除した独自の日本国憲法改正草案を発表しているし、戦争放棄を謳う憲法第9条の改正が自民党の長年の念願であることも周知の事実である。
 日本国憲法の「平和条項」は1947年の施行当時は画期的なものだった。世界中を巻き込んだ悲惨な戦争の直後に、戦争の当事国だった日本が平和条項を含む憲法を持ったことの意味は、その後に新たな憲法を制定する国々や独立する国々の憲法にも大きな影響を及ぼした。日本に続いて憲法に平和条項を盛り込む国が相次ぎ、今では世界の約200カ国のうち150カ国の憲法に何らかの平和条項があるという。
 その日本が今、憲法第9条を改正した場合、国際的にはどのような意味を持つのか。
 『映画 日本国憲法』の中でジョン・ダワー氏やノーム・チョムスキー氏ら世界の知識人12人のインタービューをしたジャン・ユンカーマン監督は「日本国憲法、特に憲法9条は国際的に日本の平和に対する姿勢の現れとして見られている。だから日本の憲法改正論議は国内問題ではなく、国際的な問題だ」と話す。その先駆けとなった日本が平和条項を改正すれば、それは日本の国際的な信用を損ねるのみならず、日本に倣って平和憲法を作った国々にも大きな落胆をもたらすだろう。ユンカーマン氏は、今日の日本の政治家たちにその視点が欠けていることに大きな危惧を抱くという。
 改憲論者の多くは、現在の日本国憲法は占領下でアメリカから押し付けられた憲法だから、改正をして独自の憲法を作らなければならないと主張する。しかし、現実はわれわれ日本人が自ら進んでこの憲法を受け入れ、寄り添い、その理念を懸命に護ってきた。ユンカーマン監督の映画に登場する識者たちも、日本がこの憲法が謳う崇高な理念を体現できるかどうかに、世界中が注目していると語る。
 また、アメリカの核の傘に護られながら、憲法9条を掲げるのは一国平和主義ではないかとの指摘もある。しかし、『映画日本国憲法』の中でジョン・ダワー氏は「なぜ日本はもっと自信を持ってアメリカに向かって自己主張をしないのか」と苦言を呈する。せっかく憲法の中で崇高な理念を掲げながら、アメリカに対する精神的な隷属から抜け出せないことこそが、戦後の日本の悲劇であり、またそれが昨今の浅薄な改憲論議の根底にあるのではないかと言うのだ。
 いま日本は憲法を変えるべき時なのか。変えるとすれば、どのような改正が求められるのか。われわれは憲法を変えても大丈夫なのか。改正した憲法によってわれわれはどんな社会を実現しようとしているのか。『映画日本国憲法』を通じて「世界の目」という視点から日本国憲法に焦点を当てたジャン・ユンカーマン氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。


今週のニュース・コメンタリー
   ロシア: 政権批判のロックバンドの収監続く
   米: グアンタナモ収容所で100人超がハンガースト
   EU: ネオニコチノイド系農薬の使用を禁止へ


関連番組
マル激トーク・オン・ディマンド 第217回(2005年05月25日)
憲法シリーズ第3
9条は宝の持ち腐れに終わるのか

ゲスト:土井たか子氏(前社民党党首)

マル激トーク・オン・ディマンド 第212回(2005年04月24日)
憲法シリーズ第2回
日本人にはまだ憲法は書けない

ゲスト:小室直樹氏(政治学者)


プロフィール

ジャン・ユンカーマンJohn Junkerman
(映画監督・ジャーナリスト)

1952年米国ミルウォーキー生まれ。74年スタンフォード大学東洋文学語科卒業。ウィスコンシン大学大学院修士課程修了。監督作品に『劫火 - ヒロシマからの旅-』(88年・米国アカデミー賞記録映画部門ノミネート)、『夢窓~庭との語らい』(92年・エミー賞受賞)、『チョムスキー9.11』(02年)など。
================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●教育壊革!? ~忠魂碑と教育塔~

2013年04月27日 00時00分18秒 | Weblog


東京新聞の社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013041602000159.html)。

 「政府の教育再生実行会議が出した教育委員会改革の提言」ってそんなに素晴らしいものなのか? そもそも自分たちで破壊しておいて「教育再生」って、マッチポンプ。「再生」「改革」するどころか、「さらなる破壊」「止めを刺すこと」になりはしまいか?

   『●元大阪〝ト〟知事は単なる目立ちたがり屋!? 「あざとい」・・・
   『●日弁連声明: 都教委を擁護する東京高裁
   『●対橋下元〝ト〟知事、どうすべきか?
   『●犬がワンと鳴き、飼い主が喝采する、というお話
   『●「東京都立三鷹高校元校長」対「東京都教委」
   『●日の丸訴訟、君が代判決
   『●大阪元〝ト〟知事、重いツケ、将来への大きな禍根
   『●ト知事たちのハタとウタ
   『●日弁連声明: 都教委を擁護する東京高裁
   『●『石原慎太郎よ、退場せよ!』読了(2/3)
   『●『創(2009年8月号)』読了(2/2)

 3.11東京電力原発人災で日本の環境を破壊し、次に壊憲。本当に酷い政治状況。それを許している我々大人っていったい・・・・・・。
 「忠魂碑」と「教育塔」。

   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(3/4)

================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013041602000159.html

【社説】
教育委員会改革 政治からの中立保て
2013年4月16日

 政府の教育再生実行会議が出した教育委員会改革の提言は、自治体の首長に公教育を事実上委ねてしまうものだ。政治的思惑に翻弄(ほんろう)されないか憂慮される。中立性をどう守るのか議論を尽くさねば。

 提言の仕組みでは、これまで教育行政の実務を取り仕切ってきた教育長に権限と責任を集中させる。そして首長は議会の同意を得て、その教育長を任免できる。

 子どもへの愛国心教育を徹底したいと考える首長は、その意向に沿う教育長を送り込めるし、逆に意に背くようなら退場させられる。この仕組みが実現すれば、例えばそんなかじ取りも、首長には可能になるだろう。

 教育予算に加えて教育長人事を握り、教育行政に関わる度合いが強まるのだ。首長は地域の民意の体現者なのだから一見、民主的な仕組みに映るかもしれない。

 だが、懸念が拭えない。首長が個人的に信奉する価値観や思想信条が持ち込まれないだろうか。選挙で首長が交代する度に教育の理念や方針が変わり、学校現場が混乱しないだろうか。

 公教育がそんなふうに政治に左右されないようにと、戦後一貫して教育行政を担ってきたのが教育委員会だ。戦前の軍国主義教育への反省を原点として政治から距離を置き、落ち着いた教育環境を提供する。そんな考え方だろう。

 ところが、機能不全が問題視されて久しい。最近の大津市のいじめ自殺事件や大阪市の体罰自殺事件でも対応が後手に回った。不都合な情報を隠す体質もあらわになった。厳しく非難され、教委廃止論さえ勢いづいた。

 原則五人の教育委員は教育長を除き、非常勤だ。実務を統括する教育長と教委代表の委員長が併存し、責任の所在がはっきりしない。合議制だから意思決定が遅く、教育長率いる事務方の議案を追認するばかりだという。

 長年の批判を背景に、政治的独立性の高い教委から権限を奪い去ることが提言の主眼だ。教育長に教育の方向性を示したり、仕事ぶりを点検したりすることに主な役割を縮小するという。

 教委が形骸化したのは地域の住民にも責任がある。どんな教科書を使うのか。どんな子どもを評価するのか。地元の学校教育にどれほど関心を抱いてきただろう

 首長と教育長とですべてが決められる公教育では危うい。教育委員の公選制も考えられる。中央教育審議会での制度設計に際しては暴走の歯止め機能が最重要だ。
================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする