昨日の未来予測の対象は科学技術に偏りすぎていた.
社会体制の未来予測は純文学に多いようだ.例外なくディストピア小説である.
例えば,多和田葉子「献灯使」など.
古典,ジョージ・オーウェルの「1984」は,1950年台に高校の英語の先生が授業で紹介された.あまりの熱弁に,読んだ気になってしまい,その後も手が出ていない.下級役人が日々歴史記録の改竄作業を行い,歴史が存在したかどうかすら定かでなくなるというあたり,自民党政治の未来を予測しているようだ...とはいえ1984年も昔のことになってしまったけれど.
レイ・ブラッドベリ「華氏451度」(1953) はペーパーバック,いわゆる兵隊文庫として刊行されたと思う.日本では最初から高踏的SFと紹介された.
テレビやラジオによる画像や音声などの感覚的媒体による情報だけが許され,本の所持や読書が禁じられた架空の社会を描いていて,何年後という時間設定はなかったと思う.人々は思考力も記憶力を失うという成り行きはネット社会・SNS社会と共通点がありそう.
これが代表作の一つであることに異論はないが,個人的にはブラッドベリは短編の方が良いと思う.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます