柏木 如亭,揖斐 高 校註,岩波文庫(2008).
仮名は難しいので漢字だけを墨書しようと思い立った.おもしろそうなのをネットでネタを探して買ったのがこの本.漢詩の現代語訳...と言いたいが,著者が生きたのは江戸時代後期(1763-1819).現代とは江戸時代に戻ってのことである.けっこう下世話な題材が多く,これはそのひとつ.
このように見開き2ページの右ページは,原文の下に従来の訓読,次に現代語訳という構成.4行詩 (専門的には四句と言わなければならないらしい) が訳すと5行・6行となることもある.左ページは校註に当てられている.
タイトルの「青奴」は,注には夏の納涼のために用いる青竹製の抱き寝具とある.訳文には「ちくふじん」とルビが振ってあるように,ダッチワイフの役割もあるのだろう.泡坂妻夫にずばり「竹夫人」という短編があった.
著者はヨシワラに入り浸っていたそうで,訳文には通人言葉が頻出する.ここでも「我」は「おれ」,「正愛」は「いつちかわいい」である.こういう異音同義的なルビのふりかた戦前の本によくあったが,江戸時代からの伝統だったらしい.
漢詩を眺めるのは高校以来.軍国時代の生き残りのような先生で,僕たち生徒はこの爺さん (いま考えると案外若かった?) をバカにして,大人になったつもりでいた.
当時,漢文なんかやめて中国語を学習したほうがマシと思ったが,この本の解説によれば,荻生徂徠がその立場だった.漢詩文を享受するには訓読を介在させず,まず中国音で直読し,日常卑近な言葉に翻訳することを提唱しているのだ.
また漢詩の俗語訳は本居宣長による「古今集遠鏡」という古今和歌集の俗語訳にも共通性があるとのこと.
仮名は難しいので漢字だけを墨書しようと思い立った.おもしろそうなのをネットでネタを探して買ったのがこの本.漢詩の現代語訳...と言いたいが,著者が生きたのは江戸時代後期(1763-1819).現代とは江戸時代に戻ってのことである.けっこう下世話な題材が多く,これはそのひとつ.
このように見開き2ページの右ページは,原文の下に従来の訓読,次に現代語訳という構成.4行詩 (専門的には四句と言わなければならないらしい) が訳すと5行・6行となることもある.左ページは校註に当てられている.
タイトルの「青奴」は,注には夏の納涼のために用いる青竹製の抱き寝具とある.訳文には「ちくふじん」とルビが振ってあるように,ダッチワイフの役割もあるのだろう.泡坂妻夫にずばり「竹夫人」という短編があった.
著者はヨシワラに入り浸っていたそうで,訳文には通人言葉が頻出する.ここでも「我」は「おれ」,「正愛」は「いつちかわいい」である.こういう異音同義的なルビのふりかた戦前の本によくあったが,江戸時代からの伝統だったらしい.
漢詩を眺めるのは高校以来.軍国時代の生き残りのような先生で,僕たち生徒はこの爺さん (いま考えると案外若かった?) をバカにして,大人になったつもりでいた.
当時,漢文なんかやめて中国語を学習したほうがマシと思ったが,この本の解説によれば,荻生徂徠がその立場だった.漢詩文を享受するには訓読を介在させず,まず中国音で直読し,日常卑近な言葉に翻訳することを提唱しているのだ.
また漢詩の俗語訳は本居宣長による「古今集遠鏡」という古今和歌集の俗語訳にも共通性があるとのこと.
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