臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

第14回市民講座の報告(2019年5月18日) 4-1 心停止後の臓器提供に問題はないのか?生体解剖の恐れあり!

2019-09-04 11:28:11 | 集会・学習会の報告
注:次ページ(4-2)の中ほどに掲載しているダブルバルーンカテーテルのイラストは、8月16日22時40分まで異なる画像を掲載していました。同日以降は訂正済みです。
 
 
第14回市民講座講演録
 
心停止後の臓器提供は問題ないのか?
生体解剖の恐れあり!
日時:2019年5月18日  会場:カメリアプラザ(亀戸文化センター)第2研修室
 
守田憲二(フリージャーナリスト) 
 
 今日は下記の順番でお話しします(5月18日の講演に資料を追加し加筆修正しています。引用資料の出典は、近くに*マークを付して記載しています)。

1. 心臓死、三徴候死の曖昧さ
2. 「心臓が停止した死後の臓器提供」と称する行為の実態 その1
3. ドナー候補者家族への説明は適切に行われているのか?
4. 死亡宣告前に移植用臓器摘出目的でドナー管理する法的根拠は?
5. 臓器提供にともなうドナーの苦痛を避ける方法、その問題点
6. 「心臓が停止した死後の臓器提供」と称する行為の実態 その2
7. 胎児ドナー
8. 無脳児ドナー
9. 臓器移植を推進する医学的根拠は
10. 二つの死があるのか?医学的事象としての脳死はあるか?
11. 死亡宣告としての脳死判定の不安定性


 心臓が停止した死後の臓器提供=心停止後の臓器提供は、日本臓器移植ネットワーク発足の翌年1996年以降でみると2010年7月の改訂臓器移植法施行前は年間80件前後(59件~102件)、改訂法施行後は年間40件前後(27件~68件)行われています。脳死臓器提供件数と比べると、2014年以降は脳死ドナー2件に対して心停止ドナー1件の比率になっています。
*日本臓器移植ネットワーク:臓器提供数/移植数https://www.jotnw.or.jp/datafile/offer/2018.htmlhttps://www.jotnw.or.jp/datafile/offer/1996.html
 

 腎臓移植が最も多いですが、初期の心臓移植は心停止後の提供として行われていましたし、近年は欧米で心停止後の心臓摘出・移植も再開され、肺の摘出・移植も行われています。日本でも肝臓、膵臓、胸腺の心停止後の摘出・移植例があります。
 膵島移植は、膵臓を摘出し処理して膵島(ランゲルハンス島)を取り出して点滴方式で移植するものです。ドナーの人工呼吸器の停止をガイドラインに盛り込む など重大な行為をともなうにもかかわらず臓器移植ではなく組織移植として行われており、2004年から2017年末までに心停止ドナー70件、脳死ドナー14件あります。
*石橋道夫:「心停止下における膵ドナーの摘出条件」ガイドラインに関する膵・膵島移植研究会ワーキンググループ報告、今日の移植、14(3)、355-357、2001
*日本膵・膵島移植研究会膵島移植班:膵島移植症例登録報告(2018)、53(2-3)、149-156、2018https://www.jstage.jst.go.jp/article/jst/53/2-3/53_149/_pdf/-char/ja

 移植目的の心臓摘出は、和田心臓移植の次が1999年の法的脳死1例目と思われているかもしれませんが、東京女子医科大学日本心臓血圧研究所外科から、心臓弁を摘出して冷却液で保存するまで15分だったケースが報告されています。心臓弁を摘出するには、提供者の胸骨を切開して心臓を摘出し、心臓弁を切り取らなければなりません。心臓の外科手術に失敗し救命できなかったケースかもしれません。詳細はわかりませんが、いずれにしても心停止から極めて短時間で臓器が摘出されています。
*八田光弘:心臓弁、血管の保存管理体制と臨床経験、今日の移植、9(4)、325-328、1996

 角膜移植のための献眼者数は、脳死ドナーも含まれますが2009年以降は年間900件前後(830件~1081件)。
*日本アイバンク協会:年度別 登録者数・献眼者数http://www.j-eyebank.or.jp/statistic_bottom.htm
 
 眼球摘出は、平均で死後数時間で行われていますが、なかには20分と極めて短時間のケースが大阪大学から報告されています。
*長谷川利英:大阪アイバンクの現況、日本眼科紀要、48(6)、814-817、1997
 
 従来から医師によって死亡宣告が行われてきました。それは死に至ることが避けられないと判断される状態、病か外傷のあること、そして死の三徴候(心臓の拍動停止、呼吸停止、瞳孔散大)が揃って変わらないことを確認して死亡宣告をした。心臓の拍動が停止すると、呼吸停止、瞳孔散大も大きな時間差が無く起こっていたので三徴候死は心臓死と同じでした。しかし、埋葬・火葬までは死亡宣告から24時間経過しないと許容しなかった。死亡宣告を誤る危険性を避けるためです。
 しかし、移植用の臓器・組織を獲得する目的で患者が扱われるようになると、24時間待機は無視されます。血液循環が止まると臓器の機能が低下し、30分程度で血液が固まり始め、やがて臓器・組織は壊死し始め、移植に使えなくなるからです。
 
 
 
 
1、心臓死、三徴候死の曖昧さ(移植可能な臓器・組織を得られる時間内において)
 心臓の拍動が停止し呼吸も止まったままの状態が続くと、血液・体液の流動も止まり臓器・組織は正常に機能しなくなり、さらに長時間その状態が続くと臓器や組織は全く機能しなくなり、その後に全身は壊死しはじめ、生体は崩壊するに至る、もはや全く蘇生は不可能な状態という意味で「心停止、呼吸停止、瞳孔散大」という死の三徴候が揃った後、さらに血液・体液の流動が長時間停止して全く再開しないと判断される時点、死後硬直も観察できる時点で行う死亡宣告は妥当と思います。
 しかし、移植用の臓器・組織を得ることが可能な時間内、生理的条件下で心臓死の診断は確実にできるのでしょうか?心停止から何分間?何時間?経過したら、心臓は絶対に動かなくなるのでしょうか?
 「心臓が停止した死後の臓器提供(心停止後の臓器提供、心停止ドナー)」と称されている行為は「死んだとされる人から、生きている臓器を摘出すること」です。これについて「臓器毎、組織毎に壊死するタイミングが異なる。心臓死後にも生きている臓器・組織があるから、心臓が停止した死後の提供が可能だ」と説明されています。しかし、移植可能な臓器・組織がある=生きている臓器・組織があるならば、同時に痛みを感じ伝える神経組織も生きているのではないか?心停止が起こると10数秒で失神するため長時間心停止した状態では意識はないと思われますが、臓器摘出のためにメスで皮膚を切開しはじめる時に、一定範囲に痛み刺激を伝えることがあるのではないか?それならば、やはり生体解剖になっているのではないか?と懸念します。
 このことに関連した情報として、まず「心停止後に自然蘇生して大きな後遺症もなく社会復帰した自然蘇生・社会復帰例」、「20分間、有効な血液循環のなかった=心室細動を起こした患者の蘇生成功・退院例」「解剖時の心臓の自動運動例」、「心臓死した患者を解剖した病理医による分析」、「ヒトの死体から得た神経の移植が成功している例」、「心肺蘇生を受ける患者の反応」を紹介します。
 
 
自然蘇生・社会復帰例
 心臓の拍動が止まった人に、蘇生が試みられても効果が現れない場合、いつまでも蘇生処置を続けることはできないため蘇生は断念されます。そのまま変化なく次第に体温が下がり、死後硬直が現れ、血液の流動がないため体の低いところに血液の色調=死斑(屍班)が現れる、などの死体現象が観察され、多くはそのまま埋葬に至りますが、なかには途中で自然に心臓の拍動が再開する人もいます。
 昔は心電図がなかったので何分間、心臓が止まっていたか分からなかった。近年は、携帯型心電計の装着、あるいは心肺蘇生の断念後も心電図モニターの取り外しは最後に行う、などにより何分間、心臓の活動が一切みられない心静止の状態だったのか、正確に記録されるケースが出てきました。もちろん、心臓の拍動が自然に再開したものの、意識の回復までにはいたらず、再び死亡される方もいますが、ここで紹介するのは自然に蘇生した後に、社会復帰したケースです。
 
 吉村クリニックから「62歳女性は1987年12月に1回失神を起こす。12月27日朝、ホルター心電図を装着して帰宅。午後4時ごろ、土蔵の中で意識不明で倒れているのを発見され救急車搬送。ホルター心電図を再現してみると、15時53分07秒から突然停止し、その後15時58分48秒まで5分27秒の間、心停止の状態であった。1月4日に歩行可能、1月14日ペースメーカー植込みし退院。失神前日と当日の記憶喪失はあるが、知能や言語、運動能力にまったく問題ない」 と報告されています。
*吉村 史:ホルター心電図装着中、5分27秒の心停止を生ずるも自然蘇生した1例、循環科学、15(1)、1140-1144、1995

 この報告に心電図は正常に拍動していた時から心停止、そして再拍動まで連続して掲載されていますが、このスライドでは心停止の前後の部分のみ示します。
 

 2014年、トルコのカフカス大学病院では「21歳男性、入院3日後に徐脈の後に心静止、30分間の蘇生に反応しなかったため蘇生を断念。10分後に自然蘇生した。6時間後に意識回復、8時間後に質問を理解。入院後60日目に神経学的に完全に回復して退院した」。この報告はインターネットで読め、心電図も掲載されています。
*Muge Adanali:Lazarus phenomenon in a patient with Duchenne muscular dystrophy and dilated cardiomyopathy、Journal of Acute Medicine,4(2),99-102,2014 https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2211558714000508

 2018年にはスイス・ローザンヌ大学病院からも10分後の自然蘇生例が報告されました。「暖房されていない家屋で発見された63歳男性、救急車に乗ったが心室細動となり、70分間の心肺蘇生中も心静止だったため現場で死亡宣告。10分後に自然に心拍、呼吸が再開し病院に搬送、4日後、神経学的後遺症なく転棟した」とのこと。
*Mathieu Pasquier:Autoresuscitation in Accidental Hypothermia, The American Journal of Medicine,131(9),e367-e368,2018
 
 
 
有効な血液循環が無い状態が20分間継続しても生還
 1999年、刈谷総合病院は50歳男性が心室細動(心筋が不規則に収縮して心臓が正常に拍動しない状態)が20分継続し、発見時に呼吸停止、瞳孔散大していたが、6か月後に軽度高次脳機能障害で退院できたと報告しています。
*大久保一浩:20分にもおよぶ心停止後生存退院できた1例、蘇生、18(3)、203、1999 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjreanimatology1983/18/3/18_3_193/_pdf/-char/ja
 
 医師のなかには「心停止が4~5分間続くと脳細胞は死滅する。瞳孔散大も呼吸停止も脳が死んだ結果だから、人の死の実態は心臓死ではなく脳死だ」という人がいますが、心停止から10分後の自然蘇生・社会復帰例や20分間心室細動継続後の軽度後遺症例は、そうした断定を否定しています。心停止がきっかけとなり病状が悪化するならば死に至るけれども、悪化しなければ生還できるのであり、「心停止が4、5分続くと脳死になる」という話は救急・集中治療が未発達な時代の実態か、現代では不十分な蘇生処置しかできなかったり、患者が重症だった結果だと思います。
 
 
新生児の自然蘇生例・退院例
 新生児では、さらに長時間経過後の蘇生例があります。大正末期、九州大学解剖学教室で死産児約121人(累計)を集めた。1児を「実験台に移そうとしたところ、すこし呼吸をしているようにみえるので人工呼吸やそのほかいろいろ手を尽くしたが、ついに生き返りはしなかった」と書かれています。
*仙波嘉清:無影灯の傍らで 一老外科医の回顧録(金剛出版社)、93-95、1968

 戦後の生存退院例では、仁志田博司氏によると「アメリカでのレジデント時代、夜間当直の際に緊急コールで呼ばれ駆けつけた分娩室の片隅で、死産として生まれ紙に包まれていた新生児が、その数時間後に動き出し、私がその紙包みから児を取り出して蘇生し、なんとその児は生存し退院したことを経験している」とのことです。
*仁志田博司:新生児の脳死判定及び臓器移植の可能性について、Neonatal Care、12(5)、620-621、1999
 
 
数日間、心拍が再開しなくとも社会復帰可能な患者も
 次は心停止が続いていたけれども、人工心肺をつけて補助循環を続けたら数日後に心拍再開したケースです。
 福山市民病院から2008年に「67歳男性、心室細動を繰り返し人工呼吸を開始。経皮的人工心肺(PCPS)を挿入。ICUに帰室した時には心室細動であった。体外式ペースメーカー、大動脈バルーンポンピング、持続入工透析も開始。γ-グロブリンの投与、ステロイドパルス療法を施行。第6病日より徐々に血圧が上昇し、第8病日に心拍の再開を確認。第9病日にPCPSから離脱、第16病日に人工呼吸器から離脱、その後社会復帰」と報告されています。
*河合勇介:心拍停止から1週間後に心拍再開し、救命しえた劇症型心筋炎と考えられた一例、心臓、40(Suppl.3)、127―131、2008
 
 市立札幌病院の医師は2010年に「救急外来でも心拍が再開しない場合、その患者は亡くなるのであろうか?答えは『否』である。私たちは迅速に人工心肺補助(PCPS)を装着し、脳蘇生を先行させた上で、数日してから心臓が拍動し始めることをよく経験している。『その場で心臓が動き出さなければ、人は亡くなる』という絶対的な『心臓死』の概念は、私たちの施設ではすでに崩壊している」と書いています。
*鹿野 恒:徹底した救命救急医療、その先に見えてきたもの、日本移植再生医療看護学会誌、6(1)、16-17、2010
 
 
死の判定が人為的である限り、心臓死でも誤診を免れることはできない
 次の2つは心臓死の死亡宣告を誤った経験のある医師が書いた文章です。1990年に当時のNTT東北病院院長の葛西森夫(東北大学名誉教授)は以下を書いています。

 死に立ち会った経験に乏しかった頃には、時に失敗したものである。脈が触れなくなったことを確かめて「ご臨終です」と告げたとたんに、死んだはずの患者が大きく息を吸い込みゆっくり吐き出して、医師としての面目が丸つぶれになったとの思いを噛み締めたものである。このようなことは時にあることで、決して僕だけの経験ではない。死の臨床で心電図をとっていても、脈波が完全に平坦化してから、ときどき散発的な波がポコ、ポコと出るのは普通に見られる。また、死亡して心電図上脈波が消失しても、心マッサージを施行すれば多くの場合、一時的にせよ、脈波が再び出てくるものである。
(中略)即ち、生から死への移行は瞬間的におこるのではない。通常は数分から数十分という短い間ではあるが、生から死への経過がある。その経過の途中で死の判定をして死亡時間を決めることは、つねに人為的な作業なのである。
 死亡の診断は、前述のような問題があるにしても、一般的に容易である。死後硬直が現れるまで待てば、医師でなくても確実に死の判定を下すことが出来る。しかし、通常はそれまで待つことは許されない。その間のいずれかの時点で死の診断を下そうとすれば、時に困難な場合がる。棺桶に入れられて墓場に運ばれた人が生き返った、という話はおそらく全国に沢山あるだろう。ひと昔前の医療の状況を考えれば、そのような誤診があっても少しも不思議ではない。死の判定が人為的である限り、心臓死でも誤診を免れることはできない。

*「脳死」 私はこう思う(北窓出版)、71-76、1990
 
 葛西院長は「ひと昔前の医療の状況を考えれば、そのような誤診があっても少しも不思議ではない」と書いたのですが、最近でもあります。東京都内の内科医の経験ですが、恥ずかしい、やましい行為と思っているようで氏名は記載されていません 。

 患者の心電図モニターが不整→細動→平坦となり家族に死亡を告げた。しばらくしてモニターを見ると、呼吸も心音もなく脈もふれないのに、洞調律でしっかり拍動するECGを示している。慌ててモニターの電源を切った。

*氏名記載なし(東京、内科):医師として遭遇した「不思議な体験」、日本医事新報、4707、75、2014
 
 心停止ドナーを心電図につないだところ波形が出たとの医師の経験談を、配偶者の宇根岡佑子さんが聞いていたそうです。この講演録の質疑応答に掲載しています。
 
 
解剖時に心臓が自動運動をしていた
 次は解剖時に心臓が動いていたケースです(講演時スライドと資料に「心臓の拍動」と書いていましたが、心臓全体が規則的に動き有効な血液循環が行われている状態ばかりではないと見込まれるため「拍動」ではなく「自動運動」に訂正します)。
 1970年に林田建男(当時、杏林大学教授・外科学)は「解剖室へ連れていっても、心臓がまだ実際にゆるく動いていることがある。解剖のときに、心臓がまだ波うっているのを私はみたことがあります。病理の先生もみんな経験をしていると思います。そうかといって早いうちに解剖をやらないと、腎臓などの臓器がだめになって、全然医学材料にならないのです」と喋りました。
*座談会 心臓移植事件の不起訴処分をめぐって、ジュリスト、466、48-64、1970

 1971年、古畑種基(当時、科学警察研究所長)も座談会で「ぼくがまだ東大におる頃のことだが、解剖を始めた。胸腔を開いたところが心臓が動いている。私はちょうど教授会にいっていましたが、助手が呼びに来て、飛んでいったら心臓が動いているのだ。私は生きている人を切ったのじゃないかと思って、よく見ると屍体現象が現れている。屍班はあるし屍後硬直もある。もう確実に死んでいるということがわかったので、---それを見ておったら数時間動いていました」と喋っています。
*座談 死のあれこれ、産婦人科の世界、23(5)、507-516、1971

 東京大学医学部法医学教室からは1940年の第24次日本法医学会総会に、死後硬直・死斑のみられた「死」後約12時間経過後の司法解剖例において、心臓が自動運動を行なっていた症例が報告されています。
*正木信夫:稀有なる死体解剖例、日本犯罪学雑誌、14、306-307、1940
 
 心臓の自動運動が継続した時間は上記の古畑のいう数時間とは記載していないので別のケースでしょう。杏林大の林田が「病理の先生もみんな経験をしていると思います」と喋ったことから、解剖時に心臓が動いているのは「極めて稀なケース」ということではないようです。
 死後硬直や死斑が観察されているのであれば、人体のうち血流途絶に弱い部分では壊死が進行しているでしょう。もはや蘇生が不可能なことは確かと思われます。しかし、心臓がまったく動かない心静止の状態ではなく、その前の心臓が小刻みに震える心室細動の状態ならば、蘇生処置をすれば心臓は拍動を再開する可能性があるとされています。従って「心臓の機能が不可逆的に失われたと判断されることで心臓死の死亡宣告がなされて、それから数時間~12時間経過後も心臓の自動運動がみられた」ということは、心臓の機能廃絶の判断が正確には難しいということだと思います。
 気になることは自動運動が起こったキッカケです。死後硬直も死斑もあったことから、数十分間以上にわたり血液循環が無かったことは確実でしょう。外部からの刺激がなく自然に運動を再開したのかもしれませんが、解剖のためメスで皮膚を切開され胸骨をノコギリで切断されたことが刺激となって心臓の運動再開につながったのかもしれない。後者なら、臓器を摘出するために行われる様々な処置が、心臓を再起動させて心臓の機能廃絶、心臓死の宣告を生理的に覆す事態を起こしているかもしれません。
 

三徴候死と診断される瞬間に、個体の各部分は完成した生物学的死に至っていない
 心臓死した症例の脳を解剖して、心停止の継続時間と脳神経細胞の死滅との関係を検討した報告は1995年に生田房弘(新潟大学脳研究所)が書いています。要約すると「大脳皮質の神経細胞は、心停止後ほぼ7分くらいで多くは死滅するが、部位によっては15分くらいの心停止でも生存している。1時間余りの心停止の後、視床下部神経細胞が生きていた例もある」「三徴候死における死を考えたとき個体の医学的・法的な死と個々の細胞の生物学的な死とは明らかに異なっており、その個体が死と認定される瞬間に個体を構成する各部分は、けっしてそれぞれ完成した生物学的死には至っていない」ということです。
*生田房弘:“脳死”例の剖検所見からみた個体の死の時刻、週刊医学のあゆみ、172(10)、641-646、1995

 では、心停止から、どの位の長時間経過したら神経細胞は死滅するか?臓器摘出時にドナーに生体解剖される恐怖や痛みを感じさせないような状態に、心停止から何時間経ったらなるのでしょうか?どうやら数時間では済まないようです。という理由が死亡宣告から6時間、室温におかれた死体から得た神経をラットに移植したら再生したというFujimoto氏(石川県立看護大学)の報告 があるからです(枠内)。

 死後6時間、室温におかれた72歳肺ガン男性患者より得た肋間神経をラット坐骨神経に移植したところ、術後4~8週間で神経再生が認められた。また、死亡ラット(死後2日まで)の坐骨神経を移植して比較した。内側足底神経の遠位分節へヒトの死体由来神経移植を行ったところ、術後8週間で良好な神経再生が認められた。

*Fujimoto Etsuko:Possibility of using nerve segments dissected from human cadavers for grafting: Preliminary report、Anatomical Science International、81(1)、34-38、2006

 私は講演の冒頭で「長時間心停止した状態では意識はないと思われますが、臓器摘出のためにメスで皮膚を切開しはじめる時に、一定範囲に痛み刺激を伝えることがあるのではないか?」と話しました。この懸念は、この神経移植から発しています。
 
 
心肺蘇生をされた医師の分析、「これはもう駄目だな」という溜息交じりの声も聞いた
 次は、ペニシリンショックで倒れて、心肺蘇生された医師本人=豊倉康夫の分析です。要旨は「心肺蘇生を受けていた時に『もう駄目だな』という溜息交じりの声も聞いた。聴覚の次に残っていた知覚は圧覚、次に触覚。痛覚がなくなっていた。周りの医者に自分が意識があることを知らせたいと思うんですが、目を開けることも、手を動かすことも全然できないです。非常に面倒臭くて、そんなことをするくらいなら、そのまま死んだほうがいいと思いました」という経験談です。なお、この方には蘇生行為のみ行われ臓器摘出目的の処置は行われていませんので、「痛覚が無くなっていた」などは個人的な経験とみなすべきと思います。
*豊倉康夫:臨死体験の記録 死の直前のEuphoria『物質』によるものか?、精神医学、33(6)、572-573、1991
*セミナー記録 脳蘇生と脳死(日本大学総合科学研究所)、88、1998
 
 
心停止直後に開始される胸骨圧迫、心臓マッサージの生理的効果
 次は、蘇生術を素早く開始したら効果があり、心臓そのものは拍動を停止していたけれども患者は暴れて、医師、救急隊員が困惑したという報告です。

 意識を維持するために必要な脳血流量は、正常の50%、神経細胞が生存するために必要な脳虚血量は20%と言われているのに対し、胸骨圧迫式心マッサージによって得られる脳血流量は正常の30%以下、多くの場合10%以下なので自己心拍再開までは意識が戻らないのが通常である。しかし、蘇生術の開始が早い場合は、心マッサージのみで意識が戻る場合がある。患者は暴れて、心マッサージの術者を振りほどいてはグッタリするのを繰り返す。
 筆者は延々5時間にわたり、心静止までこの状態が続き、蘇生術をやめるにやめれなかった経験がある。自己心拍がない患者が暴れるさまは自然の摂理に反するようで、生理的な違和感を強く感じた。

*坂本哲也:脳虚血と脳死、LiSA、2(7)、48-51、1995

 上記は公立昭和病院救命救急センターにおける患者の救命ができなかったケース ですが、東京医科大学病院救急医学講座からは社会復帰例が報告されています。

 30歳男性初期研修医、仮眠中にうめき声と意識レベル低下を来し別の研修医が胸骨圧迫を開始。ソファー上より床へ降ろし、胸骨圧迫を行った。やがて傷病者に体動を認め、うめき声が聞かれ抵抗したが、頸動脈拍動を触知しなかったため、研修医が羽交い絞めにした状態で胸骨圧迫を継続。除細動で自己心拍が再開した。自己心拍再開まで16分を要したが神経学的予後が良好で社会復帰。

*東 彦弘:体動を認めたが絶え間ない胸骨圧迫を継続した一例、日本救急医学会雑誌、21(8)、597、2010

 同様の社会復帰例が新潟市消防局南消防署からも報告されています。
*齋藤和夫:心停止で胸骨圧迫中に呼吸、体動が継続する症例、東北救急医学会総会・学術集会プログラム・抄録集、27回、83、2013
 
 
 

2、「心臓が停止した死後の臓器提供」と称する行為の実態 その1
 その1では、心停止ドナーに心臓マッサージが行われたケースを紹介します。まず1967年に日本で初めて心停止ドナーからの腎臓移植を成功させた千葉大の報告。

 (p224)千葉大学第2外科の尾越「まず心臓が止まると心臓マッサージを閉胸でやるわけですが、それをずっと続けます。それと同時にビニールチューブを大腿部から通して、だいたい30cmくらいですか、腎動脈のあたりと思われるところまで入れて、乳酸加リンゲル(輸液)ですが、それを前もって冷却しておき、どんどん入れて冷やすわけです。その間、年の甲をへた人がドナーのファミリーに腎臓をもらう交渉をするわけですが、その間若い人は心臓マッサージを行い、それ(腎臓)をカテーテル法で冷やしておく。そして承諾が得られたら心臓マッサージ、それからもちろん挿管して麻酔器をつけてあるわけですが、それをずっと続け、手術場に運んでいきます」

*第2回腎移植臨床検討会:移植、4(3)、193-252、1969

 心臓死される方は、死すべき病あるいはケガを負っていた方です。心臓死の死亡宣告をした後の患者に、心臓マッサージ、病院によっては加えて人工呼吸、あるいは人工心肺による血液循環まで行うならば、その蘇生効果から患者にとっての死に至る苦しみの再開となるのではないか、さらには臓器摘出時に生体解剖の恐れがあると指摘しなければなりません。

 心臓マッサージ以外に、臓器提供者が心臓死する前から、臓器移植の成功率を高めるために輸液、投薬、カテーテル挿入などの術前処置が行われています。術前処置は手術の一部であることから、死亡宣告前から臓器摘出手術を開始していることになります、死亡宣告前からの手術開始は死期を早めているのではないか?傷害致死行為ではないか?生体解剖ではないか?という問題もあります。

 スライドは、この当時の腎臓周辺に行った処置についてのイラストです。2個のソラマメの形をしたのが腎臓です。上下に走る血管の右側が大動脈、左側が大静脈です。腎臓を内部から冷却して灌流する液が、左上の点滴ボトルのような容器に入っています。
 腎臓を摘出する手術の手順は、まず、この容器に繋がっているカテーテルを大動脈に挿入する。そして、腎臓のなかで血液が固まらないようにヘパリンという薬剤を心臓に注入する。人工呼吸を続けながら、臓器提供者に手術して開腹する。そして静脈を切断すると、静脈側から脱血できて血管内の圧力が下がり、動脈側から冷却灌流液を注入できるようになります。そうしてカテーテルを通して冷却液を流し、腎臓の中から血液を押し出しながら冷却する。冷却灌流液は静脈側から排出されます。この後に腎臓を摘出する手順です。腎臓が暖かい体内で傷まないように、まず冷却することが優先されますので、この手順が採用されています。
 死亡宣告との関係をみると、千葉大の落合武徳は1979年まで三徴候死による死亡宣告後に腎臓を摘出した、と書いています。
*落合武徳:脳死または三徴候で死の判定がなされた死体腎移植成績の比較、移植、20(4)、328-331、1985

 しかし、千葉大は第2回腎移植臨床検討会で発表したように、死亡宣告後も心臓マッサージと人工呼吸も続けた。心臓死の死亡宣告をして家族が別れを告げる数分間は、心臓マッサージと人工呼吸は止めていたかもしれないが、ほどなく再開して続けたのでしょう。死の三徴候(心拍停止、呼吸停止、瞳孔散大)のうち、臓器提供者自身の能力によるものではないが、血液循環も呼吸も継続されていたのならば、心拍停止、呼吸停止の生理的影響は少なく、瞳孔も観察したら散大ではなく縮小していたかもしれない。なによりも麻酔もかけることが可能な態勢でいたということは、生体という認識だったのでしょう。これを「三徴候死を確認した死亡宣告」「その死亡宣告が有効な死体からの臓器摘出」といっていいのだろうか?と私は思います。この麻酔をかけることが可能な、生体としての心停止ドナーの死亡が本当に確定したのは、静脈を切断して脱血した時、失血死を開始した瞬間であろう、と私は考えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ドナー側の死後管理も大切であると「腎移植臨床の実際」(協同医書出版社、1970年)に書かれています(下記枠内)。執筆者3名のうち、園田孝夫は大阪大学、四方統男は京都府立医科大学、稲生綱政は東京大学で臓器移植を推進した外科医です。

屍体腎摘除術(p110~p111) 死の瞬間あるいはその直後から、できるだけ腎機能が維持されるべき手段を講ずるのが適当である。すなわち、いわゆる脳波その他による死亡の確定後、直ちに気管確保による強制呼吸の維持、並びに心臓マッサージの維持が必要で、また、500ml低分子デキストラン(代用血漿)および200mgへパリン溶液(抗血液凝固剤、抗血栓薬)を静脈内に注入し、血管系の保持および血液の凝固を防止する。これらは屍体腎摘除終了まで、続けられねばならない(図8阪大・恩地式心マッサージ器)
 術後の尿量と輸液(p144~p150)何といっても、如何に早く、良い屍体腎を求めるかが問題であり、これはdonorの死亡確認後腎臓を摘出するまでの屍体の状態によって左右される。屍体腎移植ではrecipientとともに、donor側の死後管理も大切である。


 写真が阪大・恩地式心マッサージ器です。当時の報告をみると、死亡宣告から約2時間、心臓マッサージを行ったケースが多い。家族の前から搬送される時は、医師が心臓マッサージをしているのでしょうけれども、手術室に着いた後はこのような器具を使っていたのでしょう。
 
 
 心臓マッサージを行うことで、心停止後も血圧を生存者と同様に保ったことが近畿大学から報告されています。

 女児は口唇口蓋裂の手術および発育異常精査のため入院中の1989年1月、1歳6ヵ月時に呼吸器感染症が原因で急変、徐脈、無呼吸となったため、蘇生を試みるも45分後に心臓死と確認された。心停止後も心マッサージにより血圧が100/50mmHg程度に維持され、心停止後115分より腎摘出開始。

*池上雅久:心停止無脳児ドナーから成人への死体腎移植の1例、移植、26(6)、646-653、1991

 女児は脳幹部、視床下部、小脳などは認められ、大脳半球はすべて髄液に置換されており「全前脳胞症」と診断されています。池上らは「広義の無脳児」と書きましたが、脳神経内科医のなかで全前脳胞症を広義の無脳児と認める者はいないでしょう。
 心臓マッサージを行った効果で「血圧が100/50mmHg程度に維持され」ということに注目してください。血圧が100/50mmHg程度とは、生きている人の正常値に近い。血圧が100/50mmHgある人体が、死体でしょうか?成人に心臓マッサージが行われる際も、肋骨の骨折、胃や肝臓の損傷などの発生が報告されています。1歳6ヵ月という乳児ですから、心臓マッサージを強烈に行ったからこそ「血圧が100/50mmHg程度に維持され」たと見込まれます。「広義の無脳児」という誤った認識が、臓器提供者の身体を乱暴に扱っても許されるという行動につながっていないか懸念されます。
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