イタリア映画のサントラですが、『誘惑されて棄てられて』ってすごい題名ですね。
どんな映画なんでしょう?題名だけだとファンティーヌの物語みたい。
リラはパリに残ると心を決めました。
約束の一ヶ月が過ぎて、リラは宿泊していた未亡人の家を去りました。
そして、新しい住まいに移り住みました。
故郷の家には、手紙を出しました。
必ず、毎月、消息を知らせるつもりです。
けれど、住所は書きません。
本当にひどい娘だと、自分でも思います。
奥様からいただいた帰りの旅費も、だんだんと少なくなります。
これがあるうちに、仕事を見つけなければなりません。
未亡人の家の使用人に、それとなくパリで仕事に就く方法を聞いてみましたが、
どうやら、女中や店員になるには、身元保証人や紹介状が無ければ難しいようです。
洗濯女や、牛乳売り、古着屋、門番女、料理番、酒場の女将、踊り子、娼婦
アンジョルラスを探していた時には気付かなかった色々な職業の女が、リラの目に
飛び込んで来ます。
一握りの女たちを除いて、働く女たちは、皆、貧しく疲れきっています。
その姿を見て、リラは、今まで自分がどんなに恵まれていたのか気付きました。
リラは、親切そうなミュザンの女将さんに、雇ってくれないかと頼んでみました。
女将さんは首を縦に振りません。酔客相手で、しかも安酒場です。
貧しい女将さんには、リラは充分、良家の娘に見えました。
「ちゃんと家に帰ったほうが良いよ。」
ミュザンには、他にも耳の遠い年寄りが働いています。彼女の職を奪うわけにはいきません。
いつも、歴史的なことは、ほぼ鹿島茂さんの本からの知識なんですが、
『この時代、ブルジョワか労働者かを決めるのは、ただひとつ、そこの家の女性が働いているか否か・・・』と
『職業別・パリ風俗』という本に書いてありました。男も働かないほうが偉い時代だし、女性の職場はほぼ底辺労働。
女性は、仕事に生きがいを感じる時代じゃなくて、仕事が無ければ何の保障もない時代。
アンジョルラスの母はリラが帰ってこないのではないかと危惧していました。
養父母たちも、それは同じです。
心配で胸が張り裂けそうでしたが、パリには兄のようなアンジョルラスがいる。
彼とは逢えたようだ。なぜかアンジョルラスも、リラの住所を教えてこないけれど
リラのことは見守ると返事をしてきました。
アンジョルラスも、両親には今の住所を教えていません。
今やろうとしていることが知れたら、大変なことになるでしょう。
連れ戻されるのを怖れているのは、自分も同じだと思いました。
リラとは、なるべく逢いたくないと思っていました。
あの吸い込まれそうな瞳を見るのが怖いのです。
カフェ・ミュザンの連中がリラに興味を持つのも嫌でした。(ふぅ~んw)
なるべく関りあいたくないけれど、母に頼まれたのでは仕方ありません。
自分が逢いたいのではなく、逢わなければならないんだ・・・・・・ママンの命令だから
言い訳ができて良かったですね!
アンジョルラスの母は、パリでリラが世話になった未亡人にも手紙を書きました。
リラの住居を知っていたら教えて欲しい。そして、リラが困ったら助けてやって欲しい。
夫人は、昔、アンジョルラスの両親に大変に世話になっていました。
だから、今回、しぶしぶリラを引き受けました。
彼女にはリラの存在が不思議でなりません。どうして、ここまで面倒を見るの?
夫の隠し子を、世話をしているのかしら?
でも、それなら、一生修道院にでも閉じ込めてしまえば良いのに。
上流の人間には礼を尽くすけれど、なぜ、あんな身分の低い小娘のことを
気にかけなくてはならないのでしょう。
恩返しはしたわ。
『承知しました。出来る限りのことはしたいと思います。ですが、あの娘さんは
行方も告げずに出て行かれて、私は、何もできない状態なのです。
できる限りお探ししますし、何かわかり次第、お伝えします。』
返事を書くと、夫人はそれきり、リラのことは忘れました。
世間的には、夫の死後も貞節な未亡人ですが、実は夫人はメリー・ウィドウ。
若くして資産目当てで老人と結婚したので、次は若くて美しい男と結婚したいのです。
今の愛人は、容姿は端麗だけど、彼女のお金目当て。
そういえば、アンジョルラス家の息子は評判の美男だって聞いたわ。
どんな子なのかしら?(リラが彼を追ってきたとは知らないのです。)
あ、別にそこまで美男じゃないかも・・・(と言われることも多いですよねw)
リラは、毎日、色々な通りを廻って、仕事を探しました。
(えっと、地理も、時代考証も、無視した話が続きますので、よろしく)
そして、ある日、リラはそれまで見たこともないほど美しい通りに出ました。
装飾的な形に曲げられた鉄ときらめくようなガラスの優美な天井のある通りです。
両側には、見たこともないような豪奢な店が並んでいます。
それはパリで大流行のパサージュ(アーケード街)というものでした。
道路には美しいタイルがひかれています。
通りには、美しい淑女と、それに付き従う紳士であふれています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■「パサージュの歴史」(NHK世界ふれあい街歩きのサイトから引用してます。)
「通り抜け」を意味するパサージュ。その歴史は200年以上前までさかのぼることができます。
18世紀の終わりに始まったフランス革命により、当時、王家や貴族が独占していた土地や建物は
資本家の手に渡りました。彼らは、遠まわりをしなければならない通りと通りを近道で結び、そこを新しいタイプの
商業地区にすることを考えつきました。それが、18世紀の終わりから始まった「第一次パサージュブーム」です。
19世紀のはじめ、パリにはなんと100ものパサージュがありました。
当時の道路は泥道が多く、歩道もありませんでした。靴を汚さず馬車も気にしないでウィンドウショッピングが
できるのは画期的でした。鉄とガラスを組み合わせた屋根は、当時としては最先端の技術で、明るく、雨の心配もない
空間が実現し、その下には人々があふれ返りました。
「散歩する」「ぶらぶら歩く」という楽しみの概念も、パサージュから市民に広まったと言われています。
時は流れ、現在のパリには10数か所のパサージュしか残っていません。
19世紀のパリを感じることができる貴重な存在と言えます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
香水瓶が並んだ店、芸術的な細工を施された扇が飾られた店・・・
何よりリラの目をひいたのは、美しいドレスと帽子が飾られた店でした。
細かな刺繍に、艶やかなリボンと、煌くようなビーズ、帽子には美しい造花と
鳥の羽と、チュールがかかっています。
多分、これは、もう少し前の時代かも。ナポレオンの帝政時代かな?
美しいものが大好きなリラは、引き寄せられるように、店の前に立っていました。
中にいた女主人は、先程からリラを見て、お客なのか、グリゼットなのかを
決めかねていました。
グリゼットにしては、身なりが良いし、品がある。
けれど、良家のお嬢様というには、粗末な服だし、お供もいない。
いや、やはり、客では無さそうだ。
落ちぶれた良家の娘が、仕事を探しているんだろうか?
「お嬢さん、何か仕事でも探してるの?」
リラは、それを聞いて、飛び上がりそうになりました。仕事がここにあるの?
実はリラは、手仕事が大好きでした。奥様にレース編みや、刺繍を教えてもらったり
していました。
そうだ、私が刺した刺繍がある・・・リラは手提げを探しました。
(手提げを、この時代の人が持ってたかどうかは知らないけど)
それを見た女主人は驚きました。こんな精緻な刺繍を、こんな小娘が!
どうやら話をすると、非常にうぶで世間を知らない様子です。
まあ、それは悪いことでもないわ。あばずれより、ずっと良い。
それに、この娘、とても可愛らしいじゃないの。
貴族やブルジョワの家に出入りするのにも、品があるので連れて行けそうだ。
奥様がたに帽子をお見せするときに、この娘にかぶらせたら引き立つわ。
リラは雇われることになりました。
洗濯女でも、物売りでも仕方がないと思っていたリラは天にも昇る気持ちになりました。
あんなに綺麗な店で、素晴らしいドレスを作らせてもらえるなんて・・・
自分は何て幸運な娘だろう。
リラはお針子の現実を知りません。
今はただ、このパリで暮らせることになった幸せをかみ締めていました。
まだ既製服が無い時代、人は非常に高価な服を仕立てるか、古着屋で買うか、
安い布を買って、自分で仕立てるかしか方法はありませんでした。
ミシンが発明されたのが1810年、ファッション大国フランスでは、意外に普及が遅かったとか。
それはグリゼットが大量にいて、賃金が安かったからというのも一因らしい。
フランスのバーシレミー・シモニア(Barthelemy Thimonnier)が1830年に特許をとったミシンが、
軍服を縫う目的で1840年に80台生産されたが、失業を恐れた他の仕立て屋によって破壊されたと
いう話もあります。←wikiより丸写しです。
奥方様たちの非常に手の込んだ衣装を、期日までに仕上げるのは大変、酷な仕事です。
徹夜で暗い明かりの下、ずっと手を動かし続けることも珍しくはありません。
なのに払われる賃金は、本当に生活するのがやっとな金額です。
エディは、コゼットとエポニーヌだと、エポニーヌの方が好きって言ってたっけ。
バカげた帽子かぶってないからとか。 これがバカげてるなら、マリー・アントワネットの帽子はどうなる?
貴婦人は、どれだけでも手をかけて凄い帽子をかぶってた。さすがに、この時代にはこんなのは無いけど。
一方、庶民はこんなの。↓
これは、ラ・ボエームの『私の名はミミ』という曲です。
本当の名前はルチアです。って、なんでミミなのかというと、当時のグリゼットは
勝手に可愛い通り名を付けて(あるいは付けられて)いたからだとか。
ファンティーヌも金髪(原作)だから、遊び仲間からブロンド(blonds)と呼ばれていたよね。
ファンティーヌの仲間たちも、好き勝手な名前を付けていた。
お針子のミミが、灯りを借りに来て、詩人のロドルフォと恋に落ちる場面です。
何かを思い出すと思ったら、これです。『月の光に』の3番。
あの当時、火が消えたら、炎を借りて火を点けるのって普通だったのかな?
でも、暗がりで探し物をして、それで恋に落ちるって、そっくりw
なんか、このミミ、結核で死にそうにはない感じ。
とても面白いブログをみつけました。ラ・ボエームの原作について書いてあります。
特にsawaさんにお勧めです。他の記事も面白いよ。