アンジョルラスが好き

おもにAaron Tveitについて
彼に興味が無ければつまらないです。
コメント欄が面白いので読んで下さいね。

アンジョルラスが生きた時代・2

2013-07-17 | アンジョルラスの生きた時代

加古隆の『パリは燃えているか』 とてもドラマティックな曲ですよね。
これも、アンジョルラスにぴったり。

長いのでわけました。良ければ1から読んでね

前の記事で、エポニーヌが固くなったパンを拾って食べたって書いたけど、
そもそも貧民は、パンぐらいしか口にできなかった。
固くなろうが、カビようが、下に落ちてようが、口に入るだけマシ。
牛乳を飲む習慣がパリに定着し始めたのが、18世紀の終わり。
パリ市の城壁の内外で乳牛を飼っている農家のおかみさん達が、朝、絞りたての
牛乳を市の中心部まで売りに来たから。
それにより、カフェオレにパンというフランス独自の朝食ができた。
硬くなったパンを浸して、やわらかくして食べることができたから。
でも、エポニーヌは、牛乳なんて飲めなかっただろうな。カワイソウだな。
コゼットはねぇ、白パンとか、鳥の焼いたのとか、スープとか見て、
「スープだけいただくわ、部屋に運んで」とかね、もう何様だよ!
ちょっと、そこに座れ!と小一時間w

当時は、足(交通手段)のない人間も多かったそうです。
エポニーヌは歩いてますよね。いつも。
コゼットはワンデイモアで馬車に乗ってます。
イギリスに行くのが悲しいんでしょうか。
エポニーヌだったら、イギリスに連れていかれたら、ドーバー海峡泳いで
渡ってくると思うぞ。そして、意外とそういう女のほうが嫌われるもんです
 ふふ・・・男のツボがわかってないのよ・・・こ、言葉を返せません・・・

鉄道が、フランスにできたのが1832年。6月暴動の年。
馬車を持つのが、男性のステイタスだったけれど、それはなかなか
お金のかかることだった。御者もいるから。馬の世話がかりもいる。
乗り合い馬車もあったけれど、貧しいものは徒歩。
橋も通行料がかかるものもあり、通れなくて迂回する場合もあった。
 このお方も、バリケード(予定地)まで走ってます。

あー、でも、アーロンにはぜひ乗馬をやって欲しい。馬に乗れたら、コスチュームプレイが
できるでしょう? て、マリウス、スタントじゃないよね?まさか。
アーロンは、なんとなく、すぐに器用に乗りこなしそうだよね。見たいなぁ、乗馬姿。
 ほい、乗馬免許証 下手なところに馬繋ぐと、テナルディエにすぐ盗まれるよ。
You drives me crazy
あ・・・間違えてるw 

イギリスの貴族と、フランスの貴族には大きな違いがあったそうです。
イギリスでは爵位は当主だけ。死んだら長男に譲られる。
男性が生まれなかったり、息子、全員死んだら、爵位は血縁の者にのみ譲られる。
養子を迎えるのはご法度。貴族が増えることはなく、一部のものが莫大な富と
権力を受け継ぐ。では、次男、三男はというと、教育は受けているので、学者
法律家、実業家、軍人などのとして働き、英国の近代化の礎となった。
いいことだけ書けばそうなんでしょうけど、できの悪い次男三男は?そのほうが多くない?

フランス(他のヨーロッパ諸国も)は、親子、兄弟がそれぞれ爵位を受け、財産も
相応に分与したため、どんどん貴族が増え続け、勤労を蔑視し贅沢にふける上流階級と
税にあえぐ労働者との乖離が進み、さまざまな革命と暴動の繰り返す時代に突入する。
(金を搾り取る人が増えるのって嫌ですよね。もらえる年金制度だって老人支えるの嫌なのに
 貴族には、取られる一方ですからね、むかつくでしょうね。)

フランス革命時には、アメリカ独立戦争にお金を融通して、借金が嵩んだとか、
六月暴動(←アンジョルラスの)の時には、パリの不衛生な住環境が、コレラを
あっという間に大流行させてしまい、下層民の住む場所だけでなく、町は死体と
ゴミの悪臭に満ちていたとか・・・
貧富の差だけじゃなく、民衆の怒りの原因は他にも色々あった。
いつの時代も面倒くさいよね。

トム・フーパーの映画の中で、断トツ嫌なシーンが、あの下水道だろうけど、
パリのトイレ事情、ゴミ、死体処理、もう読んでて気持ち悪くなってくる。
要は、無策で公衆衛生の概念が無い。無いというより、多少あっても追いつかない。
人々は窓から汚物を投げ捨てていた・・・風呂にも入る習慣が無かった。
 下水道は、もの凄い臭気で、一分といられないくらいだったそうです。

あ、アンジョルラス様、生まれてから一度もトイレに行ったことが無いお方だから
これには関係ないと思うけどね。
お風呂に入らなくても綺麗だったろうし、天使だから。

・・・どうなんでしょうねw あまり深く考えないことにしよう。



アンジョルラスは、ミュージカル版より薄くなってるって言われてるけど、
原作にある映像化されてない場面、いつか映画で見たい。

アンジョルラスは裏で色々ちょこちょこ動いてて可愛いのだ。
Lilasさんが言ってたけど、Bring Him Homeをバルジャンが歌ってるときにも、アンジョルラスは
闇に紛れて、よそのバリケードを視察に行ってる。
暗闇の中を鷲のように翳り回って、明け方に、生き生きとしたバラのような姿で戻ってくる。
鷲はわかるけど、バラ?(←原作) まあ、いいや。とにかくマメなんだよ。

アンジョルラスは、事変を予感して、仲間を増やそうと色々、水面下で努力してる。
メンバーを振り分けて、色々な場所に行かせて、新人?勧誘してたりとか。
マリウスが来なくなった(原作では恋のためじゃないんだけどね)んで、人手が足りない。
そこで、さんざん期待を裏切ってるグランテールを信用して、お使いに出したけど、やっぱり
心配になって、覗きにいったりする。可愛いよねーーー(Patさんもお気に入りの場面)

たぶんね、その日の日程表、計画表(週間、月間 そして年間も)とか、当番表とか、敵味方の分布図とか、
資金や武器の入手先の名簿とか、出納帳とか、メンバーの住所録とか作ってたと思うんだよね。
いや、コンブフェールとか、プルーヴェールとかがやってくれるかな。
でも、任せきりにはしないで、しょっちゅうチェックしそうw
それと、色んな兵法とか戦術に(趣味もあって)思いをめぐらせる時間もいるし。

おい、今月の部費、まだ払ってないヤツがいるぞ! すぐに払わないとTSUTAYA並みの延滞料、取るよ!

勝負服もクリーニングから取ってこなくちゃならないし

無実の門番を撃ち殺した男の処刑と、砲兵隊長の銃殺。このシーンも欲しい。
やらなくてはならないいことは辛くても、自らが手を汚す。

アンジョルラス・・・(言ってみただけ

門番を撃ち殺した男の処刑シーンは、陰惨であるべきシーンを妙にパセティック(悲劇的で感動的)に
描き出していると、ラマルティーヌに批判を受けたとか。

でも、このシーンで、時計で時間を測りながら、処刑に及ぶアンジョルラス様、かっこいいんだよね。
 
おわり。長いね、ごめん。

アンジョルラスが生きた時代・ 1

2013-07-17 | アンジョルラスの生きた時代
小さいコゼットが大きな箒を持ちながら悲しそうに歌う歌。
雲のお城に行きたいな。そこでは誰も叱る人はいないの。

お掃除もできないんだ、床がないから
(There)Aren't any floors for me to sweep

可愛い歌詞です。

19世紀のこのころの家にはさすがに床はあったけど、上水道はない。
もちろん電気もガスもない。
コゼットは、暗い森の中の井戸に水を汲みに行かされてる。
寒いなか、木靴を履いて。

というわけで、19世紀前半の人々が、どういう暮らしをしていたのか、ちょっと
目にとまったものを集めてみました。いつもながら、ばらばらと。

コゼットはボロボロの雑巾を巻いたようなものを抱きしめている。
あれはコゼットにとっての人形。原作では、ボロ布で巻いているのは錆びたナイフ。
なぜ、そんなものを人形にしているかというと、当時の赤ん坊は布でぐるぐるに巻かれていたから。
それが、赤ん坊の体に良いと思われていたから。ひぇ~
人手がないから動かないようにグルグル巻きにされてたのかと思ったけど違うんだ。

イギリスでは、貧民はジンを赤ん坊に飲ませて眠らせてたという話を読んだことがある。
ホガースのジン横丁。ロンドンの貧民街でジンに溺れる人々。ジンは安酒で強いので、
貧民たちの生活を蝕んでいた。


17・18世紀のフランスの育児
前にも貼ったけど、もう一度。
子供部屋とか、子供の人権とか、児童書とか、そういったものの歴史は意外と浅い。
コゼットは、その後、プティ・ピクピュス修道院で教育を受けるけど、これは
当時の中流以上の女性が受ける教育機関で、別に修道女になるわけではないんだよね。
全寮制の女子校のようなもの。しかし、そこでは男性を目にすることはない。
卒業式があるわけでもなく、親の意向で、ずっと入れられている女性もいた。
理由は、当時のフランスは女性も相続権があったから。それが仇になり、財産を
持参金として減らすのを嫌がった一族が、娘をずっと修道院に入れたままにした。
うわーーー。と言っても、わりと良い待遇で他の庶民や、夫に苦しむ人なんかから
見たら、悪くもない生活ともいえた。とはいえ、現代人から見たら・・・うーん。

ただ、イギリスも長男だけが相続権を持っていたので、次男は自活の道を探らなくては
ならないし、娘たちは、結婚相手を探さなくてはならなかった。
男の跡継ぎが居なければ、親戚の男が財産を相続したので、娘たちは文無しになることも
あった。下層の女性以外は働き口がなかったので、結婚できないのは就職できないのより
もっと大変。まさに死活問題。どちらの国も、一長一短?


修道院での娘たちの教育は躾や社交、信仰心に重きを置かれ、男性のように教育に重きは
置かれなかった。
修道院で教育を受けた女性が陥りがちな罠をボヴァリズムと言って
問題視する人たちがいた。ユーゴーもそのひとりだった。
 
ボヴァリー夫人がさえない夫と結婚をする場面

ボヴァリズムとは、少女時代、外界に全く触れず、暇を見ては、ロマンス小説を
読みふけり、夢と現実の区別のつかない、少女趣味でありながら、無責任で自己中心的な
女性を、小説ボヴァリー夫人の主人公エンマになぞらえたもの。
エンマは凡庸な夫を嫌い、常に理想の恋人を夢見て、不倫と借金を重ねて・・・ついには自殺
て、ちょっと極端でしょw 

彼女たちの求める男性は、容姿端麗で、高貴で、やさしく、獅子のように強い。

て、アンジョルラス?
 うわ、嫌だ。そんなタイプの女

修道院には閉じ込められてないけど、ネットには閉じ込められてるかもなぁ。
時代は変わっても、ボヴァリズムは健在?



パリの公園にガス灯が灯ったのが1829年。
1797年にイギリスのマンチェスターで、ガス灯が灯る。
もちろん、個人の家庭ではオイルランプでガスはまだない。

暖房は?何かマキみたいなものを暖炉で燃やしてた?
石炭とか?木炭?あっても、家庭ではマキ?
貧乏な家庭では火の気はなし。パリは寒いよね。
六月暴動のとき、みんな上着着てる。高緯度だからね、日本より。
パリは緯度48,5度、緯度43度の北海道より北。
夏でも朝・夕は冷える。最近は暑いらしいけど。
でも、猛暑の日本にいると、羨ましいな。

バルジャンは、自分の部屋は暖房なし。コゼットには良い部屋で暖房完備。
コゼットはバルジャンを心配して、ずっと彼の部屋にいる。
なぜなら、コゼットがいると寒いままにしておけないから。
食べるものも、黒パン。コゼットが私だけ白パンは嫌だ~、パパと同じものを
食べるっていうので、仕方なく白パンを食べることにする。
て、この頃までの、ちびのコゼットかわいい。


水も質が悪いので、水売りから買ったりしなければならなかった。
悪質な水売りは、セーヌ川の水をだまして、そのまま売ったりしてた。
洗濯は、水道がないので、洗濯に出す。
既製服がないので、仕立て屋か、古着屋。
基本、入浴の習慣は無かった。
あ、でも、マリー・アントワネットは入浴してたよ。映画で見たもんね。
あのフランス革命も起こらないソフィア・コッポラの●●映画で・・・
ということは、アンジョルラス様も入浴してたよね?(決めた!)
 この映画、宮廷の退屈さだけは嫌というほど伝わりました。

そもそも水道もないので、外で食事をするほうが楽だった。
そのため、カフェや居酒屋は、商売や求人、借金、さまざまな
情報交換が行われる社交場になり、人々は長居をした。
長居すれば、灯りも暖房も節約できたから。

カフェの主人は、回転率悪くて大変だw

アンジョルラスが政変が起こるのを予感して、色々なところをまわって下調べして
味方を集めようとするんだけど(彼はマメ。彼とジャベールは本当にマメw)
学生や、法律家の卵や、医者の卵だけではなく、石工や馬具職人、酒樽人足(酒樽を運ぶ人?)
さまざまな階層の人たちが一触即発の空気の中にいた。

18世紀には、フランスでは男性の識字率は全体の50%。都市部の第3身分(平民)の上位は
ほぼ100%の識字率になっており、カフェには新聞などの政治的な
読み物が置かれ、それが様々な政治談議を生み、世論を生み出した。

中国に茶館、イギリスにはパブ、日本には銭湯(の2階)、世界には
似たような社交場があるよね。女は行かないけど。
では女たちは? 貧しい女たちは、どこで何を食べてたんだろう?

裕福な女性なら、家に立派な台所があって、女中や料理長がいただろうし
サロンや、舞踏会なんかもあっただろうけど。
女性の外食って、どうだったんだろうね。
エポニーヌの外食は、外で落ちてるものを拾って食べるとか?
いや、冗談じゃなく、エポニーヌはいつも飢えてたんだよね。
マリウスの部屋で、カビの生えたカチカチのパンのカケラに噛り付いて
「うまい、固い、歯が欠けそうだ!」 ここは泣ける。
数日間、ものを食べないなんてザラ、水は雨とか、セーヌの水を飲んでたのかな?
よその馬小屋にこっそり寝泊りしたりとか・・・
 マリウスの部屋でうろうろするエポニーヌ。
そして「マリウスさん、あなた、自分がいい男だって知ってる?」 うわ、直球w
・・・・ひかれてしまいました。シクシク

同じころ、コゼットは急に美しくなり、ファッションにも目覚めて、うわ、私、
なんてダサダサ。これからはブランドものしか着ないわよ~って感じになる。
何はなくとも、ファッションにだけはすぐ精通するのが若い娘。
パリでも有数のお洒落番長になるのでした。
そして、それをみて、バルジャンは、ショボーン 私の小さなコゼットが~~カワイソウ
 シマムラ@リュードラペ店で仕立てたのよ、ほほほ

しかし、コゼットは、もう後戻りはしない。
最強の属性(美貌)とアイテム(ファッション)とスキル(アホマリウスくらいなら
簡単にものにできる手管)を手に入れたからである。

長いので、いったん切ります。続きます、とりとめもなく


マリウスとコゼットの未来予想図

2013-06-20 | アンジョルラスの生きた時代

革命のエチュードにしようかと思ったけど、こちらのほうが悲しいから、これで。
ショパンのノクターン20番
アンジョルラスのはかない人生に捧げます(自分で作ってないけど)


アンジョルラスの過去を知りたくて、ちょっと調べてみた。
フランスの19世紀前半の教育に関して、出てきた言葉がこれ。

寄宿学校 高等中学 
大学 神学校 家庭教師 グランゼコール コレージュ(カレッジ?)
エコール・ノルマル エコール・ポリテクニーク(理工科学校)エコールノルマル音楽院
  

どれが寄宿学校(全寮制)で、どれが通学式なのか、それもわからない。
グランゼコールというものの中に、エコールが含まれているみたいだけど、よくわからない。
リセがこの当時、中学なのか高校なのか、中高一貫なのかもわからない。 

わかってない私が説明するわけにはいかないし・・・

生きた言葉で語ってる所がないかなと探してみたら、面白いブログがあった。
ここを読むと、ファンティーヌがコゼットを里子に出した理由がわかるかも。すごく面白いブログだよ。

フランスのエリートたちについてや、ソルボンヌ大学って実は存在しないとか、色々書いてある。

結局、アンジョルラス様が、どういう教育を受けて、どこで育ったかなんて想像もつかない。
ユゴー先生、もう少し頑張って書いてくれたらよかったのにという気もするが、書いてないから
彼のカリスマ性や、神秘性が高まるとも言えるよね。
下手な想像はイメージを壊すことにもなりかねないから、これでやめる。

引き続き、コメント欄で妄想を繰り広げましょう。

充分、壊されてる気もするが・・・

Patさんのブログの記事で、アンジョルラスが1806年生まれで、マリウスが1810年生まれになってました。
マリウス、ショパンやシューマンと同じ年の生まれだ。ほぉ・・・
ショパンは革命のエチュードを1831年に作曲してるのね。どうせなら1832年の6月にして欲しかった。
アンジョルラスは、ピアノ教則本のブルグミューラーと同じ年だ。
ブルネル(鉄道、船舶の技術者)とも同じ年。
アンジョルラスが、死ぬ日に、彼にしては珍しく・・・というか、一度だけ、長広舌を振るう場面がある。
文庫本にして、4ページ弱。ひとりで語る。

「文化、文明、自由、平等が未来にあり、戦争、飢饉、犯罪は過去のものとなるだろう(しなければならないってことだよね)
19世紀は偉大であるが、20世紀は幸福であるだろう(超ザックリでごめん)
ここで死ぬものは、未来の光明のうちに死ぬのである。われわれは曙の光に満ちたる墳墓の中に入るのである」
ジハードの自爆テロみたいだけど、もうどうであれ、後には引けないからなぁ。

20世紀が戦争の世紀なのは間違いないから、アンジョルラスの未来予想図は大外れなわけだけど、
彼のような人たちがいたからこそ築けたものは、たくさんあるだろう。(←すごい適当な結論)


作者のユゴーは、アンジョルラスより4歳上。
83歳まで生きてるから、エッフェル塔とパリ万博は見れてないけど、時代は大きく変わり、パリはナポレオン三世の
大改革で、上下水道ができて(コレラなどの伝染病が激減)道路も広く整備され、バリケードを簡単に築けなくなった。
ユゴーは19世紀を最後まで見てるんだね。ナポレオン三世が大嫌いで、フランスにいない時期も長かったけど。

アンジョルラスは、ナポレオン帝政時代(1804~1814)の1806年に生まれてる。
王政復古とナポレオンの百日天下のときにはまだ子供だけど、その後の15年続いた第二王政復古の時代に
成長して、ルイ・フィリップの7月王政(1830~1848)の1832年に命を落としている。

怪蛇(汽船)怪竜(機関車、おそらく英国のグリフォン(軽気球)のことについて、最後のスピーチで
少し語ってるけど、アンジョルラス自身は、機関車には乗ったことはあるだろうか?


アンジョルラスの死んだ年にフランス最初の鉄道が開通してる。

蒸気船は乗ったことあるだろうか?帆船は? パリへは馬車で出てきたんだよね?
外国に行ったことはあるだろうか? 彼は花が咲いても、そこに銃を隠すという意外の価値を見出せなかったし、季節を感じることもなかった。女性に目をとめることもなかった。
いつも心は、古今東西の戦争や革命のことにあった・・・って・・・
ある意味すごい人生。

マリウスとコゼットは、お金も地位もあるし、幸せに生きただろうね。
コゼットはもしかして、ボン・マルシェ百貨店(最初のデパート)でお買い物をしたかもしれない。
サロンに出入りして、ロマン派のピアノ演奏を聴いたり、オペラ座で観劇したりしたかも。
『ポンメルシー男爵夫人と娘たちの肖像』とかを、有名な肖像画家に描かせたかもしれない。

エッフェル塔にも登ったり、旅行もしただろうか。
大西洋汽船や、鉄道に乗って、優雅に旅行したかも。
老後の楽しみにパリからイスタンブールにオリエント急行で旅したかも。
コゼット、100歳くらいまで生きなければ、第一次大戦は来ないので、ふたりは幸せに暮らしたんではないかな。
子や孫には受難の時代が来るけど。

アンジョルラスは、デパートできても、銃のバーゲンセールに行くくらいしか能がないだろうし、
旅行も、『JTBが選ぶ東欧・ロシア 血塗られた侵略の歴史をたどる5日間』とかに行きたがって、奥さんから
白い目でにらまれるだろうから、ある意味、早く散って良かった?

早く死ぬってことは、未来と別れるってことなんだよね。改めて、可哀そうだと思った。


もうすぐDVD/BDが発売になるけど、若い革命家たちの映像は無いみたい。
フォトブック、坊主(ガリバルジャン)と坊主(デブ)と、坊主(アカデミー)で埋め尽くされてたら
嫌だな。あ、映画ではラッセルは坊主じゃないか。


Patさんのブログ、新装開店ですよ☆

2013-06-16 | アンジョルラスの生きた時代

ここのコメント欄で、非常に情報量の多いコメントをして下さるPatさんが
TO THE BARRICADES!というブログを開設されました。
さっそく見せていただいて、本当に驚きました。
フランスのwikiまであたられていて、びっくりするような情報量です。
レミゼラブルとフランスの歴史年表もあれば、バリケードボーイズの年表もある、
アーロンと、ボーイズと、ヒュー様の撮影スケジュール表まであるんですよ。

フランスの歴史年表といっても、とっても洒落がきいてて、なんとベルばらの登場人物の
歴史まで組み込まれてますw 
まだ見てない人は、ぜひ行ってみてね。
とにかく、濃さにびっくりします。

これは、アーロンに歌って欲しいというより、アンジョルラスがきっと歌ったと思う、
ラ・マルセイエーズです。Patさんのサイトに行けば、この歌の誕生年もわかりますよ。



 Pat・・・りあ・・・ぱとりあ・・・