RCCイマなまっ の収録にRCC中国放送のカメラスタッフの可愛い子さんなどが アイランド理容室 に入って来られた この理容室には過去の有名人として・・ 広島東洋カープの高橋義彦氏(父の友人が呼んでくださりました)、父の小学生ソフトボール監督としてのドキュメンタリー番組を制作するためにNHKのスタッフさんたち 更には隠岐民謡の伝承者であります、会長、奥様、ナシ先輩、更には広島県の赤田鶴子先生など本当に歴史に名を刻まれる素晴らしい方々が来店をしてくださいました
私は一人で思ってるんです 散髪をして民謡を楽しめる床屋って 世界中探しても、ここだけじゃないかなと だから・・ あっ そうそう、この間、広島市のホームに民謡慰問に向かう時、呉市と広島市の間の坂あたりの道路で RCCと大きく書かれた派手な格好の良い車とすれ違いましてね 僕は、何年か前から・・ 三味線や民謡を頑張って練習していれば、いつの日か、どなたかその行動をテレビ局に伝えてくださる方が現れるかもしれないのだと
そう憧れて生きてきたのでした そして凄く意外なことなのですが、最近、よーく江田島が紹介されるようになりましてね~~ あっ 知ってる知ってる あのお店だ なーんて自分のことのように驚いていたのでした だけども、私って正直、あまり友人関係がなくって だから、そもそも紹介してくださる友達お付き合いなんか出来ていないので無理だよな~なんて諦めかけてた時だったのでした
そしたら、月曜日のお休みに知らない電話番号から電話が入ってきました 私は知らない人からの電話は取りません 詐欺に一番かかりやすいタチな私は無視 その電話の主さんは諦めません 電話でダメと思った相手は、今度はメッセンジャーにて知らせてくれたのです そうです そんな私にも愛の手を差し伸べてくださる救いの神が存在したのです その方は 江田島では超有名人の
濱口醤油さんでした
いやー これで私は大きな借りが出来ました 社長の彼が、RCCイマなまっ!さんに私のことを紹介してくださってたのです 一体、どのように紹介してくださったのかは・・ 今度、こっそりと奥様に伺ってみとうございますね それで、私は取材を受けるお約束をしまして、7月4日(木)夕方4時15分辺りからの放送予定となることになりました
今日のタイトルは おい母さん ちょっと待て どうなってんだ!? についてのお話ですが、収録の日、母は歯医者に出掛けてたんです。 それで、私の民謡を手伝ってくれる助っ人を探そうと私は必死だったのでした 尺八が吹ける二宮さんに電話しましたが、あいにくお仕事で間に合わないと しかし、音戸の合いの手のプロであります田村さんが、駆け付けてくださいましたよ この二人で何とかしなければと思ってた矢先 外に母が見えました 帰ってきたんですね
私は母に、駄目下で苦し紛れに伝えました 『母さん隠岐しげさ節、唄ってくれないかな~』 母は最近、ずっと私と唄付けをしていませんでした 年を取り、唄付けも疲れてきたのだと言われてたのです。 それに慰問にも勘弁してちょうだいねと避けていたのでした。 だから、ましてやテレビ局が撮影するのだから、当然、断られると7割予測してたのです ところが 母は
『ああ いいよ』
と笑顔で応えてくれました まるで母が女神に見えました 母さん助けてくれてありがとう なんとか形らしく撮影お陰様で出来ました 初めて隠岐の島に渡り、全国大会の初級の部門で歌ったあの時の母・・ 緊張して息がハァハァ 伸びが足りず少し苦しそうな歌でした そりゃそうです あんな凄い競技者がわんさかうずめく民謡の本場での舞台上で並のハートなんかじゃまともに歌えるはずもありません
そんな母が、今やなんと
テレビ局の前で 堂々と歌いこなしたのです その人からこの世に産まれたはずのゆうさんはどうかと申しますと・・ 正直に緊張してガチガチ、三味線の胴と膝との間に上着お袖を挟んでしまったままで三味線はズレそうに なったまま弾くし 隠岐しげさ節の上級部門の舞台上よりも緊張してしまってたのでした
そんな中、母は何事もなかったかのようにミスなく伸びのあるベルカント奏法を見事に披露 中国放送に対し、誠に見事な 島根県民謡 隠岐しげさ節 を唄い切ったのでした いや、母さんから生まれて来れて本当に良かった こんな度胸、一体、どうやって養って生きてきたのか
この人には一生勝てないのだということを心底、痛感した一日となりました いやー 僕じゃなくて 隠岐の島の伝説者 夢先生やナシ先輩が伴奏してくださったのなら、どんなに素晴らしくなってたのかなー なんて夢ごとを想像してたゆうさんでした 本日も誠に長文をお読みくださりまして、ありがとうございました
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私は一人で思ってるんです 散髪をして民謡を楽しめる床屋って 世界中探しても、ここだけじゃないかなと だから・・ あっ そうそう、この間、広島市のホームに民謡慰問に向かう時、呉市と広島市の間の坂あたりの道路で RCCと大きく書かれた派手な格好の良い車とすれ違いましてね 僕は、何年か前から・・ 三味線や民謡を頑張って練習していれば、いつの日か、どなたかその行動をテレビ局に伝えてくださる方が現れるかもしれないのだと
そう憧れて生きてきたのでした そして凄く意外なことなのですが、最近、よーく江田島が紹介されるようになりましてね~~ あっ 知ってる知ってる あのお店だ なーんて自分のことのように驚いていたのでした だけども、私って正直、あまり友人関係がなくって だから、そもそも紹介してくださる友達お付き合いなんか出来ていないので無理だよな~なんて諦めかけてた時だったのでした
そしたら、月曜日のお休みに知らない電話番号から電話が入ってきました 私は知らない人からの電話は取りません 詐欺に一番かかりやすいタチな私は無視 その電話の主さんは諦めません 電話でダメと思った相手は、今度はメッセンジャーにて知らせてくれたのです そうです そんな私にも愛の手を差し伸べてくださる救いの神が存在したのです その方は 江田島では超有名人の
濱口醤油さんでした
いやー これで私は大きな借りが出来ました 社長の彼が、RCCイマなまっ!さんに私のことを紹介してくださってたのです 一体、どのように紹介してくださったのかは・・ 今度、こっそりと奥様に伺ってみとうございますね それで、私は取材を受けるお約束をしまして、7月4日(木)夕方4時15分辺りからの放送予定となることになりました
今日のタイトルは おい母さん ちょっと待て どうなってんだ!? についてのお話ですが、収録の日、母は歯医者に出掛けてたんです。 それで、私の民謡を手伝ってくれる助っ人を探そうと私は必死だったのでした 尺八が吹ける二宮さんに電話しましたが、あいにくお仕事で間に合わないと しかし、音戸の合いの手のプロであります田村さんが、駆け付けてくださいましたよ この二人で何とかしなければと思ってた矢先 外に母が見えました 帰ってきたんですね
私は母に、駄目下で苦し紛れに伝えました 『母さん隠岐しげさ節、唄ってくれないかな~』 母は最近、ずっと私と唄付けをしていませんでした 年を取り、唄付けも疲れてきたのだと言われてたのです。 それに慰問にも勘弁してちょうだいねと避けていたのでした。 だから、ましてやテレビ局が撮影するのだから、当然、断られると7割予測してたのです ところが 母は
『ああ いいよ』
と笑顔で応えてくれました まるで母が女神に見えました 母さん助けてくれてありがとう なんとか形らしく撮影お陰様で出来ました 初めて隠岐の島に渡り、全国大会の初級の部門で歌ったあの時の母・・ 緊張して息がハァハァ 伸びが足りず少し苦しそうな歌でした そりゃそうです あんな凄い競技者がわんさかうずめく民謡の本場での舞台上で並のハートなんかじゃまともに歌えるはずもありません
そんな母が、今やなんと
テレビ局の前で 堂々と歌いこなしたのです その人からこの世に産まれたはずのゆうさんはどうかと申しますと・・ 正直に緊張してガチガチ、三味線の胴と膝との間に上着お袖を挟んでしまったままで三味線はズレそうに なったまま弾くし 隠岐しげさ節の上級部門の舞台上よりも緊張してしまってたのでした
そんな中、母は何事もなかったかのようにミスなく伸びのあるベルカント奏法を見事に披露 中国放送に対し、誠に見事な 島根県民謡 隠岐しげさ節 を唄い切ったのでした いや、母さんから生まれて来れて本当に良かった こんな度胸、一体、どうやって養って生きてきたのか
この人には一生勝てないのだということを心底、痛感した一日となりました いやー 僕じゃなくて 隠岐の島の伝説者 夢先生やナシ先輩が伴奏してくださったのなら、どんなに素晴らしくなってたのかなー なんて夢ごとを想像してたゆうさんでした 本日も誠に長文をお読みくださりまして、ありがとうございました
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