和楽ファンの皆様こんばんは今夜はテレビで観た悲しいお話を書かせていただこうと思います。
衛生テレビで今日の午後、戦争の証言を放映しておりました。 私は日本人として、先輩方の辛さや苦労、体験などを聞いておきたいと思い、聞くのが痛いことをわかっていて聞きました。
戦争体験を語ってくださったのは、日本人の72~88歳くらいまでの方々でした。
私は産まれた時から、食べ物に困った経験は全くなかった。 だから・・ 食べ物のない苦しみなどわからないのです。
果たしてこれでいいのだろうか・・ 食べ物のない経験をしないまま、もう41年間も生きている。 食べる物がないということがどれだけ地獄であるのか!? 昔戦争を体験した先輩方の証言から私は信じられないことを聞く。
戦地で食料や医療などを運ぶ舟をアメリカに撃沈され食料、医療品を失った日本兵・・
生きてゆくために仲間を殺し共食いをしたそうです。 それは経験した人にしか決してわからない生き地獄の世界だろうと私は涙した。
日本がレイテという場所を占領しようとした頃・・ その現地の人達は、攻めてきた日本人に随分とひどいことをされたらしく(日本兵も食べるために仕方なかった)現地の人達は日本兵を恨んだそうです。
アメリカは、そこを利用・・ 現地の対日本のゲリラ部隊に武器を配り、日本兵は、わからぬ現地人から狙われるようになった・・ 戦争で自分達の土地に侵略されひどい目にあわされた現地の人達の恨みはゲリラ部隊になり・・
それが日本人兵士達を苦しめた・・ やがて日本兵の長が決断指令する!! 「ゲリラ部隊は見えない敵だ! 現地の民間人、子供から年寄りまで全て殺害せよ!」 当時、上の命令は絶対であり・・
逆らうと軍法会議にかけられ死刑だという・・ 死刑にならなくとも、親族がまずいことになるという・・ 命令を受けた兵士達は、やりたくない指令を実行に移すしか手がなかった
やがてアメリカが進行してきて日本は負けた・・ そこで、現地人が呼び出され・・ 自分達の親族が殺された相手(日本兵)の顔がわかるなら・・ 指を差しにゆけとの命令に 何人も日本兵は指を指され刑場に登ったという。
その中の一人の光景が今でも思い出に焼け付いて忘れられないと証言してくださった。
その男性兵士は、指をさされアメリカ兵に連行され 13階段へと向かい・・
その階段を登りながら秋田民謡の おばこ節を唄ったという
自分の命が絞首刑で終わろうとする最後に おばこ節 ・・ その光景を観た証言者は、涙が止まらなかったと語った まさか、そんな極限の状況で民謡を唄った先人がいたのだと思うと私は民謡に対する気持ち、考え方が変わった。
やはり民謡というものは、人の心を癒す、我がふるさとの宝なのだと痛感した。 その兵士のふるさとは東北で、秋田だったのではないだろうか・・ 母親が口ずさんでいたのかもしれない。
私も父がよく風呂場で 兄弟船(民謡ではないが・・)を唄っていたな・・ 母は しげさ節・・ その東北出身であった日本兵さんが・・ いったいどんな思いで 秋田おばこを唄われたのか!?
自分が好きで現地人を殺したわけではない 上官の命令は絶対で逆らうことなどできない そんな時代に私は産まれなかった事実・・ 皆さんも同じ。
毎日、三味線を弾いては ご飯を当たり前に食べている。 誰も殺さなくてもいいし、ふるさとに今、住んでいる。 でも、そんな当たり前なことをいったい誰が有難く思えることなのか
しかし人間として想像しなくてはならないと思う。 先人の地獄の経験をあすの未来に活かしてゆけるのは、私達だからである 私は証言してくださった先輩方にお礼が言いたい。
どんなに思い出したくなかったであろう どんなに酷い証言を言い辛かったであろう でも、今までずっと黙って生きてきてみて・・ もう限り少ない人生の終わりが近くなる中で・・
本当の思い、後世に残してゆかなければならない実話だからこそ、勇気を振り絞って証言されたのだと私は思うのです。 戦争は絶対に行なってはなりません。 戦争は人間の行う最低のことだと私は思います。
私は忘れない 日本の未来のために・・ そしてその思いも全て民謡に吹き込んで成長させようと考えているのです どんなにわずかでもいい民謡を世界平和に繋げたい
ご拝読 誠に有り難うございました
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衛生テレビで今日の午後、戦争の証言を放映しておりました。 私は日本人として、先輩方の辛さや苦労、体験などを聞いておきたいと思い、聞くのが痛いことをわかっていて聞きました。
戦争体験を語ってくださったのは、日本人の72~88歳くらいまでの方々でした。
私は産まれた時から、食べ物に困った経験は全くなかった。 だから・・ 食べ物のない苦しみなどわからないのです。
果たしてこれでいいのだろうか・・ 食べ物のない経験をしないまま、もう41年間も生きている。 食べる物がないということがどれだけ地獄であるのか!? 昔戦争を体験した先輩方の証言から私は信じられないことを聞く。
戦地で食料や医療などを運ぶ舟をアメリカに撃沈され食料、医療品を失った日本兵・・
生きてゆくために仲間を殺し共食いをしたそうです。 それは経験した人にしか決してわからない生き地獄の世界だろうと私は涙した。
日本がレイテという場所を占領しようとした頃・・ その現地の人達は、攻めてきた日本人に随分とひどいことをされたらしく(日本兵も食べるために仕方なかった)現地の人達は日本兵を恨んだそうです。
アメリカは、そこを利用・・ 現地の対日本のゲリラ部隊に武器を配り、日本兵は、わからぬ現地人から狙われるようになった・・ 戦争で自分達の土地に侵略されひどい目にあわされた現地の人達の恨みはゲリラ部隊になり・・
それが日本人兵士達を苦しめた・・ やがて日本兵の長が決断指令する!! 「ゲリラ部隊は見えない敵だ! 現地の民間人、子供から年寄りまで全て殺害せよ!」 当時、上の命令は絶対であり・・
逆らうと軍法会議にかけられ死刑だという・・ 死刑にならなくとも、親族がまずいことになるという・・ 命令を受けた兵士達は、やりたくない指令を実行に移すしか手がなかった
やがてアメリカが進行してきて日本は負けた・・ そこで、現地人が呼び出され・・ 自分達の親族が殺された相手(日本兵)の顔がわかるなら・・ 指を差しにゆけとの命令に 何人も日本兵は指を指され刑場に登ったという。
その中の一人の光景が今でも思い出に焼け付いて忘れられないと証言してくださった。
その男性兵士は、指をさされアメリカ兵に連行され 13階段へと向かい・・
その階段を登りながら秋田民謡の おばこ節を唄ったという
自分の命が絞首刑で終わろうとする最後に おばこ節 ・・ その光景を観た証言者は、涙が止まらなかったと語った まさか、そんな極限の状況で民謡を唄った先人がいたのだと思うと私は民謡に対する気持ち、考え方が変わった。
やはり民謡というものは、人の心を癒す、我がふるさとの宝なのだと痛感した。 その兵士のふるさとは東北で、秋田だったのではないだろうか・・ 母親が口ずさんでいたのかもしれない。
私も父がよく風呂場で 兄弟船(民謡ではないが・・)を唄っていたな・・ 母は しげさ節・・ その東北出身であった日本兵さんが・・ いったいどんな思いで 秋田おばこを唄われたのか!?
自分が好きで現地人を殺したわけではない 上官の命令は絶対で逆らうことなどできない そんな時代に私は産まれなかった事実・・ 皆さんも同じ。
毎日、三味線を弾いては ご飯を当たり前に食べている。 誰も殺さなくてもいいし、ふるさとに今、住んでいる。 でも、そんな当たり前なことをいったい誰が有難く思えることなのか
しかし人間として想像しなくてはならないと思う。 先人の地獄の経験をあすの未来に活かしてゆけるのは、私達だからである 私は証言してくださった先輩方にお礼が言いたい。
どんなに思い出したくなかったであろう どんなに酷い証言を言い辛かったであろう でも、今までずっと黙って生きてきてみて・・ もう限り少ない人生の終わりが近くなる中で・・
本当の思い、後世に残してゆかなければならない実話だからこそ、勇気を振り絞って証言されたのだと私は思うのです。 戦争は絶対に行なってはなりません。 戦争は人間の行う最低のことだと私は思います。
私は忘れない 日本の未来のために・・ そしてその思いも全て民謡に吹き込んで成長させようと考えているのです どんなにわずかでもいい民謡を世界平和に繋げたい
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毎年、終戦記念日が近くなると、色々なドキュメンタリー番組がありますね。 最近は少なくなってきたと思われます。
まだ、娘達が幼い頃に、アニメとして放映され、幼い子供心にも響くものがあったらしく、はだしのゲンのコミックを借りては読みふけっていましたよ。
当たり前な平和な日常は、先人達の貢献の賜物。
大事に毎日を生きましょう。
私は民謡は日本の心のふるさとだと思うのです。 先人達と戯れることのできる素晴らしい宝物 それが民謡ではないだろうか・・
私達がなにげなく唄ったり、弾いていたりする1曲1曲に・・
私達が知らないエピソードが何百、何千と隠れているのです。 そこに先人達の魂や心が残されている。
その曲、日本の伝統を守ってゆく私達は、まさに日本の宝物そのもののなのであります。
民謡の技だけを磨くのではなく、今こそ、心と心を合わせ平和を願い、美しい音色を生み出してゆく。
それがきっとこの先の世界の平和への貢献に繋がってゆくのだと信じてお互いに頑張りましょうぞ!!
民謡に幸あれ