知人で何人か学校の先生になった方がいて、
いろいろと話をしたことがある。
もう相当前(10年くらい)の
印象。
「学校の先生って、性的なことにやたらと興味があるのかな??」
(だれとだれが付き合ってるという話題、あるいは結婚しているかどうか、付き合っている
人がいるかどうかなどの話題にあまりにも執着している先生方の間に居て、いやな想いをしているご様子でした)
「学校の先生って、生徒に手を出すの結構あるのかな?」
(教員同士の結婚式にて『生徒に手をだすんじゃねーぞーー』という掛け声。
教員同士なので式場に集まった客も教員だらけの場での発言。
<<結婚した新郎への発言です。)
「やっぱり政治的な力がないと教員になれないのかな?』
(正式採用されないで何年も経過している教員に向かって、学校長が『だれか知り合いの政治家がいないのかね?』と言ったとか)
今回の東須磨の件を見ていると、
とにかく
学校の先生の世界は
政治的な匂いと
性的な(というか本能むき出し?)匂いがします。
あのような横暴さが許される背景には
ある固着したヒエラルキーが存在するのだろうし、
それには政治や、政治と直接の結びつきではなくても権力構造が存在するからでしょう。
そして、生徒同士のいじめも認め辛い環境要因があるはずです。
問題を顕在化することを非常に嫌う体質。
また、
どういうわけか、
先生が「結婚してないのか」とか
「子供はできたか?」とか
「付き合っている人はいるのか?」
とか
「どの先生がどの先生とあやしいんじゃないか」とか
いうことに
やたらと感心が強い傾向が見られる気がします。
狭い世界なんですね。
きっと。
忙しく、時間もなく、ストレスの高い職場だからなのかな??
こんな状態に「教師」を置いておくのも
「考えない」で上から押し付けられた教育を、従順にそのまま生徒へ教える
役割を果たすネジみたいな教師にして置きたいのかもしれない、などと
思ってしまった。
その上で、
なんとなく上に媚びへつらって、気に入られるほうが
出世するような状況が作られているのかもしれない。
などと
おもってしまいました。