竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

至上の暮春の景

2011-04-22 09:18:01 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・新古今集耕読(27)

至上の暮春の景

    五十首歌たてまつりし時     
寂蓮法師
暮れてゆく 春のみなとは しらねども
霞に落つる 宇治の柴舟 (巻二・春下)

 暮れてゆく春の湊がどこかはわからないが、宇治川を流れ下る柴舟は、一面の霞の中に落ちこんでいった。春の湊はあのあたりだろうか。

 寂蓮法師は藤原俊成の甥で、その養子に迎えられたが、実子の定家が生まれたので、その後に出家した。後鳥羽院から「新古今集」の撰者「寄人」に任命されながら、その心労のため勅撰集の成立を待たずに没した。
 「春のみなと」は、本歌の「年ごとにもみぢ葉流す立田川みなとや秋のとまりなるらむ」(「古今集」紀貫之)に基づいた表現である。「春の行きつく場所」の謂である。「宇治川」は、琵琶湖に発し、宇治市を流れて淀川に合流する、流れの速いことで有名な大河である。

 日本人は、伝統的な和歌はもとより近代になってからも、例えば藤村にせよ晶子にせよ、白秋にせよ、幾多の浪漫詩人が「ゆく春」の季節感を好んで放吟している。
「時は夕暮れ近いころ、夕霞のうっすりとかかった宇治川は、暮れゆく春を悲しむごとく、川音もしずかに流れているのであるが、その夕霞の中を、ちょうどうす墨でかいた墨絵のようにしずかに流れ下ってゆく柴舟がある。そのしずかな姿、ぼうっとかすんだ姿、物思うがごとく、悲しむがごとく、思い出にふけるがごとく、すすり泣く女のごとく、かえりみがちにくだってゆく姿、作者はその柴舟にゆく春を見た。ゆく春のもつあらゆるさびしさや哀しさを見た。花を流してゆく都の川、恋文を焼く若い宮女房、そういうものに、ゆく春を感じるのは容易である。しかし、突如として宇治の夕暮れを描き出して、その柴舟にゆく春を感じることは、決して容易なことではない。」(石田吉貞)
ここまで書かれてしまうと、付け加える言葉はなにもない。