竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

寛容なこころね

2010-04-14 09:07:06 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・古今集耕読
 寛容なこころね       (2)

 二條后の春のはじめの御歌
雪のうちに 春は来にけり 鶯の こほれる涙 今やとくらむ    (春上・四)
 雪が残って景色はまだ冬のままなのに、暦の上では春になった。山深く冬に堪えていた鶯の涙は寒さに凍っていたが、今はそれもとけて、まもなく美しい声で鳴きはじめることだろう。

 前回と同様、この歌も立春の東風が氷を溶かすという暦上の知識をもとにして作られている。三、四句の「鶯のこほれる涙」という表現は新鮮で印象的である。一、二句の眼前の実景から山奥の谷間で寒さに耐えながら春の訪れを待っている鶯を空想し、大胆に誇張した美しい表現である。
 二條后(藤原長良の娘高子)は、清和天皇の皇后であり陽成天皇の生母でもある。「古典集成」によると、古今集が編まれた延喜時代には、(東光寺の僧との密通事件が原因で)后位が停止されていた。不思議なことに、古今集は勅撰集でありながら皇族の歌はほとんど見あたらない。それなのに、この后だけは勅勘の身でありながら、この歌が採られているばかりか、他の歌の詞書の中にも三度も記述されている。
 実は、古今集と同時代に成立した「伊勢物語」の「芥川」や「業平の東下り」の段の中で、禁断の恋のヒロインとしてこの后が介在していたらしいことは、昔から読者の暗黙の了解事項となっている。
 「古今集」にせよ、「伊勢物語」にせよ、摂関政治に不満を抱く文人貴族のアンチ藤原氏の思惑が働いているとする解釈がある。ことさら政治的に捉えなくても、大岡信は「日本文学では、二條后のようなスキャンダラスなプライバシーのある人でも、文学的価値の高いものがあると、逆にパブリックなものにして抱き込んでしまう。」と指摘している。

 お説ごもっとも。わたしが好きな坂上郎女も和泉式部も西行も白秋もその例にもれない。日本最初の勅撰集にして、このように寛容な「こころね」が伺えるのはうれしいことである。