新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

★★ トウカイパルサー追悼★★    そして落選作・・・・中編 ★★

2016-11-21 | 日記
 昨日、コバン牧場・eの場長さんから「パルサーが倒れた」とメールがきました。
ショックは受けましたが「テイオーの仔だもの、きっと大丈夫!」と回復を願っていました。
でもその願いも虚しく、今朝、亡くなったと連絡がありました。
生きとし生けるもの、必ず別れは来るとわかっていますがやっぱりたまらなく寂しいです。
それでもパルサーの余生は、間違いなく幸せだったと言える事が救いです。
あの広い空の下で、庭付きの馬房で、仲良しのポニーちゃんと一緒にのんびりまったり暮らす日々。
無口をつける必要がないほど信頼している場長さんに見守られて、自由に生きた日々。
きっとパルサーはこの世での幸せを味わいつくしたのかも知れません。
だから、祖父や父に会いたくなったのかも。

そして今日は何と、牧場の名前の由来であるスズカコバンの命日なのだそうです。
コバンが呼びに来たのかな?


    
      父テイオーに良く似たパルサー(2013年6月)


    
      パルサーのお部屋です。 このまま庭に出られます。


    
      お腹一杯になると庭に出て、ポニーちゃんをからかいます。


    
     牧場さんから送られた最近のパルサーです。


パルサーお疲れ様、そしてありがとう。
貴方を忘れない。 



  幻の9番ゲートの馬  

 いつか年が変わり、トップも4歳の古馬になる頃、彼女の心に大きな不安の渦が巻きだしました。
それは、未だ1勝もあげていないどころか、1円も賞金を稼いでいない彼がいつまで競走馬を続けていられるかという事でした。
トップを追いかけ始めてから、馬の世界に関して彼女なりに調べ、勝てない馬は淘汰される宿命にあると知った彼女には、トップの行く末は想像がつくものでした。
今では彼女にも、トップハートコンの競走能力がどの程度のものかということはわかっていました。
出来るものなら引き取って天寿を全うさせてあげたい。
その思いは心を突き破りそうなくらい強くありました。
でも、30年近く生きる馬の寿命。
自分の年齢を考えると最後まで見守る事は難しく、ましてや自分の体調すら思うようにならず仕事も出来ない現状では、馬の面倒を見る事など不可能でした。
彼女は苦悩しました。
悩み過ぎて競馬が嫌になったりもしました。
でもトップがレースに出るときは応援せずにはいられませんでした。
悩んで苦しんで諦めてたどり着いたのは、せめて今だけでも自分に出来る事をしてあげるという月並みな答えでした。
ただ彼女の眼は、少し違った方向を見ていました。
それは、この先いつまでトップが競走馬でいられるかはわからないけれど、このまま賞金ゼロで終わらせたくない。
たとえ微々たるものでも賞金を取らせて、競走馬として頑張った証しを残してあげたい。
彼女はそんな風に考えていたのでした。
その為にはどうしたら良いのか?
そんな時、名古屋競馬では個人の申し込みで冠レースが出来ると知りました。
ならば自分がトップのレースを作れば良いのでは?
名古屋に来てからは何度か掲示板に載った事もあるのだから、もしかしたら5着の賞金くらいは取れるかもしれない。
そう思った彼女はすぐに行動を開始しました。
名古屋競馬に冠レースを申し込み、所属厩舎の調教師さんにトップの名前を使う許可を得ました。
今までのレース間隔から計算し、トップが出られる可能性のある6月21日に日も決めました。
調教師さんにもその旨を連絡し、出走できるようにお願いもしました。
そしてそのレースを 「トップハートコンに賞金を」そう名付けました。
 準備は整いました。
後はトップが出走して、何とか5着までに入ってくれる事を祈るだけです。
ネットの掲示板にもレースの事を書きました。
実は最近になって1人、2人とトップを応援してくれる書き込みが増えていたのです。
名古屋から遠い彼女に代わり、当日レースを見に行ってくれるというコメントを見た時、彼女はすべて上手くいくような気がして、久々に心が晴れやかになったのでした。