新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

女子4人プラスワンで行く「あの馬は今」ツアー・ファイナル

2013-10-02 | 日記
事前に牧場さんに連絡してくれたTさんが 「1か所、‘看板を見つけたら思いっきり奥まで入って下さい’って言うところがあったんだけど、それがどこだか忘れちゃった」と言ってた牧場さん、どうやらここのようでした。
牧場の看板を見てから行けども行けどもたどり着かず、「ナビさん道間違ったんじゃない?」などと、ナビさんが気を悪くしそうな事を言ってた時、「あった~~!」
はい、ちゃんとありました。   
言われたように看板からず~っと離れた場所に、そのお馬が暮らす牧場さんはありました。

1989年のスプリンターズステークスでオグリキャップと壮絶なたたき合いの末、何ミリかの差で涙をのみ、翌年、その悔しさを日本レコード勝ちという勲章で晴らしたこの方。
バンブーメモリーです。


    
          



相変わらず派手な流星のイケメン君も、もう28才。
いくらか体は白っぽくなってきましたが、“何か美味し物ある?”とでも云うように近寄ってきた顔はまだどこかあどけなくて、やんちゃ坊主がそのまま年取った感じでした。
「オグリの分も長生きしてね」


           
          
           テへッ・ぺロ



          
           「ほんとに何もなし?」            




今回はお馬さんに会うたびに“長生きしてね”の言葉を繰り返している気がします。
それだけ往年の名馬たちが高齢になってきたという事なのでしょう。
想像もしなかったテイオーとの別れが、会いたいお馬には会える時に会っておかなくては、そのうち行こうでは後悔する事もあると思ったのが今回のツアーのきっかけでした。

生きとし生けるもの、別れは自然の成り行き、仕方のないことです。
以前に書きましたが、オグリキャップが亡くなった2010年7月3日、私とらすかるさんは、彼が亡くなる数時間前に会っています。
そして、昨年の引退馬協会のツアーで、フジノマッケンオー、ハギノカムイオーと、まさかのデュランダルに会う事ができました。

すべて偶然のことでしたが、彼らが旅立った今、あの時に会えて良かったと心から思えるのです。

もし、かつて好きだったお馬さんがいるなら、彼らが元気なうちに何とか機会を作って会いに行かれる事をお勧めします。
今さらに、まだスタリオンにテイオーがいるうちにも一度会いに行けば良かった、写真ももっともっと撮っておけば良かった、と悔やんでいる私がいます。

命は待ってはくれません。


                                         



幼顔のバンブーメモリーにさよならして、次に向かったのは、今回一番探すのに苦労した、オグリローマンの牧場さんです。
バンブー牧場さんからそれほど離れてはいないのですが(地図上では)、山あり川ありで迷い、ついには交番のお巡りさんに聞くことに。
それが、そのお巡りさんの説明がややこしくて、またしばらく探し回り、「やっぱりあそこしかない」と意を決して行ったところがビンゴ!!
何度も通りかけた場所で正解だったのです。
お巡りさん、難しい道案内どもでした(嫌味だよ~ん)。

それでも、まっ白になったローマンを見た時、来れて良かったと思いました。



          


             

常にオグリキャップの妹という冠がついてしまうローマン。
でも、笠松から移籍してきて、1994年の桜花賞(G1)を勝利した力は本物です。
オークスでは1番人気に押されましたが、やっぱり距離の問題なのでしょう、残念な結果になってしまいました。
ちなみに勝ったのは、先ほどあってきたチョウカイキャロルでした。

今は放牧地で、娘と並んでのんびりと草を食む日々です。
後ろの放牧地には孫たちもいます。


  
           
            葦毛の母に鹿毛の娘・・・・・どして?



「キャップが全盛の頃、まぐれだ、たまたまだと良く言われて随分と悔しい思いをしたもんだ」と、場長さんが煙草をくゆらしながら懐かしそうににつぶやきました。
「それでも、ホワイトナルビーの血を絶やしたくないから、踏ん張ってる」
「中央の芝で走らせたいから、芝の種馬をつけたけどさっぱり走らん。 だから今度はダートを走る馬でもつけてみようと考えてるんだ」
場長さんの言葉から、自分が生きている限り、誰になんと言われようとホワイトナルビーの血を繋いでいくんだという強い思い入れを感じました。


           



この数日前に、オグリキャップ産駒で種牡馬になっていたノーザンキャップの息子、クレイドールサイアーが4年ぶりに種馬登録を申請したというニュースが流れていました。
もし、このお馬の仔が活躍すれば、父・父オグリキャップとして蘇ることになります。
メジロマックイーンが母父としてオルフェーブルを出したように、いつ、どこから、とんでもない名馬が現れるかわかりません。
その時、JRAが何もしなくても競馬が再び盛り上がるのではないかと思うのです。

競馬の魅力は大穴を当てる以外にもあるから、こうして月日がたっても名馬たちに会いに来る人が後を絶たないのではないでしょうか。

ちょっと語ってしまいました。

                          


閑話休題、場長さんの熱い思いがいつか叶うと良いなと願いながら、本当はここからすぐに、昨日ご機嫌のうるわしくなかったスティングのところに行くはずだったのですが、思ったより時間が余ったので、急きょ、もう1か所追加してしまいました。

今年の9月から新たにフォスターホースになったエリモシックに会いにいきました。

女傑エアグルーブと同期で1997年エリザベス女王杯(G1)を勝ったシックは、その後繁殖さんとして頑張ってきましたが、今年の4月の出産を最後に体調不良のため引退。
引退馬協会で余生を過ごす事になりましたが、体調を考え移動はせずに、北海道の牧場で暮らしています。
今は体調も回復して、一緒に放牧されているセイウンアグライアと穏やかな日々を過ごしています。

ここではこの方の銅像が馬たちを見守っています。


           
            元祖スーパースター・ハイセイコーの父、チャイナロック



そして、お互いを呼び合うように旅立っていったこの方たちのお墓が、仲良く並んでいました。



           
            フジノマッケンオー



           
            ハギノカムイオー



あ、シック見っけ!! 


           



           




           
           呼ぶとゆっくり来てくれました。




            



           
           「あたしの人参は?」



           
            優しい穏やかな顔です。
            


エリモシックはフォスターペアレント(里親)を募集しています。
シックの里親として余生を見守ってあげたいと思う方はこちらまでご連絡下さい。
宜しくお願いいたします。(ペコリ)


          引退馬協会



この後、スティングに再び会いに行き、私たちの1泊2日の詰め込みツアーは終了しました。

お天気に恵まれ、殆どすべてがスムースに行き、かなりタイトなスケジュールだったにもかかわらず、元気に過ごせた事嬉しく思います。
ずっと1人で運転頑張ってくれたTさん、有り難うございました。
そして、快くお馬に会わせて下さった牧場さん、有り難うございました。
そしてそして、名馬さん達、来年も会いに行くから、きっときっと元気でいて下さいね。

最後までお付き合い下さった皆様にも、心から有り難うと言わせていただきます。


               
        おまけ
                   


            
             踊りながら人参食べる馬・ナイス