2013年8月30日、トウカイテイオーが亡くなりました。
死因は急性心不全。25才でした。
史上最強馬で皇帝と呼ばれた、シンボリルドルフの初年度産駒として産まれ、無傷で皐月賞、ダービーと勝ち上がり、親仔2代の無傷の3冠馬誕生か!と期待されたのですが、残念なことにダービーレース中に骨折していた事が判明し、菊花賞を断念。
それ以降は怪我と闘いながらも、国際G1となった年のジャパンカップ優勝、そして感動の涙でつつまれた1年ぶりの有馬記念優勝と、強いだけでなく、見ている人の心を震わせるような感動を与えてくれた競走馬でした。
引退後は、社台スタリオンで種牡馬として繋養され、3頭のG1馬(トウカイポイント、ストロングブラッド、ヤマニンシュクル)を出しましたが、何故か種牡馬となる後継馬には恵まれませんでした。
何とか後継ぎをとの思いで、関係者様やスタッフさんの手厚いケアを受けながら最後まで現役を続けていました。
今年も2頭の花嫁をむかえましたが、この仔達が最後の産駒となりました。
テイオーに対しての思いは、あまりにたくさん有り過ぎて、とても私の拙い文章力では表しきれません。
愛しているとか、大好きとか、そんな言葉を超越して、父ルドルフとテイオーは私の心を支えてくれている大きな柱でした。
2011年にルドルフを、そして今テイオーを失って、私の心の2本柱は消えてしまいました。
でも、私は倒れたりしません。
何故なら、ルドルフやテイオーが私に与えてくれた馬の仲間達がたくさんいるからです。
引退競走馬に関心をもったのも、そのきっかけはルドルフとテイオーでした。
そして、4頭のサポートホースに関わらせて頂き、その縁から知り合う事ができたたくさんの馬友さんたち。
サポートホースの中には、テイオーと同期生のナイスネイチャ、テイオーと同じルドルフの仔ツルマルツヨシがいます。
これも縁なのか、テイオー繋がりなのです。
‘テイオー死す’の知らせを受けた時、ルドルフの時と同じ様に、心が凍りつきました。
何も考えられず、ただボ~ッと座り込んでいました。
感情が無くなったかのように、悲しいとか辛いとか思う事もなく、ただただ1か所をジーッと見つめていました。
どのくらいそうしていたのかはわかりませんが、しばらくの間、抜け殻だけの私がそこにいました。
1日たち、2日たって、やっと現実を受け入れる事が出来るようになってきました。
時々ふっと涙がこみ上げそうになりますが、何とか自分を立て直しています。
別れはいつも辛く悲しく、何度経験しても慣れる事はありません。
でも、2頭の偉大な馬たちが残してくれたもの、それを明日に繋いでいく事が私のすべきことだと思うのです。
そこでお願いがあります。
競馬界に大きな功績を残したトウカイテイオーの献花・記帳台を、それぞれの競馬場、ウインズに設置してくれるようにJRAに要望して頂きたいのです。
下記から要望を送信できます。
どうかご協力お願い致します。
http://www.jra.go.jp/faq/faq_mail.html
集めていたテイオー関連の写真や切り抜き記事を取りだして思いでに浸ってみました。
何枚か懐かしいものを載せてみます。
写真からの取り込みなので画像が良くありませんが我慢して見て頂ければ幸いです。
1994年10月23日 引退式 この後テイオーは人参のレイをかけて貰いました。
スタリオンで居眠りしているテイオーです。
今は亡き翼とテイオーです。
2004年11月28日、ジャパンカップの日8レース “トウカイテイオーメモリアル”
この日、札幌競馬場ではテイオーのお披露目がありました。
まだまだはち切れそうな馬体でした。
2010年、引退馬協会のツアーで。 これが見おさめとなってしまいました。
スターはいつでもカメラ目線なのです。
テイオーは父ルドルフの元へ旅立ってしまいました。
でも、テイオーの生きてきた軌跡はしっかりと残っています。
テイオー神話は今始まったばかりなのです。
テイオーファンの方達、テイオーが無くなった今だからこそ一緒にテイオー神話を次世代へと語り継いでいきませんか?
チームテイオーに関心のある方はこちらまで飛んでみて下さい。
チームテイオー応援サイト
トウカイテイオー・・・・・・さよならは言いません。
だって、私の心の中にはいつでも貴方がいるからです。
貴方にいう言葉はただ一つ。 ありがとう
貴方に出会えて本当に幸せでした。
死因は急性心不全。25才でした。
史上最強馬で皇帝と呼ばれた、シンボリルドルフの初年度産駒として産まれ、無傷で皐月賞、ダービーと勝ち上がり、親仔2代の無傷の3冠馬誕生か!と期待されたのですが、残念なことにダービーレース中に骨折していた事が判明し、菊花賞を断念。
それ以降は怪我と闘いながらも、国際G1となった年のジャパンカップ優勝、そして感動の涙でつつまれた1年ぶりの有馬記念優勝と、強いだけでなく、見ている人の心を震わせるような感動を与えてくれた競走馬でした。
引退後は、社台スタリオンで種牡馬として繋養され、3頭のG1馬(トウカイポイント、ストロングブラッド、ヤマニンシュクル)を出しましたが、何故か種牡馬となる後継馬には恵まれませんでした。
何とか後継ぎをとの思いで、関係者様やスタッフさんの手厚いケアを受けながら最後まで現役を続けていました。
今年も2頭の花嫁をむかえましたが、この仔達が最後の産駒となりました。
テイオーに対しての思いは、あまりにたくさん有り過ぎて、とても私の拙い文章力では表しきれません。
愛しているとか、大好きとか、そんな言葉を超越して、父ルドルフとテイオーは私の心を支えてくれている大きな柱でした。
2011年にルドルフを、そして今テイオーを失って、私の心の2本柱は消えてしまいました。
でも、私は倒れたりしません。
何故なら、ルドルフやテイオーが私に与えてくれた馬の仲間達がたくさんいるからです。
引退競走馬に関心をもったのも、そのきっかけはルドルフとテイオーでした。
そして、4頭のサポートホースに関わらせて頂き、その縁から知り合う事ができたたくさんの馬友さんたち。
サポートホースの中には、テイオーと同期生のナイスネイチャ、テイオーと同じルドルフの仔ツルマルツヨシがいます。
これも縁なのか、テイオー繋がりなのです。
‘テイオー死す’の知らせを受けた時、ルドルフの時と同じ様に、心が凍りつきました。
何も考えられず、ただボ~ッと座り込んでいました。
感情が無くなったかのように、悲しいとか辛いとか思う事もなく、ただただ1か所をジーッと見つめていました。
どのくらいそうしていたのかはわかりませんが、しばらくの間、抜け殻だけの私がそこにいました。
1日たち、2日たって、やっと現実を受け入れる事が出来るようになってきました。
時々ふっと涙がこみ上げそうになりますが、何とか自分を立て直しています。
別れはいつも辛く悲しく、何度経験しても慣れる事はありません。
でも、2頭の偉大な馬たちが残してくれたもの、それを明日に繋いでいく事が私のすべきことだと思うのです。
そこでお願いがあります。
競馬界に大きな功績を残したトウカイテイオーの献花・記帳台を、それぞれの競馬場、ウインズに設置してくれるようにJRAに要望して頂きたいのです。
下記から要望を送信できます。
どうかご協力お願い致します。
http://www.jra.go.jp/faq/faq_mail.html
集めていたテイオー関連の写真や切り抜き記事を取りだして思いでに浸ってみました。
何枚か懐かしいものを載せてみます。
写真からの取り込みなので画像が良くありませんが我慢して見て頂ければ幸いです。
1994年10月23日 引退式 この後テイオーは人参のレイをかけて貰いました。
スタリオンで居眠りしているテイオーです。
今は亡き翼とテイオーです。
2004年11月28日、ジャパンカップの日8レース “トウカイテイオーメモリアル”
この日、札幌競馬場ではテイオーのお披露目がありました。
まだまだはち切れそうな馬体でした。
2010年、引退馬協会のツアーで。 これが見おさめとなってしまいました。
スターはいつでもカメラ目線なのです。
テイオーは父ルドルフの元へ旅立ってしまいました。
でも、テイオーの生きてきた軌跡はしっかりと残っています。
テイオー神話は今始まったばかりなのです。
テイオーファンの方達、テイオーが無くなった今だからこそ一緒にテイオー神話を次世代へと語り継いでいきませんか?
チームテイオーに関心のある方はこちらまで飛んでみて下さい。
チームテイオー応援サイト
トウカイテイオー・・・・・・さよならは言いません。
だって、私の心の中にはいつでも貴方がいるからです。
貴方にいう言葉はただ一つ。 ありがとう
貴方に出会えて本当に幸せでした。