マイスタイル4

2021-02-16 21:40:59 | 日記・エッセイ・コラム


仕事から帰って
風呂に入って
缶ビールを一本やって
飯を食って
 本日(レバニラ炒め、鯖缶、ごぼうサラダ)
流しを片付けて
緑茶を入れたコップをもって
部屋を移動

この体勢でボーッと・・・
しているのが気に入っている。
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案山子

2021-02-10 09:14:46 | 独り言
水底(みなぞこ)に沈んだ案山子が
息をふきかえした

魚たちの交通整理をしたり
稚魚たちとブレークダンスをしたり
実に楽しそうだ

世の中って、なんだっけ
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詩作とは、無への志向なのだ

2021-02-08 21:36:44 | 独り言
なぜ、詩を書くのか
なぜ、言葉を求めるのか

自分のいる場所を問いたいから
自分が今、どこへ向かおうとしているのか確かめたいから

詩作とは無への志向だから
有として在る対象と自分との距離を知るための日常語
作為に満ちた日常語の言葉を解放させること
言葉の自立性に自分をゆだねてみよう
有として在る対象と自分との新しい関係性が必要なのだ
でなければ何も生まれない。
似て非なる詩ばかり氾濫している


『歴程』593号「那珂太郎追悼特集」にぼくは
  ・・・那珂太郎の「自己放下」と大岡信の「精神の誤謬」とが、どのように向き合うのか、
     詩作が「無」への志向を意味していると仮定するなら・・・・
という一文を載せさせていただいたが、日常における自己肯定と否定の意識操作は究極、無へ
導くためのレジスタンスではないかと思う。

自分を無に向かわしめるために言葉を置いていく
それが道標になるように
かすかに感じる無のにおいを消さないために詩を書く
それ以外に、詩を書く理由はない



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木陰で

2021-02-07 02:51:46 | 
  木陰で         


町工場の工作機械の唸り音
潤滑油の焼ける匂い
螺旋状に立ち上がる切子
防護眼鏡を着けた長身の男

男から送られた機関紙「二流文学」を手に
瞼の裏の駒を送る
わたしたちのガリ刷りの同人誌「走る馬」
蝋の原紙を彫った鉄筆の感触
ジョークで眠気を払った深夜の作業
京都の鰻の寝床といわれる男の住まいで
天井の小さな明り取り窓を見つめ
「クロイツェルソナタ」は金ちゃんのお気に入り
「エグモント序曲」はゲタやん
「レオノーレ序曲第三番」はぼく(高さん)のおすすめ
ベートーベンで疲れをほぐした

わたしたちの出会いから五十年の歳月を
問い返してみる
これで良かったのかと
男が送ってきた「二流文学」から
その答えが返っている

年に一度だけ京都駅近くの居酒屋で酌み交わす酒
己の言葉に酔い 翻弄され
この馬鹿さ加減は五十年前と変わらない
わたしたちは立派なロマンの残党だ

古都で聴覚の不自由な妻と暮らす男
彼はまだ燃えているか
わたしは今燃えているか
これで良かったと 確かめる
ムクノキの木陰で
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冬の散歩道・あの道を歩いてみよう

2021-02-06 22:12:43 | 日記・エッセイ・コラム


1時間半、ゆっくり朝風呂に浸かって
湯上りの一杯(缶ビール)
風はなく
ベランダの洗濯物が
あたたかい日差しをあびている
さて、このあとは
で、湯上りの二杯(酎ハイ緑茶割り)
「We`ll Meet Again」
「My Heart Will Go On」
もうちょっと頑張れば弾けるなあ
で、三杯目
ほんわか、こんころもち良くなって
歩いてくるか・・・・。

二上山もポカポカあったかそうだ
ふたかみパークの冬の芝生の上で
二組の父子がフリスビーをキャッチしている

真っ直ぐに登る456段の石段には
シニアカップルや
若い家族の楽しそうな後ろ姿

そうだ、あの道を歩いてみよう
いつも思っていた田の中のトラクター道を歩いた
どこまでも広い
まっすぐにのびるレール
いつもお世話になっている近鉄南大阪線です

このついでに下の町まで
てくてくぶらぶら
買い出しです。


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