詩作とは、無への志向なのだ

2021-02-08 21:36:44 | 独り言
なぜ、詩を書くのか
なぜ、言葉を求めるのか

自分のいる場所を問いたいから
自分が今、どこへ向かおうとしているのか確かめたいから

詩作とは無への志向だから
有として在る対象と自分との距離を知るための日常語
作為に満ちた日常語の言葉を解放させること
言葉の自立性に自分をゆだねてみよう
有として在る対象と自分との新しい関係性が必要なのだ
でなければ何も生まれない。
似て非なる詩ばかり氾濫している


『歴程』593号「那珂太郎追悼特集」にぼくは
  ・・・那珂太郎の「自己放下」と大岡信の「精神の誤謬」とが、どのように向き合うのか、
     詩作が「無」への志向を意味していると仮定するなら・・・・
という一文を載せさせていただいたが、日常における自己肯定と否定の意識操作は究極、無へ
導くためのレジスタンスではないかと思う。

自分を無に向かわしめるために言葉を置いていく
それが道標になるように
かすかに感じる無のにおいを消さないために詩を書く
それ以外に、詩を書く理由はない



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