54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

映画「ブラック・レイン」

2006年05月24日 | 映画
松田優作、初のハリウッド映画、最後の映画、「ブラック・レイン」観ました。

ブラック・レイン

リリー・フランキーは松田優作の演技が主演のマイケル・ダグラスを食ったと絶賛していたけれど、松田優作をほとんど知らない私としては、むしろ高倉健の演技の方が渋くてよかった。

アメリカの警官のニック(マイケル・ダグラス)と日本の警官のマサ(高倉健)がコンビを組んでヤクザの佐藤(松田優作)をつかまえよう、という流れ。

アメリカ人が見た日本の特異さが表現されていたように思う。日本独特の、ヤクザの世界。日本の警察にみる組織の雰囲気。
また、日本人は英語を理解できるけど、アメリカ人は日本語を理解できない、というのも強調されていたように思う。

アメリカ人にとって日本は異世界なのだ。
ちょんまげに刀のサムライがいなくなって最高水準の都市化が進んだ現在でも。

ニックとマサの性格の違いに、アメリカ人と日本人の違いが投影されている。

たとえばこんな言い争い。
マサ「自分のことよりチームのことを考えろ、日本人のようにな。今のアメリカにあるのは映画と音楽だけだ。日本は機械を作って、未来を築き、平和を手に入れた。」
ニック「だが新しい思いつき(original idea)を持つ人間は押し潰されてんだろ?」

アメリカ人は自己主張をする。個性を重視する。
日本人は全体の規律を保とうとする。そのためには個性を消そうとする。
日本人はアフリカ勢には身体能力で劣るし、ブラジルやアルゼンチンには個人技で勝てない。そうすると、チームで戦うしか勝ち目はない。え?

たとえば友人の死に対する反応。
ニックは感情をあらわに暴れ、マサはそれを黙って見守る。

男は無口の方がいいと誰か 歌ったなあ、、

たとえばニックがヤクの売人から金を盗んだ件について。
マサ「盗みは盗みだ。灰色の部分はない(no gray area)。」
ニック「ニューヨークはどこを取っても灰色だ(one big gray area)」

確かに、いちいち細かい日本人、テキトーなアメリカ人。真面目な日本人、ふざけたアメリカ人。
でも最近の日本人はテキトーになってきていないか?
それはいいこと悪いこと?

タイトルの「ブラック・レイン」について。
「B29がやってきて、一瞬で街は消えてなくなった。
燃える炎は黒い雨を降らせた。
黒い雨を降らせたアメリカ人は自分達の価値観を日本人に押し付けた。
日本人は自分を見失い、佐藤のような奴らが大勢生まれた。」

日本のヤクザがもつ「仁義」というものを佐藤は持っていない。人間味を感じさせない悪人。無表情で人を殺してしまう残酷さ。

日本人らしい、男は黙って、という感じのマサも最後はアメリカナイズされてしまう。
アメリカ的正義をよしとする。これはアメリカの映画なのだ。

実際日本人はアメリカナイズされてきた。
映画、音楽を通して。

この「ブラック・レイン」もまた、日本人をアメリカナイズさせようとする「黒い雨」なのだ。。

黒い飴。。

出かけようとすると急に雨が降り出す、というのが3回くらい続いたので、
俺は雨男なのか!?と思ってしまった。
しかも叩きつける豪雨。

しかしながら、長い人生の中でそんな偶然は十分にありうることである。天気は晴れ曇り雨の3種類しかないのだし。
外に出たら100%雨が降るというなら雨男認定ということになろうが、そんなやつぁ見たことない。
ということで雨男撤回。

雷雨。
雷が鳴ったらちょっとうれしくなって、もっと近くで鳴らないかななんて思うのだけど、実際近くに雷が落ちたら恐怖を感じるよね。。


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