映像論で書いたヒッチコックの映画「鳥」(原題「The Birds」)の批評文(レポート)。
「The Birds」は鳥の恐怖を描いた映画だった。
突然襲い掛かってくる大量の鳥たち、この映画を見た後、普段の生活で鳥の鳴き声を聞くたびに恐怖がよみがえってくる。
最初はカモメが一羽、メラニーの額を一突きしただけだったが、パーティ会場で子どもが襲われ、暖炉から大量の雀が襲ってきたり、鳥の恐ろしさが強くなっていく。
学校で子どもたちが大量のカラスに襲われ一人の少女が大きな怪我をし、さらには車のオイルでガソリンスタンドが爆発し、町中がパニックに陥る。ダンとアニーの死体は衝撃的だった。
そこには「大切な人を失う恐怖」が描かれていた。
ミッチの母リディアは4年前に夫を亡くしている。夫だけを頼りにしてきたのに失った。リディアは大切な人を失うことに恐怖を抱いている。
だからアニーがミッチに会いにやってきたときは、ミッチを失う恐怖のためにリディアとアニーは折り合わなかった。
ダンの死体を見た後、リディアの精神は不安定になる。ダンもまた大切な人の一人だったのかもしれない。
リディアは学校に行っているキャシーのことをひどく心配する。キャシーを失うことへの恐怖。
ここでカップが印象的に使われている。
暖炉から大量の雀が襲ってきた後、割れたカップを集めるリディアが印象的だった。
その後、ダンの家に行ったとき、まず発見したのが割れたカップだった。
その後、メラニーがリディアにもってきたのはお茶の入ったカップだった。
カップはセット、絆というものを象徴していたのではないか。
さて、ボートでカモメに襲われた後のメラニーがミッチに言った言葉がある。
弁護士のミッチに専門を尋ねて、ミッチが「Criminal」(刑法)と答えた後、
「Is that why you want to see everyone behind bars?」
(あなたは誰でも牢屋に入れたいと思っているのね?)
この「bars」は「birds」と掛けられている。
ここでの「bars」は牢屋、オリを意味している。
つまり、「The birds」は鳥(birds)の恐怖を表しているとともに、オリ(bars)の恐怖を表しているのだ。
無実の人間がオリに入れられる恐怖。
メラニーは無実の人間を象徴している。
たとえば、「ローマの泉に裸で飛び込んだ」という噂。メラニーは服を着ていたし、突き落とされたと主張する。ミッチは「君は哀れな被害者か」という。
さらに、ガソリンスタンドの爆発の騒ぎの後レストランに戻ると、メラニーが来てから鳥たちがおかしくなった、「あなたのせいよ!」と言われてしまう。
また、メラニーはしばしば閉じ込められる。
学校で大量のカラスに襲われたとき、メラニーとキャシーとミシェルの3人は車に逃げ込んだがキーがなく、閉じ込められた。
ガソリンスタンド爆発の騒ぎでは、メラニーは電話ボックスに閉じ込められた。
最後は大量の鳥がいる2階の部屋に閉じ込められた。
そもそも鳥の包囲網という「オリ」に閉じ込められているのだ。
これはまさに、無実の人間としてのメラニーがオリに閉じ込められるということを表している。
無実の人間を救い出す弁護士という構図も見えてくる。
ミッチは弁護士であり、理解者である。
キャシーはメラニーとの会話で「ミッチはヨタ者と仲が良い」と言い、それは「公平な裁判のため」だという。
電話ボックス、2階の部屋、そしてミッチの家からメラニーを救い出したのはミッチだった。
無実の人間を救い出す弁護士の構図である。
メラニーとミッチの最初の鳥店での会話でも、ミッチは「小さな鳥をオリの中へ入れるなんてかわいそう」とも言っている。
保安官は鳥の事件を取り合わないというのもある。
暖炉から大量の雀が襲ってきたときは、明かりがいけなかったのでしょう、と軽く流してしまうし、ダンの死体の件も、鳥が殺したなんて信じられない、強盗の仕業でしょう、といって取り合ってくれない。
オリの中の無実の人間は愛の鳥にも象徴されている。
キャシーの愛の鳥に対する態度の変化がある。
はじめは「愛の鳥が鳴いてる、怖い」といい
次には「愛の鳥は?」と聞き、リディアが「鳥は鳥よ」と言うと、「オリの中にいるから大丈夫」といい、
最後は「愛の鳥も連れて行きましょう」と言った。
ラストの場面は、鳥に襲われるメラニー、そのメラニーを鳥の包囲網から救い出すミッチである。
これはつまり、オリの恐怖に襲われるメラニーを弁護士のミッチがオリから救い出したということの表れである。
また、キャシーも愛の鳥を救い出したのである。
鳥に襲われたあとのメラニーは精神病者のようでもあり、これは冤罪というものがその被害者に与える影響を痛烈に批判したものとも取れる。
このように、「The Birds」は表面では鳥の恐怖を強烈に描いたものであり、その裏ではオリの恐怖が描かれているのである。
極めて的外れなことを書いているのかもしれません。。
「The Birds」は鳥の恐怖を描いた映画だった。
突然襲い掛かってくる大量の鳥たち、この映画を見た後、普段の生活で鳥の鳴き声を聞くたびに恐怖がよみがえってくる。
最初はカモメが一羽、メラニーの額を一突きしただけだったが、パーティ会場で子どもが襲われ、暖炉から大量の雀が襲ってきたり、鳥の恐ろしさが強くなっていく。
学校で子どもたちが大量のカラスに襲われ一人の少女が大きな怪我をし、さらには車のオイルでガソリンスタンドが爆発し、町中がパニックに陥る。ダンとアニーの死体は衝撃的だった。
そこには「大切な人を失う恐怖」が描かれていた。
ミッチの母リディアは4年前に夫を亡くしている。夫だけを頼りにしてきたのに失った。リディアは大切な人を失うことに恐怖を抱いている。
だからアニーがミッチに会いにやってきたときは、ミッチを失う恐怖のためにリディアとアニーは折り合わなかった。
ダンの死体を見た後、リディアの精神は不安定になる。ダンもまた大切な人の一人だったのかもしれない。
リディアは学校に行っているキャシーのことをひどく心配する。キャシーを失うことへの恐怖。
ここでカップが印象的に使われている。
暖炉から大量の雀が襲ってきた後、割れたカップを集めるリディアが印象的だった。
その後、ダンの家に行ったとき、まず発見したのが割れたカップだった。
その後、メラニーがリディアにもってきたのはお茶の入ったカップだった。
カップはセット、絆というものを象徴していたのではないか。
さて、ボートでカモメに襲われた後のメラニーがミッチに言った言葉がある。
弁護士のミッチに専門を尋ねて、ミッチが「Criminal」(刑法)と答えた後、
「Is that why you want to see everyone behind bars?」
(あなたは誰でも牢屋に入れたいと思っているのね?)
この「bars」は「birds」と掛けられている。
ここでの「bars」は牢屋、オリを意味している。
つまり、「The birds」は鳥(birds)の恐怖を表しているとともに、オリ(bars)の恐怖を表しているのだ。
無実の人間がオリに入れられる恐怖。
メラニーは無実の人間を象徴している。
たとえば、「ローマの泉に裸で飛び込んだ」という噂。メラニーは服を着ていたし、突き落とされたと主張する。ミッチは「君は哀れな被害者か」という。
さらに、ガソリンスタンドの爆発の騒ぎの後レストランに戻ると、メラニーが来てから鳥たちがおかしくなった、「あなたのせいよ!」と言われてしまう。
また、メラニーはしばしば閉じ込められる。
学校で大量のカラスに襲われたとき、メラニーとキャシーとミシェルの3人は車に逃げ込んだがキーがなく、閉じ込められた。
ガソリンスタンド爆発の騒ぎでは、メラニーは電話ボックスに閉じ込められた。
最後は大量の鳥がいる2階の部屋に閉じ込められた。
そもそも鳥の包囲網という「オリ」に閉じ込められているのだ。
これはまさに、無実の人間としてのメラニーがオリに閉じ込められるということを表している。
無実の人間を救い出す弁護士という構図も見えてくる。
ミッチは弁護士であり、理解者である。
キャシーはメラニーとの会話で「ミッチはヨタ者と仲が良い」と言い、それは「公平な裁判のため」だという。
電話ボックス、2階の部屋、そしてミッチの家からメラニーを救い出したのはミッチだった。
無実の人間を救い出す弁護士の構図である。
メラニーとミッチの最初の鳥店での会話でも、ミッチは「小さな鳥をオリの中へ入れるなんてかわいそう」とも言っている。
保安官は鳥の事件を取り合わないというのもある。
暖炉から大量の雀が襲ってきたときは、明かりがいけなかったのでしょう、と軽く流してしまうし、ダンの死体の件も、鳥が殺したなんて信じられない、強盗の仕業でしょう、といって取り合ってくれない。
オリの中の無実の人間は愛の鳥にも象徴されている。
キャシーの愛の鳥に対する態度の変化がある。
はじめは「愛の鳥が鳴いてる、怖い」といい
次には「愛の鳥は?」と聞き、リディアが「鳥は鳥よ」と言うと、「オリの中にいるから大丈夫」といい、
最後は「愛の鳥も連れて行きましょう」と言った。
ラストの場面は、鳥に襲われるメラニー、そのメラニーを鳥の包囲網から救い出すミッチである。
これはつまり、オリの恐怖に襲われるメラニーを弁護士のミッチがオリから救い出したということの表れである。
また、キャシーも愛の鳥を救い出したのである。
鳥に襲われたあとのメラニーは精神病者のようでもあり、これは冤罪というものがその被害者に与える影響を痛烈に批判したものとも取れる。
このように、「The Birds」は表面では鳥の恐怖を強烈に描いたものであり、その裏ではオリの恐怖が描かれているのである。
極めて的外れなことを書いているのかもしれません。。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます