爆笑問題太田さんオススメの「タイタンの妖女」は私の人生の中でも最高の一冊でしたが、そのカート・ヴォネガット・ジュニアの「タイタンの妖女」に次ぐ傑作といわれる「猫のゆりかご」を読みました。
猫のゆりかごカート・ヴォネガット・ジュニア
「世界が終末をむかえた日」の著者となる主人公は、サン・ロレンゾ島でボコノン教徒になった。
ボコノン教というのは、サン・ロレンゾ島の悲惨な現実から人々を救うためにボコノンが創った宗教である。
ボコノン教はすべて嘘っぱちである。しかし、その嘘っぱちの宗教を信じることによって、悲惨な現実を忘れみんなが幸せになれるのだ。
サン・ロレンゾ島ではボコノン教は禁止されているのに、サン・ロレンゾ島の人々はみんなボコノン教徒なのだ。
ここに「アイス・ナイン」という化学物質が登場する。アイス・ナインはあらゆる水を凍らせてしまう。水たまりが凍り、そのまわりの沼地が凍り、そこを流れる小川が凍り、それが流れ込む大きな川が凍り、海が凍り、さらには雨も凍る、、。
このアイス・ナインがボコノン教を伝説にする。
「タイタンの妖女」と比べるとやはり見劣りすると思って読んでいたけど、最後の最後はすごいとこまで飛んでいって、いやあ「猫のゆりかご」はおもしろい!いや、「ボコノン教」万歳!って感じです。
ボコノン教の教えをいくつか紹介しよう。
ボコノン教徒が親交を深めるのにお互いの足と足を合わせる「ボコマル」という儀式がある。
その根拠は「くっつけあおう、足と足、そう 精いっぱい力いっぱい 愛し合うんだ、そう 母なる大地を愛するように」
成熟についてボコノンはこう言っている。
「成熟とは苦い失望だ。治す薬はない。治せるものを強いてあげるとすれば、笑いだろう」
猫のゆりかご
「猫のゆりかご」というのはあやとりの一つである。
「猫のゆりかご」についてこんなやりとりがある。
「おとなになったときには、気が狂ってるのも無理ないや。猫のゆりかごなんて、両手のあいだにXがいくつもあるだけなんだから。小さな子供はそういうXを、いつまでもいつまでも見つめる、、、」「すると?」「猫なんていないし、ゆりかごもないんだ」
これは私の解釈だけれども、、
大人というのは先入観に満ち溢れている。それまでに学んできた常識知識が世界をありのままに捉えることを邪魔してしまう。
あやとりの「猫のゆりかご」もそう。ただひもが両手の間でいくつも交差しているだけなのに、大人は「猫のゆりかご」という言葉を知っているために、それが「猫のゆりかご」にしか見えない。
子どもは「猫のゆりかご」という先入観なしに見るので、じっくりしげしげと見る。そこには「猫のゆりかご」ではないいろんなものが見えるだろう。
ボコノン教もそう。常識的な視点で見れば悲惨な現実かもしれない。しかし、嘘っぱちのボコノン教の視点で見れば、悲惨な現実がまったく違って見えてくるのだ。
これは誰の言葉か知らないが、
「世の中が悲惨に見えてしまうのは、その人の心が病んでいるからだ」
カート・ヴォネガット・ジュニア「猫のゆりかご」を読んで私はボコノン教徒になりました。
世界が週末をむかえた日。。
今日のヘビーローテーションは鈴木あみ「Alright!」です。
昨日のCDTV見てさ。鈴木あみいいじゃない。浜崎あゆみは随分変わってしまったけど、鈴木あみは全然変わっていない。フレッシュなままってのがすごいね。
せっかくなので「SA」と「infinity eighteen vol.1」も聴いてみました。
最近の僕の感性からいうと「OUR DAYS」が好き。心地よい。
「nothing without you」「white key」もいいね。冬な気分になった。
ちなみに>>鈴木あみのブログ
ところで、B'zの新曲「SPLASH!」のCM見たけど、「ultra soul」「juice」というよりも、アルバム「SURVIVE」の「DEEP KISS」みたいだった。
とすると、ニューアルバム「MONSER」はハードロックになるのかしら。。
猫のゆりかごカート・ヴォネガット・ジュニア
「世界が終末をむかえた日」の著者となる主人公は、サン・ロレンゾ島でボコノン教徒になった。
ボコノン教というのは、サン・ロレンゾ島の悲惨な現実から人々を救うためにボコノンが創った宗教である。
ボコノン教はすべて嘘っぱちである。しかし、その嘘っぱちの宗教を信じることによって、悲惨な現実を忘れみんなが幸せになれるのだ。
サン・ロレンゾ島ではボコノン教は禁止されているのに、サン・ロレンゾ島の人々はみんなボコノン教徒なのだ。
ここに「アイス・ナイン」という化学物質が登場する。アイス・ナインはあらゆる水を凍らせてしまう。水たまりが凍り、そのまわりの沼地が凍り、そこを流れる小川が凍り、それが流れ込む大きな川が凍り、海が凍り、さらには雨も凍る、、。
このアイス・ナインがボコノン教を伝説にする。
「タイタンの妖女」と比べるとやはり見劣りすると思って読んでいたけど、最後の最後はすごいとこまで飛んでいって、いやあ「猫のゆりかご」はおもしろい!いや、「ボコノン教」万歳!って感じです。
ボコノン教の教えをいくつか紹介しよう。
ボコノン教徒が親交を深めるのにお互いの足と足を合わせる「ボコマル」という儀式がある。
その根拠は「くっつけあおう、足と足、そう 精いっぱい力いっぱい 愛し合うんだ、そう 母なる大地を愛するように」
成熟についてボコノンはこう言っている。
「成熟とは苦い失望だ。治す薬はない。治せるものを強いてあげるとすれば、笑いだろう」
猫のゆりかご
「猫のゆりかご」というのはあやとりの一つである。
「猫のゆりかご」についてこんなやりとりがある。
「おとなになったときには、気が狂ってるのも無理ないや。猫のゆりかごなんて、両手のあいだにXがいくつもあるだけなんだから。小さな子供はそういうXを、いつまでもいつまでも見つめる、、、」「すると?」「猫なんていないし、ゆりかごもないんだ」
これは私の解釈だけれども、、
大人というのは先入観に満ち溢れている。それまでに学んできた常識知識が世界をありのままに捉えることを邪魔してしまう。
あやとりの「猫のゆりかご」もそう。ただひもが両手の間でいくつも交差しているだけなのに、大人は「猫のゆりかご」という言葉を知っているために、それが「猫のゆりかご」にしか見えない。
子どもは「猫のゆりかご」という先入観なしに見るので、じっくりしげしげと見る。そこには「猫のゆりかご」ではないいろんなものが見えるだろう。
ボコノン教もそう。常識的な視点で見れば悲惨な現実かもしれない。しかし、嘘っぱちのボコノン教の視点で見れば、悲惨な現実がまったく違って見えてくるのだ。
これは誰の言葉か知らないが、
「世の中が悲惨に見えてしまうのは、その人の心が病んでいるからだ」
カート・ヴォネガット・ジュニア「猫のゆりかご」を読んで私はボコノン教徒になりました。
世界が週末をむかえた日。。
今日のヘビーローテーションは鈴木あみ「Alright!」です。
昨日のCDTV見てさ。鈴木あみいいじゃない。浜崎あゆみは随分変わってしまったけど、鈴木あみは全然変わっていない。フレッシュなままってのがすごいね。
せっかくなので「SA」と「infinity eighteen vol.1」も聴いてみました。
最近の僕の感性からいうと「OUR DAYS」が好き。心地よい。
「nothing without you」「white key」もいいね。冬な気分になった。
ちなみに>>鈴木あみのブログ
ところで、B'zの新曲「SPLASH!」のCM見たけど、「ultra soul」「juice」というよりも、アルバム「SURVIVE」の「DEEP KISS」みたいだった。
とすると、ニューアルバム「MONSER」はハードロックになるのかしら。。
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