衿持
(きょうじ)
自分の能力を信じ、他に誇ること・堂々と振る舞うこと。
と記されている。
この言葉は、
先日、ハリウッドでも話題作の出演が続く俳優・渡辺謙と
某BS「ノンフィクションW」
の案内役、遠藤憲一が役者同士として、多くの事を語ったが、
そのなかで、渡辺謙が使った言葉である。
言葉の意味は、上記に記しているが、
いまの現代社会で、この衿持の意味を知らずとも
この衿持の姿で生きている人は数少ないだろうと思う。
閉塞感あふれる今日この頃では、なおさらと思う。
それなら、自分はどうかと問われれば、
YESと答えるだろう。
ただし、衿持とは違う、私の世界観であり、私の世界である。
それは、母の胎内で命をもらって以来
58年間の歴史のなかで、己自身が創り出して来た
己だけが持つことが出来る。
私の世界観。
自慢することもなく、気負うことも無く、僻むこともなく、
普通に前へ、時には振り返りつつ
進んでいくこと。
これが私の「衿持」である。
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自分の能力を信じ、他に誇ること・堂々と振る舞うこと。
と記されている。
この言葉は、
先日、ハリウッドでも話題作の出演が続く俳優・渡辺謙と
某BS「ノンフィクションW」
の案内役、遠藤憲一が役者同士として、多くの事を語ったが、
そのなかで、渡辺謙が使った言葉である。
言葉の意味は、上記に記しているが、
いまの現代社会で、この衿持の意味を知らずとも
この衿持の姿で生きている人は数少ないだろうと思う。
閉塞感あふれる今日この頃では、なおさらと思う。
それなら、自分はどうかと問われれば、
YESと答えるだろう。
ただし、衿持とは違う、私の世界観であり、私の世界である。
それは、母の胎内で命をもらって以来
58年間の歴史のなかで、己自身が創り出して来た
己だけが持つことが出来る。
私の世界観。
自慢することもなく、気負うことも無く、僻むこともなく、
普通に前へ、時には振り返りつつ
進んでいくこと。
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