松浦からFUKUOKAへ

流れに抗してを経て そして今

☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

こんな松 いっぱいあったな 松浦に

2010年02月28日 09時19分28秒 | 松浦


先日の、大濠公園の写真データを

整理してる中、制作した写真を

ふるさと松浦への想いと大濠公園の松をコラボして

みた。

それが、次です。





句は 「こんな松 いっぱいあったな 松浦に」


昭和30年代後半まで、松浦には、大浜海水浴場という遠浅の美しい海水浴場が

存在していた。

家から近くにあったので、近所の子は、私もであるが、

海水パンツとタオルをもって、そのままの姿で、通ったものである。

いま、考えると、人も車も少なく、恥ずかしさなんて、

全然なかった。

 いわゆる、自分の庭感覚で、泳ぎにいったものである。

帰ると、家の井戸水で身体を洗い、家の中にはいった。

昭和の良き時代であった。

 大浜の海水浴場は、夏になると、臨時列車も停まるといった具合で、

多くの人々が涼を求めて、訪れていた。

駅を降りると、歓迎するかのように、写真のような大きな松並が

砂地にでんと根をすえ、たちはだかっていた。

唐津の虹の松原までとは、いかないが、良き風景であった。


海を前にして、松の木は、成長していき、美しい地形を

静かに創り上げていった。

元寇の時代には、防人となって石垣とともに、その街を守り、

嵐の日々は、防風林としての役目をはたした。



松の木々は、狭い島国にあって、生活と歴史文化の証人であり、

護りの実践者でもあった。

 新産業進出(工場団地)とともに、美しき海水浴場は消えはて、

 広大な埋立地には、後退させられた産業がひっそりと生き延びて

いる。

この風景は、けっして、松浦の地だけではない。

 いまなお、この日本列島に見られる風景群のひとつである。





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精霊流し

2009年09月12日 04時11分37秒 | 松浦

(写真提供:長崎のひまわりさん)


今年8月15日、ふるさと松浦の精霊流しの写真です。

長崎のひまわりさんにお願いして、送ってもらいました。




松浦は、毎年、お盆の最後の夜、先祖を藁だけで

創った精霊船におみやげ(季節の果物等)とともに

送ります。

この、精霊流しは、全国にあると思いますが、

松浦の特徴は、町ごとに藁で船をつくり、町内の各戸の家紋の

提灯を掲げて、花火が咲く中を、男衆が志佐川に入り、競いあい、

先祖を送る。夏の最大のイベントとなっています。




残念ながら、私の(馬場)は、創っていなかったので、

入ることは、なかったが、

父、母に子供の頃、聞いた話では、

昔は、創っていて、流していたそうだ。






いま、思うこと、

藁だけで船を創る独特の技術の継承は、どうなっているのだろうか?


古くても良き伝統技術は、歴史的文化として大いに価値あるものだから、

福岡にいて、心配する私。


追記:本文には、関係ないが、

   一週間の各検査を終えて、11日診断を受けた結果、

   入院、治療は、10月下旬とあいなりました。

   取り急ぎ報告します。




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長崎孔子廟     (松浦番外編)

2009年09月05日 10時16分47秒 | 松浦
検査が終わり、

近くの孔子廟の外観だけですが、撮ってきました。

長崎観光では見逃せないスポットです。

皆さんも、長崎へお越しの際は、是非、お立ち寄りください。












長崎孔子廟
詳しくは、クリックでサイトを見てください。






私が龍年かもしれないが、龍には目がありません。

美しい龍です。


#長崎孔子廟とは、893年清国政府と在日華僑が協力して中国の総本山なみに伝統

美あふれた中国式孔子廟です。





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寿昌寺境内

2009年08月30日 11時58分48秒 | 松浦



(地蔵さんの拡大)


ふるさとの寿昌寺は、いつも松浦に帰ると

寺参りにいくとこです。

ものごごろついた時から、行っているので、

50年前からなので、半世紀です。

幼いときは、馴染まなかったが、

いまは、どうして、

明るいうちにいって、先祖の霊のため、仏壇の

清掃、花、を上げるという

ことが、慣習となっている。





(寿昌寺)


言い換えると、慣習ではなくて、「似合ってきている」、「先祖への感謝目ざめ」

が正解かな?

時がなせる業なのか。




(多くの時を刻んできた 鐘)


さて、本日は総選挙投票日、

どんな鐘を人々の胸に、打ち鳴らすのか!




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ふるさとの樹木 実家編

2009年08月28日 08時00分16秒 | 松浦

(当然、松から)




(一本目の柿の木)




(おおきくなった蘇鉄)




(水難にあった、従弟を供養するための水神様)



目線の違いからと樹木の成長から

ゆっくりと時を経て、変化していく

ふるさと実家の周辺の緑たち



帰れば、必ず、

浮かぶ、地味な母の美しき笑顔。

大正、昭和の時代を

田舎の母は、しっかりと4人の子供たちを

育て、身体が弱いなか、「これから、孫たちと」

の時、ひとり静かに去った  母。


合掌


母への関連マイブログ
2008年1月4日投稿記事




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松浦党

2009年08月14日 09時30分14秒 | 松浦


今福と調川(つきのかわ)の間にある道路公園を背にして

御厨(みくりや)の上にある。

城山。

(第2次大戦には、高射砲も設置して、備えた)






道路公園の松浦党の兜。(兜に向かい、礼をするマイ・カー)








発祥地としての由来。


そして、大切なことで

松浦 当然 まつうら と読んでいた。

しかし、まつうらではなく、「まつら」

なのである。

別に、こだわる必要もないが、

ただ、遠い昔昔は、まつらと詠んでいたという。



伊万里湾、その先の玄界灘、東シナ海を

睨むように、まつら党の兜は

睨んでいる。





九州(西日本)における、海戦の歴史のなかで、

松浦党は、その歴史の中にあった。

(写真撮影 2009・8.12すべて)




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