ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(巨大天下一メタル武道会・雑感1)

2015-10-25 00:47:02 | babymetal
仏教の根源的な考え方に、「煩悩」こそがあらゆる苦しみの源であり、人間は世俗で暮らしている限り「生・老・病・死」をめぐる「煩悩」に振り回されながら思い通りにならない苦しみを送るのだ、というものがある。(雑駁な理解だが、大筋は外れていないだろう)
そこからの「解脱」を求めて、ブッダ自身、「煩悩」のいわば発生源である妻・子を捨てて、「煩悩」を消し去るための修行の旅に出た、のだった。

その「苦=思い通りにならないもの」のひとつに、「求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと」というのがある。いわゆる「四苦八苦」の「八苦」のひとつだ。

今の僕の状態は、まさにそれ、出家前のゴータマ・シッダルタ状態、「煩悩」に振り回されっぱなしの状態だ。
横アリになんとか参戦したい、でも当選できない、でも可能性がある限り「観たい」「会いたい」…。
そんな煩悩が掻き立てられ、でも、それが(今のところ)やっぱり叶わない、という苦しみが募る、そんな日々を過ごしているのである。

実は、すでにもう「ライヴ・ビューイング頼み」の心境になっているが、まずLVが開催されるのか?されたとしてこれも抽選だろうし・・・、とこれもさらなる煩悩をかき立てる・・・。

まあ、これからもこうした苦しみはずっと続くのだ。
いわば、BABYMETAL道、である。

それに耐えながら、たまさかのライヴ参加という僥倖で乾きを癒しつつ、年間365日のほとんどは、映像盤や音盤を楽しむ、という日々が、BABYMETAL道をゆくファンの日々なのである(そう、自分に言いきかせている)。
BABYMETALに限らず、誰かの熱心なファンになるとは、こういうことなのだろう。ファンであるがゆえの喜びと苦しみ。
やはり、苦楽とは、いつでも「糾(あざな)える縄」のようなものとして綯い交ぜになっているのだ。
こうした「落選」という苦しみも「込み」で楽しむ、という、「大人」であることが、BABYMETAL道には必要なのだろう。

えらく抹香くさい文面になってしまったが、いまの僕の偽らざる心境である。
…でも、同好の皆さん、まだまだ頑張りましょうね。
成功への道とは諦めない事である、と言うじゃありませんか!

ちなみに、こうした経験を経て、僕は、握手券付CDをたくさん買えば確実に(?)握手ができるシステム、というのは、たいへん「正当」なシステムでもあるなあ、と実感している。肯定的に評価はできないし、全くしたくもないし、BABYMETALに於いては「当選」を勝ち取った者のみが拝顔できる、という、今のシステムに異存はないけれども、例えば「The One」に入ってるのだから、確実な割合でライヴ当選させろ!一日も当然しない人もたくさんいるのに、両日当選者がいるってどういうことや!という気持ち(僕はこうは思わないが、こう思う人は少なからずいるだろうと理解はできる)の延長線上に、たくさん買ったら握手できます、というシステムがあるはずだから、心情的に共感できなくはないなあ、と思い始めてもいるのだ。

って、とんでもなく、心が弱っているのだろうか?BABYMETALファン失格だろうか?

…と、そんな「煩悩」に振り回されて苦しみながら、仕事と私用がいろいとろ重なり、ブログ更新がなかなかできない日々が続いている。

そんな僕の状況には関わらず(当たり前だ)、BABYMETALをめぐっては、連日、ネット上等で、ブログのネタにもなるような興味深い出来事がどんどん出てきている。
その最大のものが、WOWOWでの6月の幕張ライヴの放送、そして、新春キツネ祭りの音盤(とレインポンチョの)到着だ、が、それらを切口に、BABYMETALについて腰を据えて「探究」することまではまだできていないし、しばらくできそうにない。

花火を打ち上げた「Danscream考」、それを「探究」するための鍵の幾つかが、これらの映像と音盤に(も)あることは間違いないはずなのだが、じっくり考察を重ねる時間がとれないのだ。

仕方がないので、ここでは、少しずつでも、気がついたことを書き連ねておこうと思う。
いわば「覚え書き」だ。
まあ、このブログ自体が、「塵も積もれば・・・」の作業なのだから、それでいいのである
(と、すぐこんな風に「ケロケロ」と考える僕も、YUIMETALと同じO型 なのDEATH!)。

まず、WOWOWで放映された、6月21日の幕張ライヴ『巨大天下一メタル武道会』を観て、気づいたこと・感じたことをいくつか書いておきたい。

まだ、録画したものを6回しか観ることができていないのだが、放送を観て、実際にライヴに参加された多くの方同様、僕も「ああ、あの日のライヴって、こうなっていたんだ!」と初めて理解したことがたくさんあった。
何しろ当日は、ステージはほとんど見えなかった(そんなことは気にならないほど「熱狂」していた「初ライヴ」だった)から、ステージでの3姫や4神のパフォーマンスをつぶさに「観る」のは初めてだったのである。

それでも、放送を観ながら「そうそう、そうだった」と、思いだしたこともいくつかはあった。

その筆頭が、冒頭の紙芝居だ。
「2014.3.1 赤い夜 LEGEND 巨大コルセット祭り ~天下一メタル武道会ファイナル~」の絵が映るが、その中の、3姫が手に白光の輪(実はコルセット)をもって駆けて来るシーンである。
その感動的なこと!

この放送を観て、確かにライヴの現場でこれに遭遇したことを、思いだしたのだった。
現場のリアルタイムでは「さあ、いよいよBABYMETALのライヴが始まるのだ!」という(初体験の)高揚感で舞い上がっていて、一瞬の感動をすぐに忘れてしまっていたのだが、改めて放映盤を観て、当日感じた、あの「戦慄」を味わいなおしたのであった。
(映像盤できちんと見ると、SU-METAL、YUIMETALのはじけるような笑顔と対照的に、あのMOAMETALの苦しそうな顔が確認でき、改めて限界を超えていたんだな、と目頭が熱くもなる。…この辺の「真相」をメンバー自身がいつか語ってくれる日が来るのだろうか、でも、たとえそんな日が来たとして、その時僕はまだ生きているだろうか…これはマジな感慨である)。

今となっては、2015年6月21日の幕張メッセでのオールスタンディング・ライヴが、「巨大天下一メタル武道会」すなわち、「MCもなければアンコールもない。武道会に召喚された瞬間から、既にバトルは始まっているのである」という宣言にはじまる、ノンストップ・ライヴであったことは「事実」なのだが、ライヴ当日のリアルタイムにおいては、(少なくとも僕は)今日のライヴがまさかあの(僕にとっては「伝説」の)「赤い夜」と連続しているなんて思ってもいなかった。

2万5千人の、誰ひとり、予想していなかったはずである。

だって、「赤い夜」は、「天下一メタル武道会ファイナル」だったのだから、その後にまた「天下一メタル武道会」が来るはずがないのである。
「巨大」がついた、ということでイクスキューズは成立するのだが、このへんの「設定の歴史」を踏まえた意外な演出、も、BABYMETALの魅力のひとつである。
あ、もちろん、批判しているのではない、「ああ、シルバー仮面とシルバー仮面ジャイアントとは別物だもんな」というようなわけのわからない納得をして、また狂乱に戻ったことを思い出したのだ。

一期一会、というのはおかしいが、例えば次の「横アリ」でどんなステージになるのかわからなくってワクワクする、というのが、BABYMETALの楽しさで、もちろんどのアーティストのライヴもそうなのだが、BABYMETALのライヴは、せいぜい1時間半、おこなわれる楽曲も固定されている、というもう一つの側面があり、不易流行、というべきかもしれないが、その「反復と差異」が毎回のステージ演出をそれぞれ魅力的にしている。

で、放映版の映像を観て気づいたことのうち、まず最初に書くべきことなのは、

このステージ、何て狭いんだ!

ということだ。
一辺10mくらいか。
ライヴの現場(Cブロックの後方)では「全く」わからなかったが、今回のステージは、三角形形をしていた。三角形にこだわるのは「トリロジー」の形象化としてよくわかるのだが、ステージ最前辺が最大の幅で、奥に行くにしたがって急激に狭くなるこのステージは、「2万5千人オールスタンディング」という観客側の大きさに目を眩まされがちだが、実は、とんでもなく「狭い」ステージではないのか?

ライヴ当日の夜に書いたブログには、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のYUI・MOAバトルに関して、YUIMETALだけでなく同時にMOAMETALも「キメ」のポーズを見せたことに対して、「全く新しいヴァージョン降臨!」と無邪気に興奮した記事をあげたのだが、こうしてステージの見える映像を確認した後では、あの「キメ」は、単に新たなヴァージョンというだけではなく、ステージの狭さから来る「必然」であったのだ、ということがわかる。

「赤い夜」でも、真ん中のせり上がる狭いスペースを使った「ウキ・ウキ★ミッドナイト」(よりにもよってこの曲で!)の超絶舞踊があったが、こうした、あえて「狭い」場を設定してダンスの緊迫感を高めるという、ドS(いや、むしろ、ドM、か?)の設定は、今後もBABYMETALのひとつのステージングの基調になるのだろうか。
いったいここにどのような意味(あるいは機能、もしくは必然性)があるのか?

(つづく)