ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究( Danscream考・序)

2015-10-09 00:49:52 | babymetal
先日のNHKの「MJ(ミュージック・ジャパン)」に、あのThe冠が出演し、熱演していた。
徹底的な自虐ネタ(他虐もしきりに誘っていた)で会場を沸かせていたが、歌はさすがにうまい、感心した。
新聞の番組紹介欄には「ヘビメタ男」とだけ載っていて、「誰?」と思っていたのだが、観てなるほど、である。
NHK、The冠(冠徹弥)、とくれば、昨年末の『BABYMETAL現象』だ。
その意味で、「同胞」でもあるThe冠がメタル自虐ネタで会場の若者の笑いをとっていても、不快に感じるどころか、「がんばれ!いいぞ!」と声援を心の中で送っていたのだ。
(ちなみに、「MJ」は、昨年度の放送のある回に、途中のニュースコーナーでBABYMETALが紹介されたことがあり、その時録画して以来そのまま自動予約に設定しているので、毎週、録画したものをざっと流し観しては消している。他のアイドルやバンドやユニットを手軽に確認できる、僕にとっての「勉強」の素材のひとつだ)

で、その、The冠が「MJ」で披露した「傷だらけのヘビーメタル」の歌詞に
嫁も聴いてるイジメ、ダメ。どうやらメタルがきているのだ
というのが出てきて、驚いた。

調べてみると、この「傷だらけのヘビーメタル」の発売は2009年3月であり、元の歌詞にBABYMETALが出てきているはずもない。
もともとは「嫁も読んでるDMC(=デトロイト・メタル・シティのこと)、どうやらメタルがきているのだ」であった。
この曲の世界観全体(そしてThe冠という存在そのもののコンセプト)から、「きてる」と思いこんでいる(あるいは、思いこもうとしている)男の可笑しさ・哀しさを表現している歌詞であったはずだが、
しかし、2015年の10月に、NHKの「MJ」で歌詞を変えて披露した、
嫁も聴いてる、イジメ、ダメ。どうやらメタルがきているのだ
とは、もはや決して勘違いとはいえない、というところが、胸熱、である。
(NHKのMJに、The冠が出演する、ということ自体が、メタなレベルで、すでに「どうやらメタルがきているのだ」が必ずしも勘違いとも言えない、ということの傍証になっているのだし。)
パロディが反転して現実になりつつある、そんなThe冠の熱演を、僕は好ましく思ってみていた。(なぜかほとんど話題になっていないようだが、『BABYMETAL現象』を象徴する1シーンだった)。

BABYMETALだけのおかげではない、ということは言うまでもないことだが、しかし、少なからざるBABYMETALの力によって、本当に「メタルがきている」律動が起こりつつあるのであれば、まさに昨年の『BABYMETAL現象』の冒頭の、冠徹弥による「さあ、メタルを愛する者たちよ、今こそ涙を拭いて立ちあがるがいい。俺たちの救世主、BABYMETALを迎えよ(う)!」という雄叫びが、単なる煽り文句ではなく、予言(預言)であった、ということだ。

「メタル再燃」に関するテレビ報道もあいついでいるが、ヘドバン最新号でも「メタル復権」がテーマになっているようなので、その考察をまた楽しみに待ちたい。

それにしても、BABYMETALがメタルを揺り動かしているとして、その原動力は何なだろうのか、と考えてみると、「ありえないほどの美少女3人が」ということ(アイドルであること)ももちろん大きな要因なのだが、「メタルを踊る」ということがその最大の要因であることは、疑いようがない。
そもそも「メタルダンスユニット」という自称には、「アイドル」という文字は入っていないのだ。)

しかも、単に「メタルを踊る」というだけでなく、「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」ということ。これは、(すでにBABYMETALの完成されたステージを観て慣れっこになってしまっている僕たちには、あらためて対象化して捉えにくいことなのだが)、僕たちファン・視聴者が考えているよりも、はるかにとんでもないことに違いない。

コンテンポラリー・ダンサーが、アイドルの振付を見て「歌いながら踊るって凄い」と感嘆する言葉を、例えば『IDOL DANCE!!!』でも目にすることができるが、歌う時の筋肉等の動きと、ダンスの際の身体の動かし方とは、まったく別のもの、ということなのだろう。
ましてや、BABYMETALの3姫の舞踊は、その速さも精度も運動量も、並のアイドルのダンスとは隔絶した質・量を持っているのだから、もしもプロのダンサーがBABYMETALのステージを見たとしたならば、その時の驚愕は、超弩級であろうと思われる。
(おそらく、僕たち素人にも、その超弩級の凄さの「気配」は伝わってくるのだろう。この娘たちは「本物」だ、というBABYMETALのパフォーマンスが与える印象は、まさにそうした、その道のプロが見ても舌を巻く高品質のパフォーマンスが凝縮されていることから来ているはずだからだ)。

あるいは逆に、BABYMETALのライヴ映像を初めて観た、例えば生粋のメタルヘッズが、「これ口パクだろ」「かぶせっぽい」などと、SU-METALの生歌を否定したくなるのは、これだけ踊って声が乱れないなんてありえない、という「常識」から来るものだろう。で、生歌だとわかった瞬間に、驚愕し、畏怖・畏敬の念を抱いて…墜ちる、のである。
とりわけ、実際にバンドでヴォーカルをしていた(している)人が、SU-METALの「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」パフォーマンスを観て、驚嘆しているコメントは、いくつも目にしたことがある。

SU-METALの「Vocal,Dance」とは、単に「歌ったり・踊ったり」するなんて次元のものではない。
超絶的舞踊を(もちろんYUI・MOAとの役割分担においての「静」を基本にはしているがそれでもとんでもない動き)を「演」奏しながら、力強く・澄み切った、唯一無二の倍音バズーカを操り・発射するのだ。
「化け物」あるいは「至宝」と呼びたくなる(事実、そう、なのだが)所以である。

また、YUI・MOAの「Scream,Dance」も、単に「叫んだり・踊ったり」するなんて次元のものではない。
超絶高速舞踊にのせた「Scream」は、完璧に舞踊と一体化している。「声による舞踊」と言ってもよいだろう。それを「専門職」にしたメンバーを有するバンド・ユニット・グループなんて、いなかった。(歌うだけ、踊るだけ、煽るだけ、のメンバーを含むユニットならばいくらでもいたし、いまでもいるだろうが)
唯一無二のユニットBABYMETALの本体が、YUI・MOAである(これ、久しぶりに使う文言だなあ)、とは、そうした印象の謂でもあるはずだ。
そして、あれだけの超絶高速舞踊を、ライヴ中、し続けているのである。
それも、単に身体を音楽に合わせて動かす、というレヴェルではなく、観客にとっての楽曲のインターフェイスとして、裏返しに言えば、ヘヴィメタル楽曲の体現として、常に激しく・楽しく・美しく、舞い・跳ね・踊り続けているのだ。
ライヴ中、し続けている。
ライヴ中、し続けている。
ライヴ中、し続けている。

何度繰り返し書いても、書き足りない。
これって、本当にとんでもないことだ、ということは、BABYMETALのライヴ体験者ならば、皆、(自分自身のヘタレぶりの認識と対照させることによって、全身全霊で)痛感していることだ。

BABYMETAL are
            SU-METAL(Vocal,Dance)
            YUIMETAL(Scream,Dance)
            MOAMETAL(Scream,Dance)

この、シンメトリーとアシンメトリーとの組み合わせ(3人の組み合わせをこう呼ぶのは、やや不適切な言葉づかいだろうか。YUI・MOAについては、「シンメトリー」とKOBAMETALがはっきり語っているが)の絶妙さ。
この3人だからBABYMETALなんだ」ということの意味。
それが「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」という、彼女たちのヘヴィ・メタルにおける全く類を見ない「演」奏において、最大限に組み合わされ・引き出されている。
「歌い手と踊り手との役割分担」ならば、よくあるかたちなのだが、BABYMETALはそうではない。

そして、ここまで考えを進めたうえで、あらためて振りかえってみれば、「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」とは、やはり、僕らが慣れ親しんできた、日本のアイドルたちに特徴的なパフォーマンスだ。それを極限まで高めたら、世界に衝撃を与え、言葉の壁を超えて観客を幸せにする、こんなパフォーマンスになった、ということだ。

単に世界的に人気、というだけでなく、日本代表、と僕たちファンが胸を張りたくなるのも、「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」というBABYMETALの、昭和のアイドル由来の「演」奏の性質によるものだ。

このへん、今後さらに掘り下げて考えてみたい。

とりわけ、YUI・MOAの「Scream,Dance」は、「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」というBABYMETAL独自の「演」奏において、その機能を十全に発揮しているのだから。
「BABYMETALというオンリーワンのジャンル」とは、具体的なパフォーマンスの次元で言うならば、まさにこのことだ。

今回のタイトルの、「Danscream」とは、単なる「Scream」&「Dance」ではない、それらが渾然一体となった、YUI・MOAの独自の「演」奏の質を言い表わすための造語である。
これについては、少しずつ角度を変えながら、このブログで繰り返し繰り返し語ってきたのだから、まさに「屋上屋を架す」ことになるのだが、「YUI・MOAとは何か?」を語ることこそが、このブログで行う「探究」の主旨なのだから、これでよいのだ。
今までと同じようなことを書いているようで、このブログの内容も少しずつ「進化」している(はずな)のだから。