「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

歴史の回想「南部氏一族の群像」アマゾン・グーグル・楽天・角川・電子書籍紹介。

2019-11-20 05:54:43 | 温故知新

「南部氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。
平安末期以来の武家。甲斐国巨摩郡南部郷を名字の地とした清和源氏加賀美遠光三男の南部光行を始祖とする。鎌倉期には、御家人として陸奥、但馬その他各地に所領を与えられ、また得宗御内人となった一族もいた。甲斐南部は室町期まで確認できるが、著名なのは、日本最北、最大の郡であり駿馬の産地として知られている陸奥国糖部郡に依存した奥州南部氏である。一戸から九戸まで郡内区画を各々名字とし、南北朝には八戸、室町・戦国期には三戸の南部信直は豊臣秀吉から糖部、岩手、鹿角、閉伊、斯波、久慈、遠野の七郡を安堵、さらに稗貫、和賀の二群を加えられ、近世の盛岡藩・八戸藩・七戸藩の祖となった。


「小山氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。

2019-11-20 05:43:06 | 温故知新
「小山氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。
平安後期から戦国期の武家。秀郷流藤原氏。太田行政の子政光が下野国都賀郡小山郷(現栃木県小山氏)を本拠としたのに始まる。源頼朝の挙兵に従い、鎌倉幕府の創設にも長沼、結城等の庶子家と共に活躍、有力御家人として下野守護職を相伝した。南北朝期には朝氏(南郷が南方に与したが、以降は概ね足利方に属した。しかし永徳2年(1382)宇都宮基綱を攻め殺した罪で鎌倉公方足利氏満の討伐を受け小山義政は敗死。嫡男小山若犬丸も応永4年(1397)※小山犬若丸・南北朝の武将、小山義政の子。悪四郎、隆政とも称し、義政の乱で父が糟尾山中で自害した後、陸奥三春城田村祇園上で挙兵した。鎌倉公方足利氏満が自ら出陣すると、犬若丸は祇園城を捨てて逃亡し、各地で氏満軍に抵抗を続けたが応永4年奥州会津で自害した。その後小山氏は結城基光の子泰朝を持って小山氏を養子を含めて三度の再興させた。以後も名家として勢力を振るった。享徳の乱では古河公方を支えた。天正3年(1575)小田原北条氏に敗れて配下になり、小田原征伐の後北条氏と共に滅びた。