「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「浪速今昔百景」了徳院(福島聖天)・

2019-01-09 07:18:57 | 浪速今昔百景
「浪速今昔百景」了徳院(福島聖天)・JR福島駅より北西に行くと町中に、「福島聖天」の幟の旗が目に付く、境内は門が変形しいて入り口に向かって堂塔が祀られていて本堂には本尊は珍しいの准胝観音菩薩、創建は定かではないが、洪水のために流失し、元文元年(一七三六)に高野山の善集院より宥意上人が再建したと伝えられ、この寺の由来を見れば、浪速の豪商高田屋嘉兵衛、易学の大家、水野南北はこの寺の歓喜聖天を暑く信仰していたという。また俳人の松尾芭蕉もこの寺を訪れて「かきつばた」の美しく咲けることを述べている。「杜若 語るも 旅の一つ哉」と言う句の境内の弁天池に遺されている。そして歓喜天は古来伏見宮家の祈願所として「桔梗に十六枚匊花」許し賜っている。江戸時代から昭和の戦災まで浪速の一名所として賑わいを見せ線香の絶え間なかった。戦後焼失し衰退したが、信心深い商人や人々の願で堂塔が再建され、山門、鐘楼、聖天堂、観音堂、不動堂、地蔵堂、稲荷堂、絵馬堂など次々再建されていった。

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「浪速今昔百景」淀屋の屋敷跡・

2019-01-07 08:00:11 | 浪速今昔百景
「浪速今昔百景」淀屋の屋敷跡・地下鉄淀屋橋の上の交差点の南西に淀屋の屋敷跡碑と林市蔵記念像がある。江戸時代の豪商であった淀屋は本名岡本と言い、初代与三郎常安は大坂の陣で徳川方に与した、夏の陣の後、この辺り一帯を邸宅を構えた。その規模は100間四方1万坪を有し、淀屋橋は淀屋が米市への交通の便を良くするために架けたもので、その名称の始まりになった。また林市蔵は大阪府第15代知事として府政に尽力を注いだ。特に福祉社会に寄与し「民生委員の父」と言われ大正七年に府内に方面委員を設置したことから今日の民生委員制度の発端となった。
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「浪速今昔百景」正円寺(天下茶屋の聖天さん)

2019-01-05 15:52:17 | 浪速今昔百景
「浪速今昔百景」正円寺(天下茶屋の聖天さん)・聖天山古墳の一角に天下茶屋聖天さんで親しまれている、正円寺がる。創建は光道和尚の開基により東方五町阿倍野村に有って、阿倍野寺の一寺であった。その後行くたびか戦禍に遭い、義道見明和尚が再建し、聖天堂に諸堂が建立された。本尊の大歓喜聖天は有名な慈覚大師が入唐求法の際、船待ちの間に刻んだものと伝えられている。境内には弘法大師の大師堂、不動堂、北向き延命地蔵などが所狭しと祀られている。

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『浪速史跡めぐり』教育塔・昭和九年西日本を中心に高知県は室戸岬に上陸した室戸台風は、大阪、神戸の間に再上陸、被害は死者二七〇二人、不明者三三四人

2016-12-19 04:34:42 | 浪速今昔百景
『浪速史跡めぐり』教育塔・昭和九年西日本を中心に高知県は室戸岬に上陸した室戸台風は、大阪、神戸の間に再上陸、被害は死者二七〇二人、不明者三三四人と関西に大被害をもたらした。枕崎台風、伊勢湾台風と三大台風に数えられ、そのうち戦前で最大の台風だった。四Mと言う高潮が発生し千九百人の人々が溺死した。その高潮は大阪城辺りまで灌水したと言う。瞬間最大風速60Mと言う暴風で神社や寺院は倒壊したが中でも各学校は比較的大きな建物であったために甚大な被害をもたらした。しかも午前8時前後の登校時に強風が直撃し木造校舎が一瞬に倒壊し中に居た児童や職員、迎えに来た保護者など多くの犠牲者を出した。小学校内での死者は職員七名、使丁二名、児童二五一名、保護者七名合計二六七名を出した。負傷者に至っては一五七一名を上回った。大阪城に台風による犠牲者の慰霊の為に一九三六年に立てられたものである。
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『浪速史跡めぐり』天王寺塔頭・英霊堂・当堂は明治39年(1906)聖徳太子のご遺徳を奉賛する頌徳鐘楼として建立され

2016-12-08 04:49:33 | 浪速今昔百景
『浪速史跡めぐり』天王寺塔頭・英霊堂・当堂は明治39年(1906)聖徳太子のご遺徳を奉賛する頌徳鐘楼として建立され、重量4万2千貫の世界一の大梵鐘が作られたが、その大梵鐘は第二次世界大戦の中供出された。戦後平和の祈りとして、国の為に我が身を捧げられた英霊を祀るお堂として、英霊堂と改名されて建立された。ご本尊は比叡山西塔黒谷よりもたらされた阿弥陀如来像で、左右に持国天、増長天お祀りをしている。
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