静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

報恩講 親鸞聖人の願われたこと

2012-09-11 14:54:19 | Weblog
報恩講の季節が近づいてきました。

報恩講とは、親鸞聖人のご恩徳をしのび、聖人の
ご命日に開かれるご法筵で、ご生誕をお祝いして
開かれる降誕会と並び、浄土真宗の二大行事の一つ
となっています。
親鸞聖人のご恩に報いるには、どうすればいいのか。
それは、聖人が最も願われていることを知り、その
とおり実行することでしょう。

昨年の報恩講は、全国の真宗寺院で聖人の750回忌
が勤められました。だがそれは、果たして聖人の願わ
れる報恩講になっていたでしょうか?

聖人が願っておられることとは、次の御和讃にも
明らかです。

「三朝浄土の大師等
哀愍摂受したまいて
真実信心すすめしめ
定聚の位に入らしめよ」(正像末和讃)


聖人が「三朝浄土の大師等」と呼びかけておられるのは、
印度、中国、日本の三国の高僧知識方(七高僧)のこと。
これらの方々に、どうか「真実信心すすめしめ、定聚の
位に入れしめよ」と哀願しておられるのである。
一切の人々に真実信心を勧め、往生一定の身(定聚の位)
に導いていただきたい。親鸞も全力挙げてはおりますが、
信心獲得する人が少ないので困っております。どうか力
をお貸しください、とお願いされているのである。


一人でも多く、一日も早く真実信心を獲得し、往生一定
の身になってほしい、それが聖人90年のご生涯、ただ一つ
願い続けられたことではなかったでしょうか。


残念ながら本願寺750回忌は、聖人讃仰の〃荘厳な〃
儀式はあっても、「真実信心」の勧めも、「定聚の位に
入らしめよ」の熱い叫びも聞かれませんでした。二時間
余りの法要中、10分程度「阿弥陀如来はいつでも、どこ
でも、照らし、呼び続け、包んでいてくださいます」と、
すでに皆助かっていると誤解させるに十分な話をしただけ
でした。


なぜ、聖人があれほど切実に願われているにもかかわら
ず、参拝した門徒に真実信心を勧め、定聚の位に入らし
めようとしないのでしょうか。

ちなみに、親鸞聖人の願われたこととして、本願寺が
750回忌のスローガンに掲げたのが、

「世の中安穏なれ」

でした。

お家安泰がいちばんの願いの、本願寺らしいスローガンとは
思いますが、親鸞聖人の真の願いから、遠ざかること甚だし
のではないでしょうか。


650回忌には100万人あった参拝者が、100年後の
750回忌には、40万に急落した最大原因は、「真実信心
すすめしめ、定聚の位に入らしめよ」の、親鸞聖人の真の願い
に背き続けてきたことにあるのではないでしょうか。
最初のボタンを掛け違えれば、すべてが狂ってしまいます。