何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

今、そして依所

2018-05-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコ 
今月はワンコお告げの本を、ついに読むことができなかったよ ワンコ

最近ここに記しているのは、
ニュースなどを見ては思い出す、過去に読んだ本の一節であり、
本当のところは、なかなか新しい本を読むことができないでいるんだよ

でさ、ワンコの日に、
時間マジックを使ってでもワンコお告げの本について書くべきか迷っていたところ、
※いろいろな事が重なって・・・・・(※については後日お知らせするね)
誤魔化しではなく、今はこの詩を記しておくべきだと
ワンコは お告げしてくれたんだね

その切っ掛けになったのは、
幼稚園の運動会で元気よく踊った♪YMCA♪の人が、お空に旅立たれたからなんだ
ほんの子供の頃に耳にした歌詞は、ほとんど印象に残っていなかったのだけど、
なぜか一節だけハッキリと思い出される箇所があるんだよ

♪若いうちは やりたいこと 何でもできるのさ♪

もう、何でも出来るという’’若い’’時は過ぎた?と思うのだけど、
それでも ♪さあ立ち上がれ 今翔びだそうぜ♪ という箇所と共に味わうと、
それは「時代を越えて②」で予告していた本の一節にも重なり、心を打つんだよ

そして自分勝手に、♪若いうち♪を解釈しなおし、
こんな詩を思い浮かべているんだよ

サミエル・ウルマン「青春」と題したこの詩は、
「人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる 
 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる 
 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる」
ばかりが有名だけど、
全体を通して読むと、それは一層味わい深いんだよ(そう感じる年になった?)

青春 サミエル・ウルマン

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる 
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる 
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。


「南海トラフ大地震の危険性に端を発し」、このところ書いてきた名古屋城紀行
それを締めくくるために記そうとしていた本に、
ワンコのお告げを感じさせる一節があったのだけど、
それが、この詩に結びついたのだから、
これもワンコのお導きだよね ワンコ
そして、それを今日記していることにも、意味があるよね ワンコ

頑張るよ ワンコ

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時代を越えて ②

2018-05-17 12:00:00 | ひとりごと
「世代を越えて①」より

歴史的なお宝を、私のお粗末な写真と知識で記しては申し訳ないと、一度は掲載を諦めていた。
その気持ちを変えたのが、そう遠くない時期に発災しそうな南海トラフ地震の記事なので、名古屋城の締めくくりは、祈りをこめて「災害を乗り越えてきた日本」を書きたい。(参照、「那古野 名古屋 がんばれ」) 
大天守閣地階の入口を入ったところで来城者を迎えてくれる金シャチのレプリカ

鯱というと、名古屋城が有名だが、昨年の夏の「落雷により国宝・犬山城の鯱が破損した」というニュースは記憶に新しい。

平成になり何度となく大災害に見舞われ、最近では災害のニュースに触れると、沈み込むように気が滅入るのだが、この「時代を越えて②」を書くため、その後の犬山城の鯱について検索していると、いつの間にか、復元され設置されていたようだ。
しかも、話題となったおかげで犬山城の入場者数は史上最多となっただけでなく、これを契機に史実により忠実に復元できたという。
まさに「災い転じて福となす」といえそうだ。
(参照、「災い転じて福?国宝・犬山城、鯱の破損・復元の思わぬ効果」2/26(月) 18:09配信記事) 
     https://news.yahoo.co.jp/byline/otaketoshiyuki/20180226-00082082/

そうなのだ
日本はこれまで何度となく大災害に見舞われてきたが、その度ごとに立ちあがり、より前進してきたという歴史的事実がある。
その歴史的事実を伝える文化がある。
その歴史と文化こそが、未来を照らす指標となってくれると感じさせる本を思い出した。

それについては、またつづく


ところで、今年は季節が駆け足で過ぎていっているそうで、植物の植え付けも収穫の時期も、例年より一週間から10日ほど早いという。
以前は、夏野菜を植えるための土づくりや植え付けの時期をスケジュール帳のすみに記しており、それを参考に準備したものだが、近年は忙しく、猫の額の庭野菜作りは、お天道様のご機嫌に従うというよりは、自分の都合に左右されるので、昨年などの収穫は、ものの見事に惨敗という結果だった。
だから、というわけではないが、今年の夏野菜は一念発起して力を入れている(実際には、冬の葉物の目ん玉が飛び出るような値段に参ってしまったからだが・・・
そんな庭野菜のジャガイモが、可憐な花を咲かせている。

’’花より団子’’ とばかりの視線を送るには勿体ないような可愛い花なので、花言葉などあるのかと調べてみると、「慈善」「慈愛」「情け深い」「恩恵」などが、そうだという。
「なるほど、栄養豊富で様々な料理に重宝するジャガイモらしい花言葉だ」と感じる私は、やはり「花より団子」な人間なのだと思う。


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世代を越えて ①

2018-05-15 12:00:00 | ひとりごと
「那古野 なごや ではない①」「那古野 なごや でもよい②」「那古野 名古屋 がんばれ」より

入り口を入ってすぐの間 ※ の虎は、見る者を大いに威圧するが、ここは虎の間とも呼ばれた本丸御殿の玄関で、藩主に拝謁する者が控える場所であったそうだ。
藩主様が狐であったとは云わないが、拝謁を前にした家臣を縮み上がらせるのに、虎は大いに役立ったことだと思う。

さて、脅してばかりでは上に立つ者は務まらない。
次の間は、いきなり雅な雰囲気になる。

格式ばっていながらも、枝振りが柔らかで明るい松が、客人を迎えてくれる。


殿さまが、松やら美しい植物や鳥やらで威厳と雅を見せつけるという硬軟あわせもった力技で、家臣を圧倒した?ここは表書院で、正規の謁見に使用された場所だという。



更に進むと、絵柄はもっと くだけたものとなる。
人の肩越しでは、絵柄の細かいところまでは見ることはできず、まして説明書きなど読むことは出来なかったので、くだけた絵柄に変わったとしか感じなかったのだが、今調べてみると、それは庶民の生活を描いたものだという。

この くだけた絵が描かれた間は対面所といい、藩主とその身内が内々に宴会を催す場であったというが、貴人がわざわざ市井の様子を楽しむのは洋の東西を問わないのか、人工的に田舎の風景を作ったプチトリアノンを思い出させる。

本丸御殿は、フラッシュさえ焚かなければ基本 写真撮影はOKだったので、ヘタな何とかも数撃ちゃあたる!とばかりに撮ったはずだが、掲載できるようなものは、、、そんな事とは露知らず、カメラ片手に意気揚々と天守閣へ向かっている、つづく


追記
「入り口を入ってすぐの間 ま※」、に※をつけたのには理由がある。
知り合いが、どうにも最近の若者とは会話が噛み合わん、と嘆くのを聞いたことがある。
料亭だか旅館の大広間(和室)だかを借り切って、研修か何かの打ち上げの場を持った時のこと。
知人が新人君に、「とりあえず背広は長押に掛けておこうか」と言ったが、どうにも伝わったようにない。
知人は何なんだ!?と思いながら、新人君に座席票を見せると、「この、ゆかのあいだ って何ですか?」と聞いてきたそうだ。
聞かれた知人の方が、「ゆかのあいだ」の意味が分からない。
・・・・・
何のことはない、教授にお座りいただく上座を示すための「床の間」を、新人君は「ゆかのあいだ」と読んだそうだ。

聞けば、自分の家も祖父母の家も(高級らしいが)マンションで、床の間も床脇も出書院も実物を見たことがなかったそうだ。
感覚や価値観の違いなどというジェネレーションギャップではなく、元から言葉が通じない状況が起こりつつあるようだ。
そんな新人君も今頃は、医師として三年目の春を迎えているはずだ。

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那古野 名古屋 がんばれ!

2018-05-13 15:31:37 | ひとりごと
「那古野 なごや ではない①」「那古野 なごや でもよい②」より

次回は、このところ振り返っていた名古屋城(写真)の続きをと思っていたが、大急ぎで見て回ったこともあり良い写真が撮れなかった、という言い訳が通用しなことが判明し、続きを掲載するのを躊躇っていた。
なにせ、どこをどう歩いて本丸御殿・天守閣に辿り着いたのかさえ、私は分かっていなかったのだ。


「那古野 なごや でもよい②」の末尾に、「(おそらく)一の門も二の門も越え、本丸御殿に向かった、それについては、つづく」などと書いたが、情けないことに一之門は空襲により焼失している、しかもそれを説明する木札を写してさえいる。

そんな訳なので、せっかくの素晴らしい本丸御殿のお宝を、私の無知で下手な写真で汚す必要はないだろうと思い、名古屋城写真は打ち止めにするつもりだった。

だが、こんな記事を見つけてしまったからには、下手な写真でも残しておきたいと、思うもの。

<【南海トラフ】伊勢湾〜三重県で最大M4.5の低周波地震と地殻変動を観測>
ハザードラボ2018年5月12日 23時05分 更新より引用
南海トラフ巨大地震について検討している気象庁は、先月中旬から下旬にかけて、伊勢湾から紀伊半島のプレート境界付近で深部低周波地震を観測したと発表した。同時期には、複数の観測点でわずかな地殻変動もあったという。
四国の南から駿河湾にかけて伸びる南海トラフ沿いでは、今後30年以内に70%の確率でマグニチュード(M)8を上回る巨大地震が発生する可能性があるとされる。気象庁は今月9日に定例の検討会を開き、先月13日~21日にかけて、伊勢湾から三重県にかけてのプレート境界付近の深さ10キロ以内を震源とするM3.6~M4.5の深部低周波地震があったと発表した。
このうち4月14日には、愛知県西部で相次いだ2回の地震で、いずれも震源の深さは6キロ、西尾市や高浜市などで最大震度4の揺れを観測したほか、愛知県から静岡県、長野県、三重県、滋賀県、奈良県など広い範囲で震度2以上の揺れがあった。
また、愛知県と三重県では、ほぼ同時期に複数の観測ポイントでわずかな地殻変動を観測しているという。
これらの深部低周波地震と地殻変動について、検討会では南海トラフ地震の想定震源域のプレート境界の深部で「短期的なスロースリップ」が起きているのが原因だと推定しており、現時点では、「巨大地震発生の可能性が平常時と比べて相対的に高まったと考えられる特段の変化はない」と結論づけている。
「スロースリップ」とは、地下のプレートの境界付近の断層がゆっくりとずれ動く現象で、南海トラフ地震の想定震源域では、海洋プレートの沈み込み地帯で繰り返し起こることがこれまでの調査で明らかになっている


「巨大地震発生の可能性が高まったわけではない」と言いつつ、「スロースリップは、南海トラフ巨大地震想定震源域では起こるもの」で記事を終えるあたりが、何ともズルいと思うが、リスク管理という点からみれば、この表現が精一杯なのかもしれない。
あとは日本人が得意とする、「言外を察する」でいくしかないのかもしれない。

名古屋城は幾多の災難に見舞われている。
西南隅櫓は大正10年(1921)の暴風雨により石垣もろとも崩壊してしまったし、天守閣と本丸御殿は昭和20年5月(1945)空襲により焼失してしまった。
そこを乗り越え、後に再建されたものもあれば、災難を見越して事前に守られたものもある。
そんなお宝(模写ではあるが)を、掲載しておきたい。


私でも一目で狩野派と分かる、見事な襖絵 

竹と虎の取り合わせは有名だが、それは竹とともに虎を描くことで、虎の獰猛さを更に強調しながら、高潔なイメージを伝えることが出来るからだと何かで読んだことがある。
だが、虎と云うと、まず「山月記」(中島敦)が浮かぶ私は、虎に猛々しさや王者ゆえの孤独というよりも、もっと違う何かを感じてしまう。
そんな気持ちに合う説を見つけた。

それは臨済宗の御住職の御法話だ。(注、襖絵と御法話は無関係)
猛獣な虎でさえ、群れをなした象には勝てないという。
そこで逃げこむ処が竹薮の中。
巨体の象は竹薮に入られず、また、竹薮に入ると象牙にヒビが入るため、その昔、杣人は象牙のパイプを竹薮へは持って入らなかったという。
青竹に象牙は禁物。
従って、虎には竹薮が何よりの安全地帯であり、依所であるという。
 
以下の言葉で終える、この御法話が心に染み入る。

牡丹に唐獅子  竹に虎

三百数十年の時を越え、
「あなたにとって、依所となる安住の地は何処ですか。」
と問いかけます。
http://www.rinnou.net/cont_04/rengo/2003-10.html

自分にとっての日々の精神的な拠り所は何だろうかという思いとともに、拙い写真を掲載する切っ掛けとなった「南海トラフ地震」のような大災害が起こったとして、何を拠り所にすれば立ち上がれるだろうか?と考え込んでしまう休日の午後である。

お宝は、つづくよ

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忖度、ああいうことになる

2018-05-10 21:55:25 | ニュース
このところ名古屋城の写真を掲載していたのだが(「那古野 なごや ではない①」「那古野 なごや でもよい②」)お蕎麦のメニューのような問題が世間を騒がし、お偉い人が証人喚問だか参考人招致だかで右往左往しているので、これぞ官僚の鑑ともいうべき人間を描いた小説にあるThe官僚名言集とでもいうべきものを書く方向で、、、「調整」してみた(苦笑)。

「隠蔽捜査シリーズ」(今野敏)

改めて振り返ってみると、「隠蔽シリーズ」が初めて世に出た2005年から最新刊の「隠蔽捜査7 棲月」まで、13年の間に9冊出版されているので、個々の事件のアレコレついて記すことは難しいが、主人公の警察官僚・竜崎の職務に対する一貫した姿勢なら一言で書き記すことができる。

The官僚、官僚とは斯くあるべき

竜崎のそれは、我が息子が 出来すぎる堅物の親父・竜崎の存在と自らの能力に悩み薬物に手を出そうと変わらない。
家族への情も自らの出世もヘッタクレもない。
警察官として、見つけた不正は公にするという(当然の)信念のもと、息子を警察に突き出す。
キャリア官僚の息子の不祥事ということで、盛大なバッシングに遭い、降格人事で所轄に飛ばされる。
並の官僚なら、そこで警察を辞めるところだが、竜崎はキャリア官僚であろうと一所轄の署長であろうと、公僕として働くことが自分の使命だと、所轄で真面目に誠実に勤務する。

上に諂うことはなく、下を侮ることもなく、ただひたすら国民の負託に応える公務員であろうとするThe官僚・竜崎。

そんな竜崎の言葉を、もう何年も読書備忘録に記してきた。

今それを、個々のストーリーと切り離して記しても、読んでいる最中に感じた言葉の重みが伝わるとは思えないが、何とも空々しい証言が空を舞っているので、竜崎の言葉を記しておく方向で「調整」してみた。
(注、備忘録にアトランダムに記していた為シリーズの どの作の言葉かを明らかにすることは出来ないが、『 』はすべて竜崎の思い)

『手強い犯罪に対する一番の武器は合理性だと、私は信じている』

竜崎は徹底して合理性を重んじる。
そして、その際の原理原則は最新刊でも詳細に書かれている。

『竜崎にとって最も大切なのは、公務員としての役割だ。公務員は国のために働くのだ。日本は民主国家なので、国のためにというのは国民のためと同意義だと竜崎は考えている。
たてまえだけのことではない。そして、たてまえこそが重要だ。なぜならそれは原理原則だからだ。
原理原則はすべての物事の中心軸だ。人体で言えば背骨で、最も大切なものだ。それを無視したら、物事がまったく見えなくなる。
問題に直面して右往左往している人は、原理原則を忘れているのだ。逆にそれをしっかりと押さえている人は、どんな問題にも対処できる。
竜崎は、公務員としての仕事が何より大切で、家庭よりも優先順位が上だと考えている。ましてや、職場での人間関係など優先順位がはるかに下のはずだった。
それは竜崎にとっての原理原則だった。』

竜崎は、国の為に働くときに必要なものとして、守りたいものと確固たる判断力が必要だと考えている。

『戦うために大義はいらない。
 ほんの小さなものでもいい。何か信じるものがあれば、そのために戦うのだ。
 守りたい何者かがいるなら、そのために戦えばいいのだ』
『「国家公務員が」すべきことは、現状に自分の判断を合わせることではない。
 現状を理想に近づけることだ。そのために、確固たる判断力が必要なのだ』

だが現状を見るに、竜崎の『小物に立場や権限を与えると、ああいうことになる』という言葉は強烈であるし、何を守りたいと考え何を理想とするのかを、個人の良識と良心に委ねるのは、かなり心許ない。
しかしその一方で、守るべきものや理想をお上から押し付けられる社会も恐ろしい。

何より一番問題なのは、私もまた弱い自分を十分承知しているために、こう書いたからと云え、あるべき官僚に徹しきれない人を一方的に責める気持ちになれないことかもしれない。

竜崎のように何事も忖度せずに信念を貫ける人は珍しい、と思いつつ、邪な思いのない美しいものを、ただ眺めている。
 
柚子の花と雨に洗われる牡丹の葉
柚子の花の花言葉、汚れなき人


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