このところの''祈り''シリーズから離れるが、「ワンコの樽に満ちる祈り」で「昭和の犬」(姫野カオルコ)について書いたので、そこを少々書いておく。
『よそから来るものは悪ものである・・・・・、この感覚は、人に生来備わっているものだろうか。』とインベーダーの章は始まるが、イクの心の領地を荒らすのは、何も他所から来たものばかりではなく、むしろ両親こそがインベーダーであったかもしれないし、両親にとってもそれまでの生活に突然加わった子供は、我が子ですらインベーダーだったのかもしれない。
『よそから来るものは悪ものである・・・・・、この感覚は、人に生来備わっているものだろうか。
答えはともかくも、見慣れぬ様式は新鮮とは捉えず低級と捉える感覚は、地位を獲得した人に確実に備わる。
新しい方法で攻められれば怯える。新しい感覚のほとばしりに怯える。
この反応は、自分が獲得した地位への脅かしに対する敏感さでもある。
敏感ゆえに、その怯えはヒステリックな攻撃になることもある。
よそから来て領地を広げようとするものは、必然的に、前からそこにいる者の領地をインべードすることになる。
とくに、前からそこにいる者たちの上層部の領地を。
よそから来た者が、清く若き正義感だとは限らない。そのやり方は、往々にして荒々しく暴力的である。
だが、前からそこにいる者たちもまた、典雅なる智者とも限らない。ヒステリックな防御と排泄に出ることもある。』
イクは''家''について繰り返し『その家の中のほんとうのことは、その家の人じゃない人からは、わからないことだよ』『家庭の実態は、そこに住まぬ者には見えない。見えるのはただ、窓から溢れる灯である』とも語っている。
''家''を起点にした内と外との区別もあるが、家の中にあっても、そこに住まう人の心には明確に内と外の区別が生じる。
主人公イクは子供時代から、内と外の区別を何層も重ねて心をガードしてきたのかもしれないが、その真ん中に昭和という時代と犬がいたことにより、不惑を超えた時『今日まで、私の人生は恵まれていました』と自らを肯定できる人となる。
その、しみじみとした感慨が、年の暮に何故か私の心に沁みたのだ。
『自分はいい時代に生まれたと思う。
昭和という時代には暗黒の時期があったのに、日当たりもよく溌剌とした時期を、子供として過した。
ましてその昭和最良の時期にも翳りの部分はあったのに、その時期に子供でいることで翳りは知らず、
最良の時期の最良の部分だけを、たらふく食べた。
田んぼや畦道や空き地や校庭や野山や、それに琵琶湖のほとりの浜は、空想の中で変化自在の空間だった。
正義と平和を、心から肌から信じられた。
未来は希望と同意だった。』
姫野氏よりは若輩者だが昭和を知る人間としては、この感慨はよく分かる。
今年は戦後70年だったが、70年経たはずの今年ほど、70年以上も前の翳りの部分が蒸し返され年もないのではないか。
私が知る昭和は、戦後70年も経ていなかったにも拘らず隣国とここまで揉めてもおらず、むしろアジアの盟主とさえ呼ばれていることが誇らしかったし、高度成長とバブルの時代は、子供は頑張れば夢が叶うと思うことが出来る時代だった。
経済が全てではないが、国内総生産は右肩上がりでアメリカについで二位の時代を知る者としては、GDPが20位にまで落ち込み子供の貧困率が先進国で最低の状態にもかかわらず、懐古主義に陥っている現状を、かなり心配なことだと思っている。
日本には革命こそなかったが、大化の改新や明治維新そして第二次世界大戦後の躍進と、何度か国家的に大変貌を遂げている。
大陸から律令制度を取り入れ、欧米から西洋文明や民主主義を取り入れたりと、その時代に即した新しいものを柔軟に取り入れることで我が国が発展してきたことは歴史が証明している。
『よそから来るものは悪もの』であり、見慣れぬ様式は低級であり、それ以前に自分が獲得した地位を脅かすものである、として『ヒステリックな防御と排泄に出る』ばかりでは、進歩がない。
日本全土に防御と排泄の空気が蔓延している気がしないでもないが、やはり象徴だけあって、皇室にはそれが顕著に表れているのではないか。
雅子妃殿下が五か国語が堪能で外国文化に精通しておられることを「外国かぶれ」と叩き、雅子妃殿下や敬宮様の苦手なものを何年もかかって克服する努力や深夜まで勉学に励む刻苦勉励を「自分中心主義」だと叩いている。
これでは進歩がないのではないか。
雅子妃殿下が病に倒れられた頃から、早期の英語教育の弊害を説く風潮が席巻したが、それでどうなったか。
それまで順調に伸びていた海外留学人数は激減し、日本人の留学率はアジアの中でも低迷し、英語力ランキングでも水をあけられてしまった。その弊害が学術や経済の分野にも表れ始めるにいたり、今頃慌てて社内の公用語を英語にする企業が現れたり、超早期の英語教育へ舵を切ろうとしているが、失われた数年の影響はしばらく続くと思われる。
語学に堪能で海外文化に精通しておられる雅子妃殿下が生き生きと活躍される御姿や、その能力を培うためにどれほどの努力をされたかを正しく伝えることで、努力することの素晴らしさと努力が報いられる社会を示しておれば、今は違ったのではないかと思えてならない。
よそから来るものを、悪ものインベーダーと決めつけ防御と排泄にやっきにならず、柔軟に「時代に即した」変化を取り入れられれば、今のような袋小路に迷い込むこともなかったかもしれない。
雅子妃殿下の和歌における感性と語彙力の素晴らしさは師である歌人の岡野弘彦氏の折り紙つきであるし、書道は御成婚以来ライフワークともいえるほど研鑽を積んでおられるなど、雅子妃殿下は海外文化に通じておられると同時に日本文化を十分に体得されていたのだから、本来「海外かぶれ」というインベーダー扱いの批判は的外れであったし、何より皇太子様は歴史学者でもあられるのだから、守らねばならない根幹を守りながら、より持続的に発展できるための時代に即した在り方を模索されていたに違いない。
失われた20年となっているのは、日本だけでも雅子妃殿下だけでもなく、我々国民も同じである。
遅きに失しているとはいえ、過ちを改めるに憚ることなかれ、である。
雅子妃殿下は御婚約の会見で、プロポーズを受ける時のご自身の言葉を紹介されている。
『お受けいたしますからには、殿下にはお幸せになっていただけるように、そして、私自身も自分で「いい人生だった」と振り返れるような人生にできるように努力したいと思いますので、至らないところも多いと思いますが、どうぞよろしくお願い致します』
男児をあげれなかった一点で全てを否定され病に追い込まれ、病に倒れて尚バッシングを受け続けられる雅子妃殿下を表すれば「悲劇、これが私の人生」とでも云えようが、それではあまりに哀しい。
昭和という時代と日本文化と海外文化のなかで過された雅子妃殿下には、皇太子様と敬宮様と、いつも傍らにいるワンコたちと、及ばずながら心から応援している国民もいる。
イクのように『今日まで、私の人生は恵まれていました』としみじみ思える人生となって頂きたい。
御自身が希望をもって『私自身も自分で「いい人生だった」と振り返れるような人生にできるように努力したい』と語られたような、「いい人生」になって頂きたい。
古いものと新しいもの、伝統的なものと革新的なもの、日本的なものと外国的なもの、これらを兼ね備えられている雅子妃殿下が生きやすい世の中は、これからの日本にとり良い方向だと思っている。
歴史学者でもある皇太子様が、二律背反的に捉えられがちな価値観の中庸を見極め、時代に即した方向性に導かれることを、信じている。
皇太子ご夫妻が、「いい人生でした」と振り返られることが出来る世は、私たち国民にとっても「いい社会でした」と思えるものとなると、信じている。
皇太子御一家のお幸せを、心から祈っている。
参照、和歌の“相談役”が驚く「雅子さまの歌人としての素質」 URL http://dot.asahi.com/wa/2013120500025.html
『よそから来るものは悪ものである・・・・・、この感覚は、人に生来備わっているものだろうか。』とインベーダーの章は始まるが、イクの心の領地を荒らすのは、何も他所から来たものばかりではなく、むしろ両親こそがインベーダーであったかもしれないし、両親にとってもそれまでの生活に突然加わった子供は、我が子ですらインベーダーだったのかもしれない。
『よそから来るものは悪ものである・・・・・、この感覚は、人に生来備わっているものだろうか。
答えはともかくも、見慣れぬ様式は新鮮とは捉えず低級と捉える感覚は、地位を獲得した人に確実に備わる。
新しい方法で攻められれば怯える。新しい感覚のほとばしりに怯える。
この反応は、自分が獲得した地位への脅かしに対する敏感さでもある。
敏感ゆえに、その怯えはヒステリックな攻撃になることもある。
よそから来て領地を広げようとするものは、必然的に、前からそこにいる者の領地をインべードすることになる。
とくに、前からそこにいる者たちの上層部の領地を。
よそから来た者が、清く若き正義感だとは限らない。そのやり方は、往々にして荒々しく暴力的である。
だが、前からそこにいる者たちもまた、典雅なる智者とも限らない。ヒステリックな防御と排泄に出ることもある。』
イクは''家''について繰り返し『その家の中のほんとうのことは、その家の人じゃない人からは、わからないことだよ』『家庭の実態は、そこに住まぬ者には見えない。見えるのはただ、窓から溢れる灯である』とも語っている。
''家''を起点にした内と外との区別もあるが、家の中にあっても、そこに住まう人の心には明確に内と外の区別が生じる。
主人公イクは子供時代から、内と外の区別を何層も重ねて心をガードしてきたのかもしれないが、その真ん中に昭和という時代と犬がいたことにより、不惑を超えた時『今日まで、私の人生は恵まれていました』と自らを肯定できる人となる。
その、しみじみとした感慨が、年の暮に何故か私の心に沁みたのだ。
『自分はいい時代に生まれたと思う。
昭和という時代には暗黒の時期があったのに、日当たりもよく溌剌とした時期を、子供として過した。
ましてその昭和最良の時期にも翳りの部分はあったのに、その時期に子供でいることで翳りは知らず、
最良の時期の最良の部分だけを、たらふく食べた。
田んぼや畦道や空き地や校庭や野山や、それに琵琶湖のほとりの浜は、空想の中で変化自在の空間だった。
正義と平和を、心から肌から信じられた。
未来は希望と同意だった。』
姫野氏よりは若輩者だが昭和を知る人間としては、この感慨はよく分かる。
今年は戦後70年だったが、70年経たはずの今年ほど、70年以上も前の翳りの部分が蒸し返され年もないのではないか。
私が知る昭和は、戦後70年も経ていなかったにも拘らず隣国とここまで揉めてもおらず、むしろアジアの盟主とさえ呼ばれていることが誇らしかったし、高度成長とバブルの時代は、子供は頑張れば夢が叶うと思うことが出来る時代だった。
経済が全てではないが、国内総生産は右肩上がりでアメリカについで二位の時代を知る者としては、GDPが20位にまで落ち込み子供の貧困率が先進国で最低の状態にもかかわらず、懐古主義に陥っている現状を、かなり心配なことだと思っている。
日本には革命こそなかったが、大化の改新や明治維新そして第二次世界大戦後の躍進と、何度か国家的に大変貌を遂げている。
大陸から律令制度を取り入れ、欧米から西洋文明や民主主義を取り入れたりと、その時代に即した新しいものを柔軟に取り入れることで我が国が発展してきたことは歴史が証明している。
『よそから来るものは悪もの』であり、見慣れぬ様式は低級であり、それ以前に自分が獲得した地位を脅かすものである、として『ヒステリックな防御と排泄に出る』ばかりでは、進歩がない。
日本全土に防御と排泄の空気が蔓延している気がしないでもないが、やはり象徴だけあって、皇室にはそれが顕著に表れているのではないか。
雅子妃殿下が五か国語が堪能で外国文化に精通しておられることを「外国かぶれ」と叩き、雅子妃殿下や敬宮様の苦手なものを何年もかかって克服する努力や深夜まで勉学に励む刻苦勉励を「自分中心主義」だと叩いている。
これでは進歩がないのではないか。
雅子妃殿下が病に倒れられた頃から、早期の英語教育の弊害を説く風潮が席巻したが、それでどうなったか。
それまで順調に伸びていた海外留学人数は激減し、日本人の留学率はアジアの中でも低迷し、英語力ランキングでも水をあけられてしまった。その弊害が学術や経済の分野にも表れ始めるにいたり、今頃慌てて社内の公用語を英語にする企業が現れたり、超早期の英語教育へ舵を切ろうとしているが、失われた数年の影響はしばらく続くと思われる。
語学に堪能で海外文化に精通しておられる雅子妃殿下が生き生きと活躍される御姿や、その能力を培うためにどれほどの努力をされたかを正しく伝えることで、努力することの素晴らしさと努力が報いられる社会を示しておれば、今は違ったのではないかと思えてならない。
よそから来るものを、悪ものインベーダーと決めつけ防御と排泄にやっきにならず、柔軟に「時代に即した」変化を取り入れられれば、今のような袋小路に迷い込むこともなかったかもしれない。
雅子妃殿下の和歌における感性と語彙力の素晴らしさは師である歌人の岡野弘彦氏の折り紙つきであるし、書道は御成婚以来ライフワークともいえるほど研鑽を積んでおられるなど、雅子妃殿下は海外文化に通じておられると同時に日本文化を十分に体得されていたのだから、本来「海外かぶれ」というインベーダー扱いの批判は的外れであったし、何より皇太子様は歴史学者でもあられるのだから、守らねばならない根幹を守りながら、より持続的に発展できるための時代に即した在り方を模索されていたに違いない。
失われた20年となっているのは、日本だけでも雅子妃殿下だけでもなく、我々国民も同じである。
遅きに失しているとはいえ、過ちを改めるに憚ることなかれ、である。
雅子妃殿下は御婚約の会見で、プロポーズを受ける時のご自身の言葉を紹介されている。
『お受けいたしますからには、殿下にはお幸せになっていただけるように、そして、私自身も自分で「いい人生だった」と振り返れるような人生にできるように努力したいと思いますので、至らないところも多いと思いますが、どうぞよろしくお願い致します』
男児をあげれなかった一点で全てを否定され病に追い込まれ、病に倒れて尚バッシングを受け続けられる雅子妃殿下を表すれば「悲劇、これが私の人生」とでも云えようが、それではあまりに哀しい。
昭和という時代と日本文化と海外文化のなかで過された雅子妃殿下には、皇太子様と敬宮様と、いつも傍らにいるワンコたちと、及ばずながら心から応援している国民もいる。
イクのように『今日まで、私の人生は恵まれていました』としみじみ思える人生となって頂きたい。
御自身が希望をもって『私自身も自分で「いい人生だった」と振り返れるような人生にできるように努力したい』と語られたような、「いい人生」になって頂きたい。
古いものと新しいもの、伝統的なものと革新的なもの、日本的なものと外国的なもの、これらを兼ね備えられている雅子妃殿下が生きやすい世の中は、これからの日本にとり良い方向だと思っている。
歴史学者でもある皇太子様が、二律背反的に捉えられがちな価値観の中庸を見極め、時代に即した方向性に導かれることを、信じている。
皇太子ご夫妻が、「いい人生でした」と振り返られることが出来る世は、私たち国民にとっても「いい社会でした」と思えるものとなると、信じている。
皇太子御一家のお幸せを、心から祈っている。
参照、和歌の“相談役”が驚く「雅子さまの歌人としての素質」 URL http://dot.asahi.com/wa/2013120500025.html