「幸の船出、俺たちの船出」より
「あきない世傳 金と銀 3」(高田郁)の第三弾は、幸と「五鈴屋」が商い戦国時代に如何に挑んでいくのかという楽しみもあるが、人や商売の在り方を自然に重ねあわせる描写がきれいなことも魅力的だ。
例えば、四代目の阿呆ぼんの後添えとなった主人公・幸は、阿呆ぼんが不慮の事故で亡くなった後、その弟の妻に納まるのだが、それを見た町の衆は「まるで帰り花」だという。(『 』「あきない世傳 金と銀3」より)
『初冬の小春日和に、梅や桜などがあ、ほろりと二度目の花を咲かせることを、帰り花と呼ぶ。
時ならぬ花ではあるが、冬の陽だまりに健気に咲く花は、それだけで人の胸を打つ。
希少だからこそ決して手折ったりせず、大切に見守るべきものであった。』
幸を「帰り花」に例える表現に心惹かれたのは、去年の初冬の小春日和に、桜の帰り花を見ていたからかもしれないが、元女衆の数奇な運命を「帰り花」と云う優しさと その描写は、美しい。

もう一つ惹かれた言葉は、女衆の頃から幸に目をかけ可愛がってきた お家さんの言葉だ。
『お陽ぃさんの方にどうしても目ぇが行ってしまうけれど、ちゃんとお月さんも居ってだすのやな。
商いと一緒だすなぁ』
この言葉は、商いだけでなく人生や人との関わりにも通ずるものと思われるが、それが心に沁みたのは、ワンコと月や星を仰ぎ見た思い出が私を支えてくれていると感じるからかもしれない。
思い返せば本シリーズ第一弾には、印象的な言葉が幾つもあった。
「商いは詐なり」と云う父と、「女子に学問は要らん、お尻が重うなるだけやわ」と云う母に対して、秀才で誉れ高い兄は金と銀の色の美しさから銭への誤解を解いたり 女子にも学問が必要だと、幸に教える。
『朱と黄とが混じりあったような夕陽の輝き、あれが金色。
川面の煌びやかな色、あれが銀色、どちらも天から与えられた美しい色なんだ』
『知恵は、生きる力になる。知恵を絞れば、無駄な争いをせずに、道を拓くことも出来る。
知恵を授かりたい、という幸の願いはきっと叶えてもらえるよ』
この兄の言葉を胸に9歳で女衆として大阪は天満にある呉服商「五鈴屋」に奉公にあがることになった幸ちゃんの、4話以降に期待するため、これまでの私的あらすじ(解釈)を記しておく。
物がさっぱり売れない享保期に、「商は詐なり」と説く学者の子として育った主人公・幸は、父と兄の病死と享保の大飢饉という不幸に見舞われ、九つで大坂天満にある呉服商「五鈴屋」に女衆として奉公へ出されることになる。
当時 女衆は「一生、鍋の底を磨いて過ごす」としたものだが、番頭・治兵衛は幸の聡明さを見込み、男子だけに許される商いを仕込んだだけでなく、幸を「商いの戦国武将」だといい、女狂いの四代目の阿呆ぼんの後添えにまで抜擢?する。
そんな幸の聡明さと商才を見込んだ男がもう一人いる。
阿呆ぼんの弟の惣次郎だ。
惣次郎は、兄亡き後17歳で寡婦となった幸を娶ることを条件に「五鈴屋」を継ぐというほど、幸の聡明さに惚れ込んでいるのだが、一度(ひとたび)夫婦になってしまえば、聡い女房は時に鬱陶しいもので、幸のアドバイスに従えば商いが上手く運ぶことは重々承知しながらも、『女子やさかいな、戦わんでええ。私の陰に居たらええ。何かあったかて私が守ってみせるさかいな』と事あるごとに幸に言い聞かすようになる。
「五鈴屋」の要石とまで言われた番頭の治兵衛に「商い戦国武将」とまで見込まれた幸なので、利益があがる案は次々浮かぶが、プライド高い夫・惣次郎を傷つけぬ為、まずは奥の改革に取り組もうとするのが、その切っ掛けは、元は同じ女衆であった お竹の『私らはな、一生鍋のそこを磨いて生きていかんならんように出来てるんだす』という言葉だった。
この言葉を聞いた幸は、「商い戦国武将」とは単に商売敵を叩きのめして勝鬨を上げるばかりが能ではなく、商家の仕来りを、女子も表の奉公人と分け隔てなく学び商いに関われるように、少しずつ変えるために戦おうと決意する。
そのためにも、まずは女衆であった自分が立派に御寮さんを務めることで、古い考えを改めさせる切っ掛けになろうとするのだが、商い戦国時代の荒波は そのような悠長なことを許してはおかなかった。
「五鈴屋」の利益のみを優先し、他人に不利益を負わせても平気な惣次郎に怒りを爆発させた取引先が、「惣次郎が主である限りは「五鈴屋」との取引は停止だ。だが義理も人情も才覚もある幸が主になるなら、取引の見直しを考える」と言いだすのだ。
この取引先の怒りの言葉に、店の者の悲痛な言葉が重なり第三弾は幕を閉じる。
『大阪には「女名前禁止」いう掟があるんだす。女子は店主にも家持ちにもなれしまへん』
さて、この取引が潰れることは「五鈴屋」が立ち行かなくなることを意味するが、果たして幸は、なにわ初の女店主になるのか、第四弾に大いに期待している。
「あきない世傳 金と銀 3」(高田郁)の第三弾は、幸と「五鈴屋」が商い戦国時代に如何に挑んでいくのかという楽しみもあるが、人や商売の在り方を自然に重ねあわせる描写がきれいなことも魅力的だ。
例えば、四代目の阿呆ぼんの後添えとなった主人公・幸は、阿呆ぼんが不慮の事故で亡くなった後、その弟の妻に納まるのだが、それを見た町の衆は「まるで帰り花」だという。(『 』「あきない世傳 金と銀3」より)
『初冬の小春日和に、梅や桜などがあ、ほろりと二度目の花を咲かせることを、帰り花と呼ぶ。
時ならぬ花ではあるが、冬の陽だまりに健気に咲く花は、それだけで人の胸を打つ。
希少だからこそ決して手折ったりせず、大切に見守るべきものであった。』
幸を「帰り花」に例える表現に心惹かれたのは、去年の初冬の小春日和に、桜の帰り花を見ていたからかもしれないが、元女衆の数奇な運命を「帰り花」と云う優しさと その描写は、美しい。

もう一つ惹かれた言葉は、女衆の頃から幸に目をかけ可愛がってきた お家さんの言葉だ。
『お陽ぃさんの方にどうしても目ぇが行ってしまうけれど、ちゃんとお月さんも居ってだすのやな。
商いと一緒だすなぁ』
この言葉は、商いだけでなく人生や人との関わりにも通ずるものと思われるが、それが心に沁みたのは、ワンコと月や星を仰ぎ見た思い出が私を支えてくれていると感じるからかもしれない。
思い返せば本シリーズ第一弾には、印象的な言葉が幾つもあった。
「商いは詐なり」と云う父と、「女子に学問は要らん、お尻が重うなるだけやわ」と云う母に対して、秀才で誉れ高い兄は金と銀の色の美しさから銭への誤解を解いたり 女子にも学問が必要だと、幸に教える。
『朱と黄とが混じりあったような夕陽の輝き、あれが金色。
川面の煌びやかな色、あれが銀色、どちらも天から与えられた美しい色なんだ』
『知恵は、生きる力になる。知恵を絞れば、無駄な争いをせずに、道を拓くことも出来る。
知恵を授かりたい、という幸の願いはきっと叶えてもらえるよ』
この兄の言葉を胸に9歳で女衆として大阪は天満にある呉服商「五鈴屋」に奉公にあがることになった幸ちゃんの、4話以降に期待するため、これまでの私的あらすじ(解釈)を記しておく。
物がさっぱり売れない享保期に、「商は詐なり」と説く学者の子として育った主人公・幸は、父と兄の病死と享保の大飢饉という不幸に見舞われ、九つで大坂天満にある呉服商「五鈴屋」に女衆として奉公へ出されることになる。
当時 女衆は「一生、鍋の底を磨いて過ごす」としたものだが、番頭・治兵衛は幸の聡明さを見込み、男子だけに許される商いを仕込んだだけでなく、幸を「商いの戦国武将」だといい、女狂いの四代目の阿呆ぼんの後添えにまで抜擢?する。
そんな幸の聡明さと商才を見込んだ男がもう一人いる。
阿呆ぼんの弟の惣次郎だ。
惣次郎は、兄亡き後17歳で寡婦となった幸を娶ることを条件に「五鈴屋」を継ぐというほど、幸の聡明さに惚れ込んでいるのだが、一度(ひとたび)夫婦になってしまえば、聡い女房は時に鬱陶しいもので、幸のアドバイスに従えば商いが上手く運ぶことは重々承知しながらも、『女子やさかいな、戦わんでええ。私の陰に居たらええ。何かあったかて私が守ってみせるさかいな』と事あるごとに幸に言い聞かすようになる。
「五鈴屋」の要石とまで言われた番頭の治兵衛に「商い戦国武将」とまで見込まれた幸なので、利益があがる案は次々浮かぶが、プライド高い夫・惣次郎を傷つけぬ為、まずは奥の改革に取り組もうとするのが、その切っ掛けは、元は同じ女衆であった お竹の『私らはな、一生鍋のそこを磨いて生きていかんならんように出来てるんだす』という言葉だった。
この言葉を聞いた幸は、「商い戦国武将」とは単に商売敵を叩きのめして勝鬨を上げるばかりが能ではなく、商家の仕来りを、女子も表の奉公人と分け隔てなく学び商いに関われるように、少しずつ変えるために戦おうと決意する。
そのためにも、まずは女衆であった自分が立派に御寮さんを務めることで、古い考えを改めさせる切っ掛けになろうとするのだが、商い戦国時代の荒波は そのような悠長なことを許してはおかなかった。
「五鈴屋」の利益のみを優先し、他人に不利益を負わせても平気な惣次郎に怒りを爆発させた取引先が、「惣次郎が主である限りは「五鈴屋」との取引は停止だ。だが義理も人情も才覚もある幸が主になるなら、取引の見直しを考える」と言いだすのだ。
この取引先の怒りの言葉に、店の者の悲痛な言葉が重なり第三弾は幕を閉じる。
『大阪には「女名前禁止」いう掟があるんだす。女子は店主にも家持ちにもなれしまへん』
さて、この取引が潰れることは「五鈴屋」が立ち行かなくなることを意味するが、果たして幸は、なにわ初の女店主になるのか、第四弾に大いに期待している。