何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

菊は聞く 沈黙③

2020-06-20 03:58:41 | ひとりごと
新しい時代の象徴の在り方を模索されているだろう時期に突如湧きおこったコロナ禍は、皇室の在り方や(言葉は適切ではないが)見せ方の再構築を迫っている。
 
もちろん、緊急事態宣言が発令された時点や、御即位から一年のタイミングでお言葉を頂ければ、それはそれで国民にとって力にもなっただろうが、傷み痛みが甚大な施策の最中のお言葉は、諸刃の剣となりかねない。
もう一点 私が非常に危惧しているのは、現在日本中で群発地震や中規模の地震が相次いでいることだ。このコロナ禍に地震による大災害まで重なったならば、もはや目も当てられない、と思った時、いや過去には日本はそのような事態を何度となく経験し、しかもそれを乗り越えてきたのだという事実に思い至った。
 
そのことに思い至った時、平成の皇太子殿下の基調講演が胸に迫ってきた。
 
「道」に関心を持たれたのを切っ掛けに大学時代に水運を研究された天皇陛下は、「水」を起点に農耕・教育・公衆衛生・災害へと研究の幅を広げていかれ、「水」問題のオーソリティーとして皇太子時代の平成25年 「国連水と災害に関する特別会合」で基調講演されているのだが、そのなかで、東日本大震災と震源域を同じくする貞観地震や、発生間近だと言われて久しい東海地震と震源域が近い明応地震や、鴨長明が世の無常を綴った「方丈記」について紹介しておられる。
 
とくにコロナ禍の今、改めて基調講演を拝読すると「方丈記」の件が生々しい。
京の都(左京)の三分の一が一夜にして灰燼に帰した安元の大火の数年後には、竜巻で家々が崩壊し、そのあいだ間断なく渇水と洪水が続き、飢饉が起こり、飢え苦しむ民に疫病が襲い掛かり、道端には死者が重なり異臭を放ち目も当てられない、と述べた数年後には、大地震が追い打ちをかけたという。そんな世を憂いて書かれたのが  あの「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとに水にならず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし」ではじまる「方丈記」なのだという。
 
春以降、両陛下の御動静が「(稲作や養蚕など)伝統行事」と評されるものが多いのは、もちろん季節的な要素もあるだろうが、歴史学者であられる天皇陛下が、神官であった鴨長明が嘆いた惨状を熟知したうえで、それを乗り越えた事実を踏まえ、国と民を信じ祈っておられることの表れのような気がしてならない。
 
ただ、両陛下は過去を頼りに、御簾の向こうで祈ってだけおられるわけではないようだ。
 
ほとんど報道されなかったが、コロナの影響が明確に懸念され始めた4月、両陛下は御即位にともなう一億円の寄付金のうちの5000万円を「子供の未来応援基金」に寄せられたというのだ。
「雅子さまが取り組む子供の貧困問題、5000万円の本気」
 
祈りは心から有難いし、ゴミ袋防護服も済生会は嬉しいかもしれないが、やはり天下の回りものに勝るものがないのは、「同情するなら金をくれ」というフレーズが一世を風靡したころとからも明らかだろう。
両陛下がお手元金(私的財産)から一億円の寄付をされたことについては、原資は税金だという声もあるようだが、内廷費のうち限られた額しか自由にならなかったと云われる皇太子時代にどのように蓄財されたかと考えると、それが容易なことではなかったと思われる。
 
拙ブログでも何回か記したことがあるが(「明日も、明日の明日も味方 その参 」)雅子皇后陛下は皇太子妃時代から20年以上も同じ洋服を大切に着回し公務に取り組まれている。病気で公務が十分にできないため洋服の新調を控えておられるとの報道もあったが、両陛下がものを大切に愛用されるのは、持続可能な社会(活動)の理念の一部だと私は感じている。もとより行政官(外交官)であった雅子皇后陛下は、その原資が血税であることは誰に言われるまでもなく100もご承知なのだ。
 
このコロナ禍では全国一斉休校がなされ、三カ月をこえる休校となった自治体も多く、これから子供をめぐる問題は顕在化してくると思われるが、皇太子時代から子供の未来を応援する活動に心を寄せてこられた両陛下が、この状況下で「子供の未来応援基金」に5000万円の寄付をされたことにも、両陛下の強い御意思が拝察される。
 
どんな困難なことがこの先続こうとも、未来を諦めないという強いお気持ちを持っておられるのだと、私は感じている。
 
沈黙は無ではない
善行は喧伝するものでもない
 
青い紫陽花の花言葉 辛抱強い愛情
 

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