いつもなら開会式直前にある印象が強いオリンピックの結団式が、開幕まで一月以上ある3日行われたのは、南米で初めての開催であり、これまでとは異なる調整が必要だからだそうだが、そのおかげか名を知られた選手も多く出席した賑やかな結団式となったのではないだろうか。
ジカ熱やら治安やら政情不安やら不安ずくめのオリンピックだが、これまでの努力が実り悔いのない試合となるよう、応援している。
<皇太子ご夫妻、リオ五輪結団式に=雅子さま16年ぶり出席〔五輪〕> 時事通信 7月3日(日)17時33分配信より引用
皇太子ご夫妻は3日、東京都渋谷区の国立代々木競技場第2体育館で行われたリオデジャネイロ五輪日本代表選手団結団式に出席された。
結団式には選手団のうち305人が出席。皇太子さまはあいさつで「大会に参加される皆さんが、スポーツを通して世界各地の精鋭と競い合い、そして友好を深められることを希望いたします」と述べた。
雅子妃殿下が前回出席された結団式というと、16年前のシドニーオリンピックだというので、当時を思い出していた。
シドニーオリンピックというと、何と言っても、アトランタに続いて連覇を達成した、野村忠弘選手だ。
開幕直後に行われる柔道の軽量級で’’金’’を取ることが他の競技への弾みとなることを思うと、その意味合いは重く、隣の畳のうえではピョンピョン跳ねまわって湧かせる選手もいたが、そのような喧騒とは掛け離れたところで柔の道を極め、静かに確実に’’金’’をとっていく野村選手を、私は応援していた。
近年の襟をとらせないことだけに終始しているように見える柔道とは対照的に、野村選手の柔道は文句なしの一本で決まり、きれいだ。
だが、野村選手の’’金’’から五輪競技が始まることを喜んだのは、一本勝ちと’’金’’に拘るからだけではない。
野村選手は、どれほどきれいに勝ちを決めようが、それに会場が湧きかえっていようが、畳の上で大きくガッツポーズをとることも、ピョンピョン飛び跳ねることもない、そこにこそ柔の道の真髄を感じ、ここから五輪が始まることに感動を覚えたのだ。
長い間の鍛錬の成果がでたとき、思わず感情がほとばしるのは十分理解できるし、それが大きな共感を呼ぶのも分かっているが、それでも柔道だけは、いやせめて畳のうえでだけは、感情の赴くままの所作を控えて欲しいと私が思うのは、「夏草冬濤」「北の海」(井上靖)の高専柔道から柔の道を知ったからかもしれず、高専柔道の『練習量がすべてを決する柔道』を小柄な野村選手が体現していると感じていたからかもしれない。
(参照、「繋ぐんじゃ」 「頂点へ繋ぐんじゃ」 「アインス、ツバイ、ドライ応援を 繋ぐんじゃ」)
その野村選手がオリンピック3連覇の偉業を「天才」という言葉で評されることについて、少しの違和感を書いている記事を見つけた。
~朝日新聞(2日)土曜版より引用~
中学1年の時は女子選手に敗れるなど「弱い時代の方が長かった」。それが1996年アトランタ五輪の金メダル直後から「天才」と言われるように。シドニーで連覇した後、約2年間柔道から離れたが、次のアテネも制したことで名声は更に高まった。
「天才……。才能だけで駆け上がった感じがして、正直面白くなかった。あの休みの後、もう一度五輪に出るステージまで自分の状態を持っていくためにした努力さえ、その一言で片付けられた思い」。少し沈黙の後、「だけど、『それも褒め言葉。受け入れよう』と決めた。自分を『天才』と言って」と笑う。
「天才」の言葉が面白くないほどにオリンピック選手は皆すさまじい努力をしているわけで、それを劇的に伝えることばかりに終始し、勝利を僥倖のごとくに伝えるマスコミの姿勢には大いに問題がある。
しかし一方で、凄まじい練習を経てすら、勝敗は一瞬の’’運’’の要素もあり、それは誰よりも選手自身が分かっていると思うからこそ、畳にたつ選手や超一流と云われる選手には、少し厳しい注文をつけてしまうのだが、努力と結果の関係性という意味で、シドニーオリンピックではもう一人印象に残る選手がいた。
女子マラソン金メダリスト 高橋直子選手だ。
今となっては正確な言葉は忘れてしまったが、高橋選手は試合を前に自らを鼓舞するためでもあろうが、「金でなければ意味がない」という趣旨の発言をしていた。女子マラソンの選考方法が毎回世間を賑わし、全ての人に後味の悪いものを残すのは、選考方法の曖昧さもあるが、それほど素晴らしい選手が多いからだと思う。どの選手も選ばれても良いほど優れており、選ばれさえすれば、どの選手にもメダルのチャンスはありそうに思えるからこそ、代表が決まった高橋選手の「金でなければ意味がない」という言葉に私は違和感を感じていた。
もちろん宣言通り金をとり、ゴールしても爽やかな笑顔を浮かべている姿には感動したが、それでも心の何処かに苦いものは残っていた、それが完全に払拭されたのは、北京大会をかけた名古屋国際女子マラソンの前後でのQちゃんの言葉と態度が非常に立派だったからだと思う。
試合前の会見でQちゃんは、「諦めなければ夢はかなう、ということをレースで伝えたい」と語っていた。
レースはQちゃんが経験したことのないタイムと順位で終わり、北京だけを’’夢’’と捉えれば、そのメッセージは失敗に終わったかのように見えるが、少なくとも私には、Qちゃんのメッセージはまっすぐ届いた。
惨敗レースをQちゃんは投げなかった。
過去にあらゆる栄光を手にした一人の王者が、一見みじめともいえる姿を晒しながら堂々と走る姿は、シドニーでサングラスを飛ばしてスパートをかけた時と同じくらい、かっこ良かった。
生き方を教えてくれる、記憶に残るレースだった。
夏季五輪で女性として初めて主将を務めることになった吉田選手は、自身が全競技通じて日本選手初の4連覇に挑むことになるが、結団式で「記録にも記憶にも残る最高の五輪としたい」と決意表明した。
記録はもちろん試合の一瞬で決するものだが、記憶はそれだけでなない。
勝ちの喜びをどのように示すのか、負けの悔しさをどのように受け入れ乗り越えるか、それら選手の生き様にも関わってくる姿勢の方が、はるかに人の心に響くかもしれない。
野村選手は天才の言葉でくくられることに違和感を感じるほどに努力を積み重ね、Qちゃんは小出監督をして「頑張れる素質がある」(「高橋尚子~夢に乗って走る」(増島みどり))と言わしめるほど練習の虫だったという。
イチロー選手は弱冠小6にして「練習には自信があります」と言っている。 「祝号外 通過点としての偉業」
地道にコツコツしか能がないくせに、最近そのコツコツすら怪しい私としては、オリンピック選手から努力の大切さを今一度教えてもらおうと思いつつ、心から応援している。
全ての選手の健闘と、選手自身の記憶に残るオリンピックとなることを心から祈っている。
ところで、雅子妃殿下の結団式へのご出席は16年ぶりだという。
前回の2000年夏というと、初めての御懐妊で流産を経験されるという悲しい出来事から半年たった頃のことであった。
まさかその時、その後授かられる命が女子だということで酷く軽んじられることも、ご自身が10年以上にわたる闘病生活に入られるとも、思いもされなかったことだと思う。
だが、目を覆いたくなるようなバッシングの日々も、地道に地道に努力(治療)を重ねてこられ、ようやく最近ご活動の場が広がりつつあることは、我々に、諦めずに努力を続けることの大切さを改めて教えてくれる。
『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。
やがて大きな花が咲く。』
これは、Qちゃんの座右の銘だというが、凍れるような年月をくぐり抜け、以前にもまして輝いている雅子妃殿下の笑顔がいつまでも続くように祈っている。
ジカ熱やら治安やら政情不安やら不安ずくめのオリンピックだが、これまでの努力が実り悔いのない試合となるよう、応援している。
<皇太子ご夫妻、リオ五輪結団式に=雅子さま16年ぶり出席〔五輪〕> 時事通信 7月3日(日)17時33分配信より引用
皇太子ご夫妻は3日、東京都渋谷区の国立代々木競技場第2体育館で行われたリオデジャネイロ五輪日本代表選手団結団式に出席された。
結団式には選手団のうち305人が出席。皇太子さまはあいさつで「大会に参加される皆さんが、スポーツを通して世界各地の精鋭と競い合い、そして友好を深められることを希望いたします」と述べた。
雅子妃殿下が前回出席された結団式というと、16年前のシドニーオリンピックだというので、当時を思い出していた。
シドニーオリンピックというと、何と言っても、アトランタに続いて連覇を達成した、野村忠弘選手だ。
開幕直後に行われる柔道の軽量級で’’金’’を取ることが他の競技への弾みとなることを思うと、その意味合いは重く、隣の畳のうえではピョンピョン跳ねまわって湧かせる選手もいたが、そのような喧騒とは掛け離れたところで柔の道を極め、静かに確実に’’金’’をとっていく野村選手を、私は応援していた。
近年の襟をとらせないことだけに終始しているように見える柔道とは対照的に、野村選手の柔道は文句なしの一本で決まり、きれいだ。
だが、野村選手の’’金’’から五輪競技が始まることを喜んだのは、一本勝ちと’’金’’に拘るからだけではない。
野村選手は、どれほどきれいに勝ちを決めようが、それに会場が湧きかえっていようが、畳の上で大きくガッツポーズをとることも、ピョンピョン飛び跳ねることもない、そこにこそ柔の道の真髄を感じ、ここから五輪が始まることに感動を覚えたのだ。
長い間の鍛錬の成果がでたとき、思わず感情がほとばしるのは十分理解できるし、それが大きな共感を呼ぶのも分かっているが、それでも柔道だけは、いやせめて畳のうえでだけは、感情の赴くままの所作を控えて欲しいと私が思うのは、「夏草冬濤」「北の海」(井上靖)の高専柔道から柔の道を知ったからかもしれず、高専柔道の『練習量がすべてを決する柔道』を小柄な野村選手が体現していると感じていたからかもしれない。
(参照、「繋ぐんじゃ」 「頂点へ繋ぐんじゃ」 「アインス、ツバイ、ドライ応援を 繋ぐんじゃ」)
その野村選手がオリンピック3連覇の偉業を「天才」という言葉で評されることについて、少しの違和感を書いている記事を見つけた。
~朝日新聞(2日)土曜版より引用~
中学1年の時は女子選手に敗れるなど「弱い時代の方が長かった」。それが1996年アトランタ五輪の金メダル直後から「天才」と言われるように。シドニーで連覇した後、約2年間柔道から離れたが、次のアテネも制したことで名声は更に高まった。
「天才……。才能だけで駆け上がった感じがして、正直面白くなかった。あの休みの後、もう一度五輪に出るステージまで自分の状態を持っていくためにした努力さえ、その一言で片付けられた思い」。少し沈黙の後、「だけど、『それも褒め言葉。受け入れよう』と決めた。自分を『天才』と言って」と笑う。
「天才」の言葉が面白くないほどにオリンピック選手は皆すさまじい努力をしているわけで、それを劇的に伝えることばかりに終始し、勝利を僥倖のごとくに伝えるマスコミの姿勢には大いに問題がある。
しかし一方で、凄まじい練習を経てすら、勝敗は一瞬の’’運’’の要素もあり、それは誰よりも選手自身が分かっていると思うからこそ、畳にたつ選手や超一流と云われる選手には、少し厳しい注文をつけてしまうのだが、努力と結果の関係性という意味で、シドニーオリンピックではもう一人印象に残る選手がいた。
女子マラソン金メダリスト 高橋直子選手だ。
今となっては正確な言葉は忘れてしまったが、高橋選手は試合を前に自らを鼓舞するためでもあろうが、「金でなければ意味がない」という趣旨の発言をしていた。女子マラソンの選考方法が毎回世間を賑わし、全ての人に後味の悪いものを残すのは、選考方法の曖昧さもあるが、それほど素晴らしい選手が多いからだと思う。どの選手も選ばれても良いほど優れており、選ばれさえすれば、どの選手にもメダルのチャンスはありそうに思えるからこそ、代表が決まった高橋選手の「金でなければ意味がない」という言葉に私は違和感を感じていた。
もちろん宣言通り金をとり、ゴールしても爽やかな笑顔を浮かべている姿には感動したが、それでも心の何処かに苦いものは残っていた、それが完全に払拭されたのは、北京大会をかけた名古屋国際女子マラソンの前後でのQちゃんの言葉と態度が非常に立派だったからだと思う。
試合前の会見でQちゃんは、「諦めなければ夢はかなう、ということをレースで伝えたい」と語っていた。
レースはQちゃんが経験したことのないタイムと順位で終わり、北京だけを’’夢’’と捉えれば、そのメッセージは失敗に終わったかのように見えるが、少なくとも私には、Qちゃんのメッセージはまっすぐ届いた。
惨敗レースをQちゃんは投げなかった。
過去にあらゆる栄光を手にした一人の王者が、一見みじめともいえる姿を晒しながら堂々と走る姿は、シドニーでサングラスを飛ばしてスパートをかけた時と同じくらい、かっこ良かった。
生き方を教えてくれる、記憶に残るレースだった。
夏季五輪で女性として初めて主将を務めることになった吉田選手は、自身が全競技通じて日本選手初の4連覇に挑むことになるが、結団式で「記録にも記憶にも残る最高の五輪としたい」と決意表明した。
記録はもちろん試合の一瞬で決するものだが、記憶はそれだけでなない。
勝ちの喜びをどのように示すのか、負けの悔しさをどのように受け入れ乗り越えるか、それら選手の生き様にも関わってくる姿勢の方が、はるかに人の心に響くかもしれない。
野村選手は天才の言葉でくくられることに違和感を感じるほどに努力を積み重ね、Qちゃんは小出監督をして「頑張れる素質がある」(「高橋尚子~夢に乗って走る」(増島みどり))と言わしめるほど練習の虫だったという。
イチロー選手は弱冠小6にして「練習には自信があります」と言っている。 「祝号外 通過点としての偉業」
地道にコツコツしか能がないくせに、最近そのコツコツすら怪しい私としては、オリンピック選手から努力の大切さを今一度教えてもらおうと思いつつ、心から応援している。
全ての選手の健闘と、選手自身の記憶に残るオリンピックとなることを心から祈っている。
ところで、雅子妃殿下の結団式へのご出席は16年ぶりだという。
前回の2000年夏というと、初めての御懐妊で流産を経験されるという悲しい出来事から半年たった頃のことであった。
まさかその時、その後授かられる命が女子だということで酷く軽んじられることも、ご自身が10年以上にわたる闘病生活に入られるとも、思いもされなかったことだと思う。
だが、目を覆いたくなるようなバッシングの日々も、地道に地道に努力(治療)を重ねてこられ、ようやく最近ご活動の場が広がりつつあることは、我々に、諦めずに努力を続けることの大切さを改めて教えてくれる。
『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。
やがて大きな花が咲く。』
これは、Qちゃんの座右の銘だというが、凍れるような年月をくぐり抜け、以前にもまして輝いている雅子妃殿下の笑顔がいつまでも続くように祈っている。