昨夜、聞くともなしにラジオをかけていると、「宝物」という話題で話が進んでいた。
聞き手はNHKのアナウンサーだが、ゲストが林真理子氏とくれば、「宝物」はまさに「お宝」といった感じで、高価な着物や海外の食器などの話で盛り上がっていた。だが、そこは流石に「ラジオ深夜便」を任されるアナウンサーだけあり、また流石に書くものが全て当たる作家さんだけあって、途中から微妙に軌道修正をはかり、話は「見えない宝物」へと移っていった。
大切な人からもらった手紙や言葉、かけがえのない経験、他の人から見れば何でもないような物でも(金銭に換算することはできなくとも)思い出と相俟って宝物となるものはある、等など・・・・・。
最終的には、『人間国宝という言葉もある。一般的な意味での人間国宝とは勿論違うが、隣にいる人に「あの人といたら心が和む」「あの人は、私の宝物」と言ってもらえる人になりたい、と思う年齢になった』と、きれいに締めくくられた。
ワンコを想った。
いつからか、ワンコを抱いて話しかける時、5回に3回は「宝物 my treasure」と呼びかけるようになっていた。
林真理子氏は「宝物というと、やはり家族を思い浮かべるけれど、作家としては、その一言だけで表現するのは恥ずかしい」と語っていたが、私の場合、確かに家族は掛け替えのない大切なものだが、「宝物」という言葉が当てはまるかというと、少々微妙だ。
この、「掛け替えのない大切なもの」と「宝物」の感覚の違いは何処からくるのだろうかと思い、例によって例の如く本の世界に答えを求めた。
「星の王子様」(サン=テグジュペリ 訳・内藤濯)
砂漠に漂着し、一滴の水もなくしてしまった男に王子様は「井戸を探そう」という。
どんなに探し回っても井戸は見つからず、疲れ果てて座り込み、星を見上げている男に王子様は云う。
『星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからなんだよ・・・・・』
『砂漠は美しいな・・・・・』
『砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠し持っているからだよ・・・・・』
この言葉で、喉をからしながら水を探し回っていた男は思い出す。
『ほんの子供だった頃、僕は、ある古い家に住んでいたのですが、その家には、何か宝が埋められているという、言い伝えがありました。もちろん、誰もまだ、その宝を発見したこともありませんし、それを探そうとした人もいないようです。でも、家じゅうが、その宝で、美しい魔法にかかっているようでした。
僕の家は、その奥に、一つの秘密を隠していたのです・・・・・』
男のこの話を聞いた王子様はいう。
『そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは目に見えないのさ』
『心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。肝心なことは、目に見えないんだよ』と「星の王子様」は教えてくれるが、では目に見えるワンコが「宝物」で、(同じく目に見えるものであるはずの)家族が「掛け替えのない大切なもの」に留まる感覚の差は、どこからくるのか?
このあたりを、あまり突き詰めて考えると妙な深みにはまりそうだが、ワンコ実家ご両親の言葉を思い出す。
「(大きな声では言えないけれど・・・)どんなに仲の良い家族を見送ってさえ犬を喪った悲しみの方が大きかった、今までの、どの別れよりも犬が旅立ったのが一番辛かった、という人は多い(と言うより)ほとんどの人が、そう言う。悲しいけれど、人間には’’口’’があるからね」 と。
ワンコは何も言わないけれど、確かにワンコの愛を感じた。
何代か前の米・大統領がスキャンダルにまみれ、その原因ゆえに家庭にも居場所がない時に「犬だけが友だった」と語っているのを読んだことがある。
「犬は、私が大統領だから私を愛してくれるのではない。犬は、私が私であるから、愛してくれる」 と。
人間が生きていくうえで一番’’力’’となる存在そのものを肯定するという’’愛’’は、目に見えないものだと思う。
犬は、それを真っ直ぐに心に伝えてくれるので、宝物なのかもしれない。
目に見えない’’愛’’を真っ直ぐ伝えてくれていたワンコは、目にも見えなくなってしまったが、約束通り犬星と我が家を行ったり来たりしていると思う。(参照、「ウンがついている」 「自由 平等 博愛」)
最近背もたれにもたれて本を読んでいたりすると、私のお腹にごろりと寝そべり、本を持つ左腕を枕にしているワンコを感じる。
ワンコは、私のお腹でくつろぐのが好きだった。
2週間ほど前、私めがけてワンコが一心に駆けてきて、私に飛びついたところで、目が覚めた。
目を開けると、目の前にワンコがいるのではないかと思うほど、リアルな夢だった。
あの日以来、ワンコは私のお腹でくつろぐ日々を復活させている。
目に見えなくてもいるんだよ
でも、明日は七夕
犬星のお助けをお借りして、ちょっと姿を現しておくれよ ワンコ
聞き手はNHKのアナウンサーだが、ゲストが林真理子氏とくれば、「宝物」はまさに「お宝」といった感じで、高価な着物や海外の食器などの話で盛り上がっていた。だが、そこは流石に「ラジオ深夜便」を任されるアナウンサーだけあり、また流石に書くものが全て当たる作家さんだけあって、途中から微妙に軌道修正をはかり、話は「見えない宝物」へと移っていった。
大切な人からもらった手紙や言葉、かけがえのない経験、他の人から見れば何でもないような物でも(金銭に換算することはできなくとも)思い出と相俟って宝物となるものはある、等など・・・・・。
最終的には、『人間国宝という言葉もある。一般的な意味での人間国宝とは勿論違うが、隣にいる人に「あの人といたら心が和む」「あの人は、私の宝物」と言ってもらえる人になりたい、と思う年齢になった』と、きれいに締めくくられた。
ワンコを想った。
いつからか、ワンコを抱いて話しかける時、5回に3回は「宝物 my treasure」と呼びかけるようになっていた。
林真理子氏は「宝物というと、やはり家族を思い浮かべるけれど、作家としては、その一言だけで表現するのは恥ずかしい」と語っていたが、私の場合、確かに家族は掛け替えのない大切なものだが、「宝物」という言葉が当てはまるかというと、少々微妙だ。
この、「掛け替えのない大切なもの」と「宝物」の感覚の違いは何処からくるのだろうかと思い、例によって例の如く本の世界に答えを求めた。
「星の王子様」(サン=テグジュペリ 訳・内藤濯)
砂漠に漂着し、一滴の水もなくしてしまった男に王子様は「井戸を探そう」という。
どんなに探し回っても井戸は見つからず、疲れ果てて座り込み、星を見上げている男に王子様は云う。
『星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからなんだよ・・・・・』
『砂漠は美しいな・・・・・』
『砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠し持っているからだよ・・・・・』
この言葉で、喉をからしながら水を探し回っていた男は思い出す。
『ほんの子供だった頃、僕は、ある古い家に住んでいたのですが、その家には、何か宝が埋められているという、言い伝えがありました。もちろん、誰もまだ、その宝を発見したこともありませんし、それを探そうとした人もいないようです。でも、家じゅうが、その宝で、美しい魔法にかかっているようでした。
僕の家は、その奥に、一つの秘密を隠していたのです・・・・・』
男のこの話を聞いた王子様はいう。
『そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは目に見えないのさ』
『心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。肝心なことは、目に見えないんだよ』と「星の王子様」は教えてくれるが、では目に見えるワンコが「宝物」で、(同じく目に見えるものであるはずの)家族が「掛け替えのない大切なもの」に留まる感覚の差は、どこからくるのか?
このあたりを、あまり突き詰めて考えると妙な深みにはまりそうだが、ワンコ実家ご両親の言葉を思い出す。
「(大きな声では言えないけれど・・・)どんなに仲の良い家族を見送ってさえ犬を喪った悲しみの方が大きかった、今までの、どの別れよりも犬が旅立ったのが一番辛かった、という人は多い(と言うより)ほとんどの人が、そう言う。悲しいけれど、人間には’’口’’があるからね」 と。
ワンコは何も言わないけれど、確かにワンコの愛を感じた。
何代か前の米・大統領がスキャンダルにまみれ、その原因ゆえに家庭にも居場所がない時に「犬だけが友だった」と語っているのを読んだことがある。
「犬は、私が大統領だから私を愛してくれるのではない。犬は、私が私であるから、愛してくれる」 と。
人間が生きていくうえで一番’’力’’となる存在そのものを肯定するという’’愛’’は、目に見えないものだと思う。
犬は、それを真っ直ぐに心に伝えてくれるので、宝物なのかもしれない。
目に見えない’’愛’’を真っ直ぐ伝えてくれていたワンコは、目にも見えなくなってしまったが、約束通り犬星と我が家を行ったり来たりしていると思う。(参照、「ウンがついている」 「自由 平等 博愛」)
最近背もたれにもたれて本を読んでいたりすると、私のお腹にごろりと寝そべり、本を持つ左腕を枕にしているワンコを感じる。
ワンコは、私のお腹でくつろぐのが好きだった。
2週間ほど前、私めがけてワンコが一心に駆けてきて、私に飛びついたところで、目が覚めた。
目を開けると、目の前にワンコがいるのではないかと思うほど、リアルな夢だった。
あの日以来、ワンコは私のお腹でくつろぐ日々を復活させている。
目に見えなくてもいるんだよ
でも、明日は七夕
犬星のお助けをお借りして、ちょっと姿を現しておくれよ ワンコ