何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

極乱を正すのも国民のはず

2016-03-31 21:13:05 | ニュース
最近こそ「なるようになる」をモットーに「安くて美味しい」が食卓の至上命題だが、以前は、狂牛病が危険だと聞けば、とりあえずミンチは止めようと数年間ハンバーグを食さず、鳥インフルが危ないと聞けば、無理をしてでも安心安全をうたう高級卵を購入していた。このような食の安全問題のはしりとなったO-157カイワレ事件も、今となっては当時の厚生大臣がカイワレを食べている姿しか思い浮ばず、すっかり油断していたが、今一度食の安全に関心を寄せねばならないと思わせる悲しい出来事があった。

<堺O157食中毒で4人目死者、20年前小1の女性> 2016年03月31日読売新聞より一部引用
堺市の学校給食が原因で1996年7月に発生した病原性大腸菌Oオー157による集団食中毒で、同市教委は30日、当時小学1年生だった同市北区の女性(25)が昨年10月、後遺症で死亡したと発表した。発生時に小学生3人が死亡し、死者は4人目となった。
降圧剤を服用し通院治療を続け、結婚して夫と2人で暮らしていたが、昨年10月10日夜、就寝中に嘔吐おうとして救急搬送され、翌日、腎血管性高血圧による脳出血のため死亡した。


食の安全については、これまでも遺伝子組み換え食品や無農薬野菜に関する本について書いてきたが、食品・産地偽装も含めた食の安全で問題となるものの一つにマスコミの報道姿勢もあるのではないだろうか。
誰もが関心をもつ重大な問題だけにマスコミが熱心に取材・報道をするのは当然だが、それは科学的知見に基づいたものというよりは、ともすれば犯人探しの様相を呈し、風評被害と悲劇を生み(カイワレ風評被害は国家賠償訴訟に発展し、鳥インフルに感染した養鶏業者は夫婦で自殺される等)、それゆえ更に国民の疑心暗鬼に拍車がかかり混乱を拡大させるという点でマスコミの問題は大きい。

これで思い出したのが、「極卵」(仙川環)だ。
~帯裏から~
有名自然食品店で売り出された卵は、極上の味がキャッチフレーズの高級商品『極卵』。
安全、安心だったはずなのに、猛毒による食中毒事件が発生する。
時間が経つうちに感染者が急増し、次々に死亡。
過激化した消費者団体は業者を糾弾し、大手マスメディアは過熱報道を増していく。
しかし取材を始めた瀬島桐子に前に、隠蔽された驚くべき事実が浮かび上がってきた・・・。

江戸時代から甦った極上の自然卵(4個1000円)を原因とするボツリヌス症で、神経麻痺や死者まででているにも拘らず、養鶏業者を調べても菌は検出さないままに、問題は遺伝子組み換えの是非や採算を取ることを急ぎすぎるアグリビジネスの闇に移っていく。
この過程でマスコミの餌食となる養鶏業者の父が自殺する場面が印象に残った理由は後ほど書くとして、新聞社勤務の経験を有する仙川氏が本書の作者であるだけに、主人公の女性記者に語らせるマスコミの問題点は核心を突いている。

『大きな事件が起こるたび、マスコミは誰かを叩く。
 責任の所在がはっきりしている場合は分からないでもないが、白か黒か分からないグレーであっても容赦なく叩く。
 メディアスクラムという言葉では生ぬるい。
 あれは、取材の名を借りた公開リンチだ。』

『詰め腹を切るなんて、現代では通用しないやり方だ。でも、それを求める空気が、この国にはある。』
『あの状況(熾烈を極めた取材攻勢)で、関係者が死を選ぶことを全く考えないなんて、あり得ない。
 多少、心の片隅で心配しただろう。
 でも、そのことに目をつぶり、自分達の正義、あるいは、ウップン晴らしを優先したのだ。』

マスコミは往々にして、自分達の正義あるいは結論が既にあり、それに都合のいい事実だけを挙げ連ねるならまだしもましで、自分達にとって都合のいい事例を捏造することすらあるように思う。
しかし、その公開リンチでウップン晴らしをしているのは、マスコミだけではない。
本書では、安全食品を標榜する消費者団体の 『自分が正しいと思う主張を通すためなら、デマを流してもいい』という異常性も強く書いているが、その一方で、公開リンチを見てウップン晴らしをするだけで、正しい世の中を実現させる努力をしない人間も強く非難している。
『あなたは、穏健なインテリの仮面をかぶった偽善者だ。
 あるいは、目の前にあるものを見ないふりをしている卑怯な人間だ』

これまでも食の安全と採算の取れる農業については関心をもって書いてきたが、同じジャンルの本でありながら、本書をマスコミ取材の問題点という点から読んだのには、理由がある。

作者・仙川氏は阪大で生命科学を学んでおり、そのような経歴をもつ作家の本は漏らさず読むことにしている私が、「極卵」を手に取ったのは、発売から間もない2014年の秋だった。

2014年 夏から冬へ
敬宮様へのバッシングは熾烈を極めていた。
毎日毎朝、学校にマスコミが張り付き、その通学状況が翌週には大見出となり大バッシングとなった。
通学状況から苦手な科目を詮索し、運動会や休日の様子を暴露風に書きたて、手の所作(体の前で組むか体側にそろえるか)から両親より半歩前に出た足の先まで、まさに一挙手一投足を叩いて叩いて叩きのめした。
ごく一般的な家庭の児童・生徒であっても、通学に不安を抱え悩んでおれば自殺の危険性が生じるというのに、敬宮様は通学状況はおろか息をすることすら叩いてやると云わんばかりの悪質なバッシング記事が垂れ流されたのだ。

異常だった。
正気の沙汰ではなかった。
公開リンチだった。

この問題が生じたのが、ある新聞が女性皇太子の誕生について言及した「愛子様が将来の天皇陛下ではいけませんか」(田中卓・皇學館大学元学長、古代史の泰斗であり皇學館大学名誉教授)を記事にした時期に重なるため、一連のバッシングが私には、「東宮に女子の命は不要」という最後通牒のように感じられたのだ。
自分達の大義なり結論なりに固執するある筋とそれに同調する者による、公開リンチ

このような時期に「極卵」に出会ったので、食の安全よりも、メディアスクラムの問題点とそれを容認する国民に注目して読んだのだ。

本書は最後に、『手段を選ばす自分の主張を通そうとする人たちを許すことは出来ない』 が、実効性があると断言できる方法を示すことも難しい、と書いている。しかし、こうも書いている。
『対話で解決する道を放棄したら、そこで終わる。
 そして、サイレントマジョリティーは、手をこまねいている人ばかりではない』

目の前にあるものを見ないふりをする卑怯な人間にはなりたくない、偽善者であってはならないと思い悩んでいるうちに、弱冠13歳の敬宮様は御自身で、その苦境を乗り越えられたが、この国に蔓延するウップン晴らしの悪臭は、出口を求め今現在もそこかしこに漂っているので、これからも地道に頑張っている人を応援していきたいと思っている。

言いたい放題やりたい放題が大手を振って歩いている世の中に、一矢報いんと今日も応援ブログを書いている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする