何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

神々の頂の麓

2016-03-14 18:15:00 | 
「神々の頂きの人々」つづき

12日に公開となった「エヴェレスト」は高度5200メートルで撮影をしたそうだ。
『キャストスタッフ共に10日間かけて高度順応しながら登り、一か月以上にわたるネパール・ロケに命がけで挑んだ』(http://everest-movie.jp/about/ イントロダクションより)とさらりと書いているが、この表現では恐らく、このロケの過酷さは伝わらない。

国内外から映画化のオファーが殺到しながら、それが実現しなかったのは、超長編小説を上演時間内にまとめることが出来るのかという脚本の問題もあっただろうが、当然のことながら撮影地の問題が大きかったはずだ。
映画エヴェレストhttp://everest-movie.jp/ のサイトには、大きく書かれている。

エヴェレスト 
神々の山嶺
標高8,848M 氷点下50度 極限の世界に挑む

もちろん8848Mで撮影するわけもないが、では一月ロケを実施した5200mはどのな場所なのか、原作からそれが推測される箇所を拾ってみた。

一般的に、2,000Mを越えたあたりから症状がでることがあると云われる高山病だが、それは酸素が欠乏することによっておこる。
『  』「神々の山嶺」(夢枕獏)より引用
『普通、富士山の高度、3000メートルを超える高さになると、酸素量は、だいたい地上の三分の二ほどになる。5000メートルでおよそ半分。8000メートルを越えた、エヴェレストの頂上のような場所では、地上の三分の一になる。
高度をあげてゆき、だんだんと酸素の量が減ってゆくと、人の肉体にどういうことがおこるのか。
まず、おこるのが、疲労である。すぐに疲れる。次に頭痛だ。頭がずきずきと痛み、吐き気がする。時には吐く。食欲が無くなり、肉体が食べ物を受けつけなくなる。従って、ますます、疲労が強くなり、体力が衰える。』

人によって高山病の症状がでる高度はまちまちであるし、同じ人間であっても体調や状況により、異なってくる。
体力のある人間が高山病に強いというわけでも、ない。

次の段階では、症状はさらに進む。
眼底出血がおこり、眼が見えなくなる。
肺水腫がおこれば、一刻も早く、酸素の濃い場所へ下さなければ、死ぬことになる。
脳浮腫が起これば、幻覚を見、幻聴を聴くようになり、現実と幻覚の区別がつかなくなる。

眼底出血や肺水腫・脳浮腫がどの時点ででるのかは、高度だけでなく、そこにいる人の体調や天候や高度順応に左右されるのだろうが、撮影が行われた5,200Mというのは、酸素量が地上のほぼ半分の地点であるから、次に引用する本書の描写のような環境だと思われる。

『地上の半分以下の酸素の中にいると、レンズのフォーカスを合せ、シャッターを押すだけで、息が切れる。シャッター押す時は、一瞬、呼吸を止める。その、ほんの一瞬呼吸を止める状態が、ほんの二秒も長くなっただけで、シャッターを押し終えた後で、喘いでしまうのだ。
シャッターを押し終え、ごうごうと音をたてて呼吸する。
苦痛で眼がくらみそうになる。
もとの呼吸を取り戻すまで、2~3分は、ただただ、速い呼吸を、苦痛の中で繰り返すことになる。』

『テントの中で、眠っているときもそうだ。
目が覚めている時は、意識的に呼吸を速くしているため、酸素の摂取量も多い。
血液中のヘモグロビンが、酸素を補え、なんとか体調を維持してくれるのだが、眠ると、呼吸の速度がもとにもどってしまう。すると、ヘモグロビンが摂取できる酸素の量が限られ、苦しくなって、夜中に何度も眼を覚ますことになる。
苦痛で、顔の上の空間を、両手で掻き毟るようにして、声をあげ、眼を開く。荒い呼吸を繰り返す。まるで、悪夢の中で、首を絞められながら眠っているような気分になる。
その不安と苦痛に、誰もが、暗いテントの中で耐えている。
耐える。
精神の強靭さが要求される。』

『4000メートルを越えた場所で、高山病のため、あっさり死ぬのも、珍しいことではない。
昨日まで、元気だった人間が、翌朝、テントから起きてこない。声をかけても返事がない。どうしたのかと、テントの中を覗いてみると、寝袋の中で冷たくなって死んでいたーこういうことが、日常的なレベルでおこるのだ。』

このような環境で、一月にわたり撮影が行われたのだ。
撮影にはもちろん山岳カメラマンが同行したに違いないし、主演の岡田准一氏は芸能界きっての山男だというが、それでも5,200Mはその経験を超える世界ではないだろうか、まして、そこで映画の撮影をするというのは、誰にとっても命がけのことだったと思われる。

おそらく山屋さんではない主演の阿部寛氏と尾野真知子氏や他のキャストの人々はどうだったのか、メガホンをとる監督はどうだったのか。

昨年夏、大雨と雷で二日ほど涸沢(2300M)に留まっていた時、高山病を身近に感じた。
小屋では祖父母から小学校中学年の孫までの大家族と同室だったが、そのうちの女の子が頭痛と吐き気を催し、診療所に運ばれたのだ。涸沢には幸いにも、東大医学部がつめてくれている東大涸沢診療所があり、そこで丁寧な診察をうけた少女はほどなく回復したが、顔色なくぐったりしている様子は痛々しかった。
高山病は体力のない少女にだけおこるわけではない。
大雨と雷が恐ろしいような酷い状況であったのがマズかったのだろうが、奥穂高岳(3190M)から下ってきた猛者のような登山者は、「うえで頭痛がおこり吐いた、(この高さでは)初めての経験だ」と話していた。

天候や体調によっては、2000~3000Mですら高山病の症状が出るというのに、ただ寝ているだけで死ぬ可能性がある環境、シャッターを一度押すだけで喘いでしまうような5,200Mという環境が、山屋さんではない映画関係者の人々にとって、どのようなものだったのだろうか。

「神々の山嶺」は、物語はもちろん面白く良かったが、これをどのように映像化したのか、興味が尽きない。
演技などではない、おそらくドキュメントのような仕上がりなのだろうと勝手に想像をめぐらしながら、映画を観る日を楽しみにしている。

まだまだエヴェレスト神々の山嶺フィーバーは続いていく

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