郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

「書き」の指導

2020年04月16日 | 日記

今回は「書き」です。

 

寺子屋が主体だった当事の「文章指導」は、いわゆる「手紙」を使って、「書き」の指導をしていたとのことです。

 

自分の思いや考え、見たこと、聞いたことを「文章」で「書いて」人に伝えるのに、「手紙」ほど優れた交流手段はないと考えます。

 

今、ふりかえると、すでに交流された「手紙」を使って指導を行っていたのは、大変「合理的」だったと考えます。

 

それを「まねる」(「なぞる」つまり、視写する)ことは立派な「学習」といえると思います。)

 

 

これが、「家庭教育のみ」でできるかというと、ある程度のところまでは可能と考えます。

 

ただし、「字体」はどうしても各家庭で差が出てしまうと思うのです。

(巧拙の問題ではなく、いわゆる字の「癖」みたいなところで。)

 

私も「字体」そのものはある程度の「統一」は必要と考えます。

(康煕字典が編纂された経緯を学んで、私もそう思いました。)

 

そうなると、「学校」で、みなで「手本」を見ながら「字を書いて、文章を作る」ことは、大きな意義があると考えます。

 

でも、「手本」が行き過ぎたのが、学校でのいわゆる「とめ、はね、はらい」などで採点を強化した指導になっていると思います。

(文科省もそこまでは厳しくしないよう、都道府県教委に通知しているはずなのですが、現場レベルでは降りてきませんよね・・・。)

 

結局のところ、「字体」そのものが、ある程度の「統一」がなされていれば、家庭に任せてよいと考えます。

 

その「ある程度」を学校が点検すればよいというのが「書き」に関する、私の意見です。

 

(よって、小学校において「連絡帳を書く」という活動は、児童、教師、保護者が3者で書いたものを確かめることができる立派な「学習」であり、このことで、「書く」 という指導は、十分に果たしていると思うのです。国語における「書く」指導は、このことのためにあるといえるのではないでしょうか。)

 

 

-K.O-


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