郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

一教員として見てみたS市の教育について(Ⅰ)

2024年05月07日 | 日記

◆はじめに

先日、県議のE.Kさんと交流させて頂いた際に「S市の教育について、感想などを。」(主旨)

との依頼を受けました。

たぶん、ほとんどいないであろう「会員」で、かつ市内の教員でもある私が「雑感」ですが、「S市の教育」について述べてみたいと思います。

 

◆自己紹介(略)

 

◆「S市民ネットワーク」(以下「市民ネット」)の会員としてS市に転居したのは、2003年です。

このときはS地区のN町にいました。

その後2009年にSZ地区のKSに移り、今年で15年目(通算21年目)になりました。

「市民ネット」の会員になったのは、2007年です。当時、県議選があり、H.OさんからKS駅前で直接ビラを頂いたのを覚えています。

会員として、時折、行事や集会に参加したりする他は特に何もなく、ただ「会員」で会費を納めていただけです。年間1,500円が良識ある市民の方々の役に立てばいいと思っていました。

最近(といっても数年前ですが)、「れいわ新選組」の方が国政選挙にでるとのことで「スペースY」で集会があった際に、意見を述べさせて頂いたことがあります(内容については割愛)。

S小への転勤が知らされた際、真っ先に思いうかんだものの一つに、「市民ネット」があります。

そこで、H.OさんにSNSで伝えて、事務所の方にも直接あいさつさせて頂きました。(以下略)

 

 

◆外(N)から見た「S市の教育」の印象

S市以外の自治体の学校に勤める教職員から見たら、S市で勤務するというのは、ある種の「ステータス」があるようです。

S市の学校で働くことができるのは、そのこと自体「教職員として一段高い位置にいる。」そんなある種のプライドのようなものがあるみたいです。

教職員は年に何度か、いろいろな学校の先生方で集まる「研修会」があるのですが、そこでのS市の教職員の方を見るたびにそう思いました。

だから、S市へ転勤するとなると、喜ぶ方がほとんどのようです。

その学校がどういう状況であろうが。

私自身は、定年までS市に勤めることはないだろうと思っていたので、S市への転勤は「意外」でした。

 

 

◆私にとってのS市への転勤の感想

 詳細は省きますが、S市は「私のような教員を絶対に欲しがらない、嫌がる自治体。」だと認識していました。

要するに、私は児童や自身が嫌がることについては言うことをきかないのです。

 N市にいたときは、「組合」を使って、たくさんの要求を出し、交渉を行い、職場改善、教育労働環境の向上に務めてきました。

よくも悪くも長く居続けることで、私や組合とN市教委も「よい緊張関係」だったと思います。

 S小に来る前の学校では10年間勤めました。

一般的に、教職員は「長くても7年」で転勤する「慣例」があったのですが、私は「例外」だったわけです。

(自分で希望して、居続けたというのが私の認識ですが、周囲は「引き取り手(市町)がいなかった。」と評価しているようです。)

 

転勤を言い渡されたとき、まず、最初に思ったのは

「え、自分が? それも私のことを一番嫌がるであろうS市に?」

というものです。

 そして、転勤先がS小になり、3月末にあいさつに行って、職員室に通してもらい、職員の方々と対面させてもらっても、「本当にここに来るのかな?」と半信半疑でした。

 

 

(つづく)

 

 

-K.O-

 


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