私たちが遊山講(ユサンコ)と称していた行事がありました。
持ち回りで、各家に子どもたちが集まって遊んだり、食事を共にするものです。
たしか年に数回、学校の長期休業に合わせて行っていたようにも思います。
この行事も事前の準備から始まります。
前日に当番に当たる家の子を中心に上級生が手伝いながら各自の家々を回ります。
お米を集めるのです。
この集め方が面白いのです。
1年生は一合、2年生は二合、3年生は三合・・・という具合に学年が上がるにつれて集める量も増えるわけです。
子どもですからそれ程には食べることはないのですが、当番に当たる家庭の負担を考えてのことだったのかもしれません。
子どもに関するどんな行事も同じですが、上級生が下級生のことをよく面倒見ていました。
小中一緒の行事もありますが、このユサンコは小学生だけでした。
それも不思議なことに男と女は別々でした。
女の子たちもユサンコをしていたようですが、詳しくは分かりません。
当時はユサンコが他にもありました。
私が初めて体験したユサンコは母について行った母親(嫁)たちのユサンコでした。
因みに学齢前はここに参加するのも楽しみでした。
母親たちは、食後のおしゃべりが何よりも楽しみにしていたような節があります。
子ども心にも大人たちの話をよく聞いていたものです。
今思うと、かなり際どい会話だったようです。
舅や姑や旦那の悪口、どこかの家の噂話、昔起こったという猟奇殺人事件・・・
私はラジオドラマを聴くかのようにじっと耳を傾けていました。
農家の嫁たちは、こうして時々息抜きをしていたのでしょうか・・・。
その他には母親たちの「子安講」とかいうのもありましたが、何だかよく分からないけど儀式じみたことをして食べ物を食べていた記憶があります。
だから、自分たちのユサンコも何かそれらとも関係あるのかな・・・程度の考えは高学年になってから意識したものです。
ずっと後になってから分かったのですが、大人の男たちは「おびしゃ」という似たような行事を行っていたものです。
この様に昭和30年代の農村では、歴史的にも民俗史的にもぞくぞくするような面白いものがあったのです。
さて、私たちのユサンコは実に楽しいもので、日中はみんなで外遊びをします。
この日ばかりはの小学生全員が集まるので、色んな種類の遊びができます。
夕方になると、当番の家の方が用意してくれた食事が待っています。
最高の田舎料理が振る舞われます。
鳥めし、ぼたもち、けんちん汁、蒸しパン、酢の物、牛乳羊羹・・・。
食後はおしゃべりをした後、再び外へ出て「肝試し」をしたり、暗い野道を駆けずり回ります。
たまに度が過ぎて大人に叱られることもありましたが、私たちはユサンコが解散するまで楽しみました。
-s.s-