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ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

メイキング放送は必要?

2010年07月05日 17時10分48秒 | 日常

 今夜は「月の恋人」というキムタク主演の連ドラが最終回だそうで、夕方、その特集番組がありました。フジテレビはよく、最終回にあわせて再放送もしていますよね。以前、「風のガーデン」のときがそうで、最終回にあわせての再放送も見ていたのですが、最終回の再放送がなかったので、テレビ局に問い合わせしたら、予定はないとのこと。まあ、最終回を見させるための再放送だったから、よく考えれば当然のことです。

 そしてこの、ドラマや映画のメイキング番組、フジテレビに限らず他局でもよくやっています。いつのころからか、それが当たり前のようになってしまいましたが、これって、よく考えるとおかしいと思いませんか?

 ドラマは本放送のみで勝負すべきです。こういうことをするのは、視聴率を何とか上げたいからなのでしょうか?ドラマも映画も、セットは終わったら壊してしまうものです。もともと、作り物です。いくらお金をかけたからって、裏方をそんなに見せていいのでしょうか?なんだか、不思議です。というよりも、あざといとしか思えません。

 つまりは、ドラマ制作費が集まらないから、いいドラマができないってこと?そして、その制作費ももったいないからメイキング番組を垂れ流すわけ?

 昔はそんなドラマつくりはしなかった。倉本聰さんが嘆くのも、もっともです。

 踊る大走査線の映画を土曜日封切だからって、W杯の特集番組の裏でこの曲を流すのって、ヘンではありませんか?

 よほど、作るものがないのか、制作費を集められないのか・・・。作り手のモラルはどうなっているのでしょうか?


マイレージ、マイライフ

2010年07月04日 18時25分37秒 | 映画

 珍しくアメリカ映画を見にでかけました。アカデミー賞にノミネートされた興味ある映画だったのです。が、・・・・・、うーん、ちょっとがっかり。リストラ不況の社会に乗っかっただけじゃないの?と、ストーリー展開の最後で、うやむやにわだかまりが残る、後味が悪いような映画でした。

 私がハリウッド映画を見たくなかったのは、これみよがしのハッピーエンドだからだとしたら、この映画を見るときにすでにそれを期待してしまったから、がっかりなのかもしれません。ま、悪いのは私か。でも、たまったスタンプでもらった招待券で見たから、実害はありません。

 主人公のライアンが、女性に恋をしたところまではよかった。でも、恋した相手は、他のサイトの批評であったように、悪女といえるのかな?それには私は同意しません。

 そこで、分析。アメリカだって、男女差別はないといいながら、本当は根強い男女差別があると思います。だから、ヒラリーはあえて攻撃的な発言をするのです。その、旦那も子どももいるキャリアウーマンが、ひっきりなしに出張している仕事についていられるのか、いくらアメリカでもそこまで子育て福祉面が充実しているとは思えません。もしかしたら、旦那がリストラされて主夫しているのか?それに、子どもがいるのなら出張でも、絶対に子どものことは考えるでしょう。息抜きとか平気で浮気するとはとても思えないのです。だから、あの設定はありえない・・・。そして、主人公ライアンの故郷にまで付き合うほどだったら、私は彼女は悪女だとは思えません。つまりは、矛盾だらけの人物なのです。

 まあ、人を好きになって結婚も一度はしてみないと、人生はつまらないよ!だから、ライアン、これからきっと素敵な女性に出会って結婚してみてくださいね。

 さて、次の映画はどうしようかな。批評に頼ってみるのもいいかも。同じ映画でも、感想は十人十色。この映画に関しては、私は点数が低いほうに賛成。

 ところで、下高井戸シネマ、館内の飲食は許されるけれど、飲酒はいけないんじゃなかったっけ?通路隔てたお隣男性二人組の通路側の人、グリーン淡麗を飲んでいました。まあ、おとなしかったから我慢しましたけど。


てんとう虫のバス旅行

2010年07月03日 10時48分17秒 | 日常
 先日、バスを待っていると、ショルダーバッグに何かがついていました。こんな飾り、ついていたっけ?とよく見ると、そこには茶色い小さなてんとう虫が・・。慌ててはたいたら、今度は「彼は」ダヤンのレッスンバッグの中に入ってしまいました。すぐにバスは来るし、しかたなくそのバスに乗り込んで、後ろの座席に座ってから、レッスンバッグの中のペットボトルやら弁当やらをどけて、「彼」を発見。「彼」は、のこのことレッスンバッグの内側を歩き回り、私も手助けしてようやく外に脱出しました。が、そこは、前の座席の背中です。これからどうするのか、と気の毒になりました。私は「彼」をつぶさないよう気をつけて降車しました。一緒に降りたりはしなかったです。というのも、降りたところはJRの駅。緑が少ないから、困るでしょうし。彼は、さらにバスの旅を続けるのでしょう。逆のほうだったら、緑豊かなキャンパスがあります。きっと、どなたか親切な大学生が、外に出してあげることでしょう。

ブログを書くということ

2010年07月02日 11時29分10秒 | 日常

 ブログを書くということは、自分の身の回りのことをつらつら書きつづるので、仕事や家族、ペットのことが中心になります。そして、たとえば夫のことを書けば、知り合いはそれを読んで、大丈夫なのかと思うのでしょう。

 そもそも、書くということですでにフィクションになると思います。もちろん、嘘は書いてはいませんが・・・。私が書くことは、私の意見であって、それが事実ではあっても真実ではないかもしれないのです。学生時代に歴史を勉強してきた人間として、やはり私は今の時代のフィルターを通して歴史を見るのであって、それが真実とは限らないのではないでしょうか?それと同じことです。

 心配してくださる方には申し訳ないのですが、心配するのなら、どうかこのブログを読むのをやめてください。

 もともとは、私のPC歴は、父の絵をインターネットで公開しようとして始めたのです。当時は、八王子で使えるプロヴァイダが少なく、ウェルメットというマイナーなところでダイヤルアップでした。そして、その後、リムネットからソネットに移行。世の中はずいぶんと変わりました。私のように、PCからでなく携帯からいろいろできる時代なのですね。でも、携帯は私は好きではありません。使いこなしてもいません。携帯は、軽態です。さらに軽いのは、ツイッターというもの。ただ、つぶやくだけの無責任な世界。私はそんなものを望んでいままでやってきたのではありません。本当は、個人のHPのままでやっていたほうがよかったのかもしれません。その頃は、インターネットは私にとって「知の森」でした。

 今、いろいろ調べようとしても、ツイッターの呟きが邪魔をします。

 ブログも、ある意味同じ穴のむじななのかもしれませんね。ごく個人的なお話を好き勝手に書いている。そろそろ、潮時なのかもしれません。