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Bunge哲学辞典: (通俗的概念の)確率

2010年07月29日 11時20分32秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月29日-2
Bunge哲学辞典: (通俗的概念の)確率

 メキシコ湾の海底油田での2010年4月20日の爆発事故による原油流出を止めようとして、2010年5月26日に開始された封じ込め作戦は、失敗した(とBPは、2010年5月29日に発表したらしい)。(最近の対策で、少なくとも一応は止まったらしい。)
 この、泥とセメントで栓をするというトップキル作戦の成功する見込み?の確率は60-70%だとBPが?言ったと、その前の朝日新聞の記事があったという記憶がある。しかし、失敗したわけである。その60-70%という数値は何だったのだろうか? 70%成功したというような結果はあり得ない。前とくらべて、3割の流出量に抑え込みましたという意味でもないだろう。そうではないとすれば、成功するかしないかのどちらかである。70%とは、いわゆる主観的確率なのか?

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-15573820100530
に、
  「BPのヘイワード最高経営責任者(CEO)は、油井に泥状の物質を流し込み、セメントで原油流出を封じ込める今回の作業について、深海での試みは初めてであり、成功率は60─70%としていた。」
とある。
 しかし、
http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_64532
には、
  「BP幹部は、トップキルについて今回の事故地点ほどの深海で行〔な〕ったことはないが、成功の確率は60%あると述べている。しかし、オバマ政権当局者は悲観的で、10%の確率とみている。」
とある。

 確率って何だろう? 未来に或る事象が生起することについての主張の、何についての指標または表現なのだろうか。

確率、通俗的概念の probability, vulgar notion (BungeDic2, p.227)
 日常言語では、「たぶん probable」はしばしば「ありそうな likely」または「もっともらしい plausible」のどちらかと同一視される。どちらの同定も、正しくない。前者では、「たぶん」は量的な概念を指すのに対して、「ありそうな」は質的である。また、↑【もっともらしさ】を確率と同等に扱うことは、間違い〔誤解 mistaken〕である。なぜなら、一つの命題は、もっともらしくてもそうでなくても、命題に値段をつけることができないのと同様、一つの確率を当てがうことはできない。↑【確率の逆説】。