はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

ホシガラスのおのぼりさん紀行

2010-08-14 19:26:23 | Weblog
 8月13日 風が有るので少し涼しさを感じる日です。13日の金曜日です。数年に一回
ぐらいの割で訪れますが、そんなに悪い事は有りません。今日もそうです。

 パリに居る娘の滞在ビザが、もう7年に及びパスポートも今年いっぱいで切れるので更新の
手続きが必要になり本籍地の豊島区へ出掛けました。

 鎌倉に移って40年、私の生涯で一番長く棲んでいます。元来は池袋でしたが、戦災で焼け
たり、都合で動いたりしましたが池袋には学生時代を通して生活していましたので、ここも
25年は棲んでいました。
 鎌倉へ移っても東京に未練が有るのか本籍だけは残して、お墓も山手線の中に有るので
死んだら都心に入れる事になります。

 そんな事で最近は郵便でも戸籍関係の書類は入手出来ますが、他に用事もあるので朝から
出掛けました。

 久しぶりの池袋東口は、すっかり様相が変わってしまい区役所が判らなくなり郵便配達の
人に聞く始末です。
 やがて古色蒼然たる懐かしい建物が見えて来ました。



 戸籍関係の窓口は以前と同じ位置にあり、まごまごしていると若い女性係員さんが親切に
教えて下さいました。銀行や郵便局並みに番号札を取って待っていますと間もなく呼ばれて
短時間で戸籍謄本が渡されました。見てびっくりです。昔は謄本と言えば縦書きで一族郎党
総てが記載されていましたが、今は一枚の紙切れだけです。これなら時間がかからない筈で
すが、何か頼りない感じです。先ほどの係員さんに聞いても、これで良いのですと言われれば
納得して引き下がるしか有りませんでした。

 通りから見た豊島区役所です。もう50年は経っているでしょう。兎角、役所を必要以上に
立派にする風潮の中で頑張っている豊島区に声援を送りたくなります。



 池袋東口は相変わらずごたごたしています。いかにも池袋らしいです。



 駅ビルの中身は変わっても外からの眺めは昔の面影を残していました。



 戸籍謄本を持って外務省へ行き、アポスティーユと言う公印を貰わなければならないので
外務省へ出向こうとしましたら既に11時半で、向こうに着くと昼休みになって閉庁タイム
になりますので、先に目白へ行く事にしました。
 何時もの、鳥の切手の仕入れです。終わってから何時も入るトンカツ屋さんへ行くと盆休み
でした。仕方なく池袋の方を写真にしました。サンシャインビルが聳えていますが嘗ては
高層建築の名所になっていたのに最近は、これを上回るビルが林立するので、すっかり影が
薄くなりました。



 学習院脇のナンキンハゼの実は、まだ青々としています。秋には赤くなります。



 池袋に戻り、地下街を歩きました。すっかりの変貌です。昔は丸ノ内線だけのメトロが
副都心線、有楽町線と交差し、地上では山手線、埼京線、新宿湘南ライン、西武線、東武
東上線と5ラインが発着し一大ターミナル駅になりました。

 前には無かったエチカが遠くまで延びています。何処までいけるのでしょう?
 時間のある時に試して見たくなりました。



 メトロ丸ノ内線のホームは日本文字が無ければパリのメトロかと見まごうばかりです。
 電車の発着に合わせて自動的に防護壁が開閉するのは、東京でも数少ない事ではょう。





 以前、棲んで何年も通い慣れた場所ですが、完全におのぼりさん然と、きょろきょろです。

 13時を過ぎたので丸ノ内線で霞ヶ関へ向かいます。メトロを降りると直ぐでした。
 国会議事堂も近く官庁街だけに警備も、ものものしく各所に警官や警備員が立っています。

 南館の証明班は閑散としていました。パキスタン人らしい人が係官と話し合っていました。
 ここも番号札を取って待つと0番なので、直ぐに窓口でアポスティーユの申請をして
いとも簡単に終わりました。まだ14時です。
 夕方まで、どうして時間を潰そうかと思案しました。取りあえず周辺の写真を撮ります。

 昔、良く通った農水省のはいっている合同庁舎です。



 外務省は、この合同庁舎の向かいに有ります。



 何の役所か判りませんが立派な建物です。二階建ての観光バスが通って行きます。



 警備員さんは、いかめしいですがガイドもして呉れます。



 外務省の隣は警視庁です。



 特に用も無いのに知らない場所で、余りうろうろも出来ません。以前、東京落語会が
50年にも亘って開かれていたイイノホールも母体のイイノビルが今、立て替え中なので
ニッショウホールへ移転していますが、何時になったら戻れるのか、その儘なのか判りま
せんが建設中のイイノビルです。



 ここは東京のと言うより日本の中心です。近くに六本木ヒルズが見えました。



 そこで考えました。六本木のこの森ビルの上で今、恐竜展が開催されているので、そうだ
それを見に行こうとメトロに乗りました。
 六本木ヒルズも人混みで、道も慣れないとややこしくなかなか会場に着きません。

 やっと着いたと思ったらチケットを買うのに長蛇の列です。もっとも今日辺りから盆休み
で、子供さん連れの親子さんが、どっと押し寄せるので無理も有りません。
 とてもこの混雑の中で、恐竜展を見る元気も希望も有りません。あっさりと諦めました。
 大体、何の展覧会でも押し合いへし合いで見る物ではありません。譬え見ても記憶に残り
ません。界隈を又、うろうろとしました。
 六本木ヒルの超高級マンションです。災害の時を考えると恐ろしくなります。



 テレビ朝日のビルの前は、日本庭園になっています。以前にダビンチコードの展覧会を
見に来た時、寄って庭園の名前を覚えましたが忘れました。



 珍しくも有りませんが東京タワーが見えます。一時は時代の寵児的存在でしたが、スカイ
ツリーがどんどん延びて行き、再来年には完成となると殆ど影が薄くなり可哀想な存在に
なりますので記念に撮りました。完全なおのぼりさんです。





 六本木も長くは居られませんので銀座へ出ました。矢張り銀座は長年勤めで通っていた処
なので何か落ち着きます。

 楽器店でCDを物色したり、デパートを覗いたりして久しぶりに勤務中では有りましょうが
昔の知人に電話して出てきて頂き、喫茶店で昔話に花を咲かせました。

 17時になったので、名残惜しく別れて虎ノ門へ向かい東京落語会に入りました。

 今日は特に目当ては有りませんが、談笑さんの壺算ならぬ薄型テレビ算が今の時代を背景に
上手く語っていました。圓丈師匠は新作ばかりでしたが今日は、死に神 と言う古典に挑戦
しましたが、もつと圓丈らしさが有った方が良いと思いました。
 中入り後は新進の、たい平さんが、青菜を噺ました。若手らしい新鮮で兎に角一生懸命さ
が伝わって来ました。トリの文楽師匠は、禁酒番屋 を演じましたが、たい平さんの後だけ
に余りの歳の差が感じられ、ぴんと来ませんでした。組み合わせが悪かったとしか言い様が
有りません。

 終演後、何時も行く店へ入ると様子が変わっていました。先月まで居たマスターが63歳
の若さで体調を崩して店を止めたとの事。料理を作っていた板前さんが今度はマスターに
なって店を切り盛りすることになったとの事で驚きました。

 食べ物の店は、味ばかりではなく雰囲気が大事なので新しいマスターが何処までやれるか?
従業員も日本語片言の女の子ではちょっと馴染めないなと思いました。
 長年、親しく通った店なので残念でした。帰宅は日にちが変わっていました。

 あちこちと、おのぼりさん的な一日が終わりました。