はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

ホシガラスの寒の入り その1

2010-01-22 18:25:04 | Weblog
 5日から寒の入りになりましたが、疑う程の暖かさで毎日が過ぎて行きます。
 当面の事だけを考えれば結構な事ですが、長期的に考えると暖冬も不安になります。
 矢張り冬は寒く有るべきと思います。

 1月12日 久しぶりの雨降りです。グラゥンドゴルフの新年会が由比ヶ浜のホテルで
開かれました。送迎バスが近くまで来るので楽々で参加しました。

 夜は日本書紀の講座です。欽明天皇の時代なので余り面白く無い朝鮮の事が続きます。
 この当時、朝鮮では百済と新羅が争っててましたが、その中でも日本の顔色を伺い乍ら
行動し、日本の存在が朝鮮に大きな影響を及ぼしていたようです。
 この裏には当時、日本には朝鮮からの帰化人が多かった事にも起因しているようです。
 日本人の多くの先祖は、天皇家を始め何らかの系列で朝鮮と関係があると思います。

 朝鮮は半島民族ですが、半島民族は大陸の民族の迫害を受け、追いつめられて最後に
は半島で生き延びたと思います。それだけ苦労していますが、それまでに得た高い文化
度を保有しています。その背景には秦の時代、漢の時代の優れた文化があります。
 ホシガラスは、このような観点から半島民族を高く評価しています。

 1月13日 昨日の雨が嘘のような晴れです。
 冷たい風が吹いているものの日中の太陽の光は暖かく、北風と太陽の話が想い出され
ます。今年二度目のスポーツ吹き矢の日です。
 寒さにもめげず26名の参加でした。

 1月14日 グラゥンドゴルフの初打ちで、最初にホールインワンした人に賞金が
出ます。それが幸運にもホシガラスに当たりました。これは春から縁起の良い事です。

 午後は、昨年ブラジルへ探鳥に行かれた友人の傑作写真を見せて戴く事を口実に食事会
です。併せて仲良しグループの今年の北海道探鳥旅行の下打ち合わせもしました。
 南の鳥の美しさは日本では見られない美しさでした。
 縁起の良い事と楽しい一日でした。

 1月15日 寒の入りに相応しくない日が続きます。東京へ出ます。
 先日、お墓詣りに行きましたがお寺さんが休みでしたので今日改めてお詣りにいきました。改めてお線香を上げてお詣りしお寺さんに新年の挨拶をして辞去しました。

 何時ものように目白へ出て、鳥切手の仕入れですが、最近は少なくなっています。

 東京落語会へ行きます。恒例の獅子舞はマンネリ化して面白く無いので終わってから
場内に入りました。新年恒例とは云うものの何か変化が欲しいものです。
 落語会は、新真打ちの鯉太さんは、まだ間の取り方に問題がありましたが、オチに
工夫をしている点が頂けました。
 志ん輔さんは、義太夫を上手く演じていました。声が良く透って上手いものです。
 中トリの歌丸師匠は、城木屋を噺しましたが間の取り方は流石でした。

 たい平さんは若い乍ら将来有望です。今夜の粗忽長屋でもオチの大きな工夫を凝らし
ていました。
 大トリの馬風師匠は、お得意の『紙入れ』でした。お馴染みの噺は気持ちよく聴け
ました。
 終わってから何時ものように友人と、馴染みの店で一杯やって帰りは深夜バスに、
どうにか間に合いました。NHK風に言うと日にちが変わってからの帰宅となりました。
 雑用を片づけて寝ると2時でした。



ホシガラスの新年

2010-01-16 16:45:05 | Weblog
 ブログと言うものは毎日、日記のように更新するものと良く言われます。
 ホシガラスもそのようにしたいのは山々な事は勿論ですが何せ独りで戸主から
主婦も趣味人も勤めなくてはならないので、どうしても纏め書きになるので
ご了承願いたい処です。

 それにしても今回は少し非道すぎますことは重々承知ですが、それだけ年の初め
で話題が無かった為なので、ご勘弁下さい。

 1日・2日と久しぶりにのんびりゆっくりしました。完全な寝正月でした。
 こうなると腰痛とは言え、必ずしも悪くありません。
 きっと、神様が、ご先祖様が、そして亡き妻が、たまにはゆっくりして身体
を休めなさいと言っているようです。
 二日間はそのお言葉に甘えさせて頂きました。
 外は快晴ですが、じーっと我慢して耐えました。

 テレビを観たり、遠くに居る子供や姉、久しぶりの友人と電話で話したり年賀状
を見たりしていると、瞬く間に二日間が過ぎていきました。

 新年と言っても独り者の生活は非常にシンプルです。

 腰も大分、楽になりましたので3日は初参りです。鶴ヶ岡八幡宮が恒例になって
います。例年であれば元日の8時頃に出掛けましたが今年は怠け癖が付いてしまって
10時頃出掛けました。

 二の鳥居付近はまだ閑散としていました。



 然し、舞殿手前から規制が有り、それでも二回で通過しましたが、石段では3回
止められました。



 お詣りは何時もの事ながら数秒です。これでは神様に届くかどうか判りません。
 正確に届けるには拝殿に入って、お祓いをして貰うべきでしょうが、これも並んで
いて大変です。
 何時も、破魔矢だけ求めて一年中傍に置いて守って頂く事で省略しています。

 おみくじも引きません。いっぱい結び付けられています。
 どんな思いで結んだのでしょうか? 大吉の人は喜んで、凶の人は身を引き締めて
これからの一年を慎重に生きて行く事でしょう。



 参拝をしたので、清々しい気持ちで源氏池へ出ました。マガモやオナガガモが
冬陽を浴びて泳いでいました。



 近くにオナガガモの♀が来ましたのでパチリ。



 小町通りでお昼を済ませてお昼過ぎに帰宅して、早速PCを開けて雑仕事を
片づけて23時になりました。

 1月4日  世の中は動き出しました。ホシガラスも病院へ行きました。

 2時間も待たされて午前中いっぱいかかりました。その上、MRIの予約も
させられました。
 骨密度の検査では、若い人比で98% 同年齢比135%でした。

 1月5日   体操教室が始まりました。
  
 日中は暖かくストーブ無しで過ごせました。

 1月6日  スポーツ吹き矢も始まりました。今年も健康で楽しくプレー
します。

 帰宅すると俳句の先生から郵便が来て、開封してみると競詠20句を投句
するように書いてあります。それも新作で2月10日迄とのことです。
 兼題は、『声』 です。 競詠の相手は誰方か判りませんが新年早々頭の
痛いことです。

 夜は、ご近所にお呼ばれで美味しいお料理を頂き幸せでした。

 1月7日   今年の初句会です。5句中4句が選ばれ、うち2句は先生の
特選に選ばれ、まずまずでした。終わってから近くで新年会となりました。

 1月8日  暖かい晴天が続きます。
 
 予約してあった病院でMRI検査です。10時なので、少し早めに行きました。
 約30分、ゴトゴトガタガタと背中の方で音がして余り快適ではありません。
 結果は特に異常無しとのことです。唯、年齢相応に骨ののクッションが摩耗
しているので、これが骨の中の神経に触れると感じるようです。
 年齢ばかりには勝てませんが、ホシガラスは良い方です。
 
 知人が長谷で鳥写真の個展を開いているので見学旁々お昼にしました。

 その後、芸術館で冨岡畦草さんの写真展も有るので大船に出て友人と待ち合わ
せて出掛けました。
  長女の誕生を機に毎日その成長を撮り続けた作品の展示と、併せて藤沢から
東京までの1950年代と現在を対比した所謂、定点撮影の作品の展示が有りま
したが何万点の中から選んだ膨大な作品展でした。

 特に50年の変化は興味深く観られました。出る時、丁度ご本人がおいでになり
友人は弟子なので友人のお陰で暫くお話出来る機会に恵まれました。
 夕方には雨になりました。

 1月9日  別の場所でのスポーツ吹き矢の日ですが、町内有志の新年会が
有るので早退しました。
 この吹き矢の会場は狭いのですが、冷暖房完備で楽ですが、早退して帰る時
は急な坂を上がって行かなければならないので息が切れます。
 モノレールに乗って二つ先の駅で降りても、まだ動悸がしているほどです。
 本当に楽有れば苦ありです。
 
 18時からは、柳家小三冶師匠のドキュメント映画が有りましたので鑑賞
しました。終演後、弟子の柳家三三師匠の挨拶がありました。三三師匠は17日
に、かまくら落語会に出演しますので、楽しみです。

 1月10日 晴れて暖かく快適な探鳥日和です。
 
 見慣れた富士山が箱根連山の向こうに白い顔を出しています。 


 
 参加者15名が一生懸命、鳥影を探しますが滅法少ないです。
 ちらりと、オオジュリン、モズ、そしてウグイスくらいです。



 ダムの水面にはマガモの群れ、遠くに鴨達が浮き寝鳥さながらに浮いていますが
ぱらぱらです。カワアイサの家族が上流に向かって進んで行きます。
 年末で懲りたので今日は軽い300mmを付けたカメラだけで、しかも手持ちです
から遠くは写せません。



 ダムの防御柵?には何時ものように、ゴイサギが占拠しています。
 良く場所取りで争っています。大体、若鳥と成鳥が向き合っています。



 やがて成鳥が、こんな分からず屋の子供にはバカらしくてかまっていられないと
ばかりに飛び去って行きました。



 ダムの管理棟が、ずらりと並び一つの造形美を現しています。



 年が明けると春近しです。ゴイサギも繁殖羽が出ています。



 鴎類も、めっきり少ないです。ユリカモメが一羽浮いていました。



 飯泉橋を渡ると参加者の一人が木の枝に止まっているオオタカを見つけました。
 人数が多いと目が多いので助かります。後ろ姿なので交通量の多い車道を要心
しながら進み、お腹が見える場所へ行きましたが結果はこんなものです。



 カワアイサの家族の中に一羽のウミアイサの♂がいましたが、遠くの上流へ
行ってしまいました。戻って追いかけても良いのですが、時間も無いので諦めました。
 何に驚いたのか鴨達が一斉に飛び上がりました。
 オオバンの群れが飛んで行きます。



 下流の方からはカワウの群れが飛んで来ます。



 今日は常連のミサゴが居ないなと思っていると、やっと現れました。
 それからは、ミサゴオンパレードです。暫し脚を止めてミサゴの餌獲りを眺めます。

 まずは、餌の魚(ミサゴの主食は魚で、翼を広げると170Cmもある大型の鷲です)
を空中停止のホバリングで探します。このホバリングは鷹のチョウゲンボウもやります。



 魚を見つけたのでしょう。狙いを定めています。



 下降の準備をしています。



 下降の体制に入ります。



 真っ逆さまに突っ込みます。



 正に急降下です。



 水面に近づきました。



 水しぶきを上げて飛び込みました。



 魚を捉まえています。



 両足を縦にして魚を掴み飛び立ちます。普通の鷲鷹類は両足で横掴みですが、
ミサゴは魚雷を抱いた戦闘機のように縦で掴みます。速く飛ぶには効率が良いので
しょう。





 多くのミサゴは、餌獲りした場所では直ぐに食べず遠く離れた決まった場所で
こっそりゆっくりと食べます。邪魔者に横取りされないようにしているのでしょう。
 三河湾の汐川干潟などでは、他に邪魔者がいないのか良く杭の上で食べているのを
見かけます。




 


 ホバリングから魚を獲って飛び立つまでは、僅かに14秒の事でした。
 今日は、こんな光景が何回も見られましたのは大きな収穫でした。
 ミサゴシヨーを充分に堪能した後、遠くに丹沢の大山を見ながらお弁当にしました。
 


 午後の最初はツグミです。この頃漸くあちこちで見られるようになりましたが
以前から比べると格段の少なさです。



 河川の土手径にアカハラが現れました。これも少ないです。

 

 直ぐに飛び立って灌木の枝に止まりましたが逆光でお腹の赤が出ません。
 目を近づけると微かに見える程度で、ご免なさい。



  河口付近で今日期待のハジロカイツブリが現れました。出たと思うと直ぐに潜り
その忙しい事。余程空腹なのかも知れません。
 普通のカイツブリの26Cmに比べて5Cm程大きい水鳥です。冬羽はこんなものですが
繁殖期になると目の後ろに飾り羽が出て綺麗な姿になります。





 カワウにも繁殖羽がぼつぼつ出てきました。部分的に白いのがそれです。



 河口ではヒドリガモが群れていました。



 総体に鳥の個体数は少ないながらも、種類としては63種が見聞き出来、これまでの
観察記録の中では最高でした。

 冬の探鳥は今日のように暖かい日ばかりとは行かず、寒い風が吹き続ける日もあります。
 その点、今日は幸せな一日でした。今日のトップスターは、ミサゴと、ハジロカイツブリ
と一部の人しか見ていないアリスイぐらいになりましょうか?

 1月11日 昨日の天候から見ると想像も付かない曇り空になりました。

 お寺さんが8日までお休みでしたので今日、初参りに出掛けました。
 途中でお花を用意して行くと月曜日で定休日となっており、門は開くものの線香の販売
も無く仕方ないので、お花と樒だけあげてお詣りして来ました。

 帰りに東京駅で降りて、お濠へ行って見ました。先月の18日にも見ましたミコアイサ
が、まだ居るのかと行って見ると居ました。先月は簡単なデジカメなので良く写せません
でしたので今日は少しましなカメラを持参しました。

 東京駅は周辺も含めて現在改装中です。やがてレトロ調の駅舎が見られる事でしょう。
 楽しみです。



 改装中の中央郵便局の時計の針が有りません。



 お濠にはコブハクチョウがいました。



 キンクロハジロに繁殖期の飾り羽が出ています。



 目当てのミコアイサはキンクロハジロの群れの中で眠っています。
 ミコアイサは体長42Cmの鴨の仲間です。



 何かに驚いたのか、キンクロハジロの群れが移動すると一緒にミコアイサも起きだし
ました。



 完全に目が覚めたようです。



 目の回りが黒いので何故か眠そうです。



 キンクロハジロと一緒に羽ばたきを始めました。暗くて遠いのでブレています。



 夜は平家物語の講座が有るので朝から出抜けました。東京から真っ直ぐ鎌倉へ向かい
ます。

 講座は巻十一の逆櫓の条に入りました。頼朝の軍監として従軍した梶原景時が分別顔
で逆櫓を進言したのに対し義経は若気の至りで聞き入れなかった事が、義経と景時との
不仲の因になり、ひいては頼朝の疑惑を招き義経の不運に繋がることになるのです。

 然し、平家物語は飽くまでも物語で史実では無いので文学的脚色が随所に有り、
琵琶法師が語る際に受けが良いように表現されて居ますから必ずしも事実で無い場面が
あります。

 その点、平家物語と吾妻鏡とでは相違点が有り、今ではそれを確認する術が無いの
で判りません。読者の判断に任せるだけです。また、そこに面白みが湧いてきます。

 かくして新年も11日が過ぎました。随分と長くなってしまいました。

ホシガラスの80年に一回の記念すべき年末年始

2010-01-02 11:04:51 | Weblog
 生まれて間もなくの事は知る由も有りませんが物心ついてから経験したことの無い年末年始を体験しました。
 それは12月25日の夜から始まりました。クリスマスの日です。キリストの苦しみが私に取り憑いたような感じでした。

 その日は疲れたので早めに寝ました。21時過ぎに目覚めると身体中が締め付けられるような痛みです。だんだんに身体がこれで縮んで行くのかと思いました。それでも何とか眠りましたが、直ぐに目覚めます。

 痛む腕を伸ばして枕元のカセットのスイッチを入れ、深夜放送を聴いたりしますが落ち着けません。こんな深夜に救急車に来て頂くのも気がひけます。
 近所の手前、迷惑もかけますので独りで懸命に我慢します。

 26日はゆっくりと11時近くまでうとうとし、目覚めると台風が去った後のように痛みは無くなっていました。何だったのでしょうか?

 起きて間もなく鹿児島の知人から、野菜やお餅やら漬け物がどっさりと届きました。それを片づけたりしましたが、本来なら年末の大掃除をする予定でしたが、とてもその気になれず僅かに自分の居住空間をぱらぱらっと掃除しただけに留めました。まだ背中に少し痛みが残っています。

 その日も早くに寝みましたが、うとうとっとすると枕元の電話の子機が鳴り出し
出ると北海道からでした。
 私の60年来の友人が25日の晩に亡くなったとの事を息子さん夫妻が告げて来ました、丁度私が苦しんで居た時間帯です。

 昨夜のあれは友人が苦しみながら『先に行くよ』と告げに来たような感じがしました。彼は生前、腰痛に苦しみ最後は認知症で3年間治療を受けていました。
 3年前に見舞いに行き、その時は判って呉れ1時間ほど時々ちぐはぐになりながらも病院で話をして別れました。

 今年の10月になって食事が出来なくなったとの事で心配になり急に飛んで行きました。それが最後の別れになってしまいました。別れに固く握手した感触がいまだに吾が手に残っています。

 何時かは別れが来るものですが、人間誰でも出来るだけその時を伸ばしたいものです。電話が終わってから彼との60年に及ぶ交流を静かに回顧しました。お互いに行ったり来たりして小さな旅をしました。
 今では、その想い出だけを残して彼は旅立って逝きました。残念です。

 27日は日曜日なので香典を郵送することも出来ず、部屋の模様替えをしました。大きな古物を移動するだけでも大変です。暫定に置いたあったテレビもこれで正位置に納まりました。
 雑用をして22時を過ぎました。

 お正月の飾りやお供えは28日のうちにと言われているので手紙を書いて郵便局へ出掛け、お香典を送ってから、門松やお供えやら買い物をしました。
 極々普通の年末の暮らしです。体調も不調ながらも、まずまずは普通に動いていました。
 床に入ってから考えると駄句がだくだくと出来るのでメモするのが大変でした。

 12月29日 いよいよ年末です。午後になってから腰が痛くなりました。
 腰を曲げると猛烈な痛みで暫くすると収まります。
 5年半前の04年の春に沖縄へ出掛ける4日前のような感じです。
 ぎっくり腰の症状です。その時はひたすら安静にして何とか旅に出られましたので今回も何とかなるだろうと思っていました。早寝にしました。

 12月30日 寝ている事が、こんなにも楽だとしみじみ思いました。
 そんな事に甘えて11時頃まで横になっていましたが、起きると腰に激痛が走り納まるまで時間がかかります。家の中でもそろりそろりです。
 身体の向きを変える時、立ったり座ったりの時が辛いのです。

 年末なので病院も休みだし、前回も安静で快くなったので今回も自信を持って安静を通そうと頑張りました。

 12月31日 夜、目覚めると左の腰が痛くて寝返りも起きあがりもできません。これまで経験したことの無い激痛です。
 何とか耐えてベッドの縁に座り激痛が去るのを待って立ち上がると又、血の下がる重みで神経を刺激するのか痛みがやって来ます。
 それを何とか耐えて家具や壁につかまり乍ら歩きます。
 ベッドに戻ると横になるまでが大変でした。

 昨日これでは、とても正月恒例の宮が瀬行きは無理と思い、主催者のT氏に連絡したので、T氏が心配して見舞いの電話を下さり食事の気遣いまで頂き恐縮する。

 食事はお陰様で年末の頂き物が有るので何とか凌いで来ましたので、おせちと迄は無理としてもひもじい思いはしないで過ごせそうです。
 29日から買い物無しで来ました。

 間もなく電話で今日診療受け付けている市内の病院を調べて連絡して下さったので頑張って起きあがりタクシーを呼んで家から2Kmほどの病院へ行き診察を受けました。レントゲンも撮られましたが骨は正常で、単なる筋肉疲労との事でした。 飲み薬2種を頂き再びタクシーで帰り、昨夜用意した雑煮を温めてお昼ころに遅い朝食をして頂いた薬を服み床に入りました。T氏にも御礼と報告旁々電話しました。本当に有り難い事で感謝の気持ちでいっぱいです。

 何故か一息ついた感じでした。間もなく枕元の電話が鳴り、出るとT氏が玄関前に来ているとのことです。
 思いがけない事にびっくりです。わざわざ遠くからバイクで調理された料理の数々を届けて下さったのです。もう感謝感激の極みです。
 作られた奥様にも心から感謝です。
 満ち足りた気持ちで床に入り、暫く寝すみました。夕方目覚めると痛みが去っています。薬が効いたようです。嬉しくなり起きだし頂いたお料理を温め夕食にしました。

 今回の事で友人の芳情が、しみじみ身に染み心暖まめて下さった事が快復を速めて貰えたと思い感謝する次第です。

 これで一難去ったようです。今まで余り見た事の無かった紅白をハイビジョンで
終わり近くまで観て時々カメラに写したりした後、ラジオで除夜の鐘を聴きながら2009年最後の夜を過ごしました。

 かくして、元旦も二日も安静を理由に久しぶりにゆっくりと過ごす事が出来、腰の痛みも大分楽になりました。つくづく健康体の有り難みが身に沁みました。
 健康は妻のようなものです。居ないと余計にそう思います。

 苦有れば楽有りです。こんな事が無ければ元旦は早くから起きて初詣に行き二日(今年は宮が瀬の予定でした)か三日は上野不忍池で初探鳥で動き回っているところです。

 健康に支障を来したものの人の温かい情けを知り、こんな事でも無ければ得られない貴重な体験が出来た事は私の生涯に於いて忘れられない記念すべき年末年始でした。

 ホシガラスも傘寿です。気持ちは年取りませんが身体は矢張り正直に老いて行っています。
 年齢相応に無理せずに今年以降を生きて行けとの警告に従って行こうと年頭の誓いを樹てて見ましたが、果たして何時まで守れるか自信がありません。

 時々はブレーキをかけて下さい。

 2009年はいろいろと有りました。

 1番は、9月の立山雄山登頂成功です。
 2番は、6月の天売島から道西部の探鳥旅行
 3番は、予てから行きたかった上高地初訪問
 4番は、10月の根室探鳥時の台風による無数の海鳥の乱舞
 5番は、所属している俳句結社で一段階昇級 落語で言えば二つ目です
 6番は、コシアカツバメのゆっくり観察
 7番は、マイフィールドにしている酒匂川探鳥50回達成
 8番は、ウミスズメの近接観察
 嫌な事は敢えて最後にします。
 9番は、北海道の友人の逝去
10番は、年末のぎっくり腰

    以上です。今年はどんな年になる事でしょう.佳い年になることを
    祈っています。