はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

ホシガラスの80年に一回の記念すべき年末年始

2010-01-02 11:04:51 | Weblog
 生まれて間もなくの事は知る由も有りませんが物心ついてから経験したことの無い年末年始を体験しました。
 それは12月25日の夜から始まりました。クリスマスの日です。キリストの苦しみが私に取り憑いたような感じでした。

 その日は疲れたので早めに寝ました。21時過ぎに目覚めると身体中が締め付けられるような痛みです。だんだんに身体がこれで縮んで行くのかと思いました。それでも何とか眠りましたが、直ぐに目覚めます。

 痛む腕を伸ばして枕元のカセットのスイッチを入れ、深夜放送を聴いたりしますが落ち着けません。こんな深夜に救急車に来て頂くのも気がひけます。
 近所の手前、迷惑もかけますので独りで懸命に我慢します。

 26日はゆっくりと11時近くまでうとうとし、目覚めると台風が去った後のように痛みは無くなっていました。何だったのでしょうか?

 起きて間もなく鹿児島の知人から、野菜やお餅やら漬け物がどっさりと届きました。それを片づけたりしましたが、本来なら年末の大掃除をする予定でしたが、とてもその気になれず僅かに自分の居住空間をぱらぱらっと掃除しただけに留めました。まだ背中に少し痛みが残っています。

 その日も早くに寝みましたが、うとうとっとすると枕元の電話の子機が鳴り出し
出ると北海道からでした。
 私の60年来の友人が25日の晩に亡くなったとの事を息子さん夫妻が告げて来ました、丁度私が苦しんで居た時間帯です。

 昨夜のあれは友人が苦しみながら『先に行くよ』と告げに来たような感じがしました。彼は生前、腰痛に苦しみ最後は認知症で3年間治療を受けていました。
 3年前に見舞いに行き、その時は判って呉れ1時間ほど時々ちぐはぐになりながらも病院で話をして別れました。

 今年の10月になって食事が出来なくなったとの事で心配になり急に飛んで行きました。それが最後の別れになってしまいました。別れに固く握手した感触がいまだに吾が手に残っています。

 何時かは別れが来るものですが、人間誰でも出来るだけその時を伸ばしたいものです。電話が終わってから彼との60年に及ぶ交流を静かに回顧しました。お互いに行ったり来たりして小さな旅をしました。
 今では、その想い出だけを残して彼は旅立って逝きました。残念です。

 27日は日曜日なので香典を郵送することも出来ず、部屋の模様替えをしました。大きな古物を移動するだけでも大変です。暫定に置いたあったテレビもこれで正位置に納まりました。
 雑用をして22時を過ぎました。

 お正月の飾りやお供えは28日のうちにと言われているので手紙を書いて郵便局へ出掛け、お香典を送ってから、門松やお供えやら買い物をしました。
 極々普通の年末の暮らしです。体調も不調ながらも、まずまずは普通に動いていました。
 床に入ってから考えると駄句がだくだくと出来るのでメモするのが大変でした。

 12月29日 いよいよ年末です。午後になってから腰が痛くなりました。
 腰を曲げると猛烈な痛みで暫くすると収まります。
 5年半前の04年の春に沖縄へ出掛ける4日前のような感じです。
 ぎっくり腰の症状です。その時はひたすら安静にして何とか旅に出られましたので今回も何とかなるだろうと思っていました。早寝にしました。

 12月30日 寝ている事が、こんなにも楽だとしみじみ思いました。
 そんな事に甘えて11時頃まで横になっていましたが、起きると腰に激痛が走り納まるまで時間がかかります。家の中でもそろりそろりです。
 身体の向きを変える時、立ったり座ったりの時が辛いのです。

 年末なので病院も休みだし、前回も安静で快くなったので今回も自信を持って安静を通そうと頑張りました。

 12月31日 夜、目覚めると左の腰が痛くて寝返りも起きあがりもできません。これまで経験したことの無い激痛です。
 何とか耐えてベッドの縁に座り激痛が去るのを待って立ち上がると又、血の下がる重みで神経を刺激するのか痛みがやって来ます。
 それを何とか耐えて家具や壁につかまり乍ら歩きます。
 ベッドに戻ると横になるまでが大変でした。

 昨日これでは、とても正月恒例の宮が瀬行きは無理と思い、主催者のT氏に連絡したので、T氏が心配して見舞いの電話を下さり食事の気遣いまで頂き恐縮する。

 食事はお陰様で年末の頂き物が有るので何とか凌いで来ましたので、おせちと迄は無理としてもひもじい思いはしないで過ごせそうです。
 29日から買い物無しで来ました。

 間もなく電話で今日診療受け付けている市内の病院を調べて連絡して下さったので頑張って起きあがりタクシーを呼んで家から2Kmほどの病院へ行き診察を受けました。レントゲンも撮られましたが骨は正常で、単なる筋肉疲労との事でした。 飲み薬2種を頂き再びタクシーで帰り、昨夜用意した雑煮を温めてお昼ころに遅い朝食をして頂いた薬を服み床に入りました。T氏にも御礼と報告旁々電話しました。本当に有り難い事で感謝の気持ちでいっぱいです。

 何故か一息ついた感じでした。間もなく枕元の電話が鳴り、出るとT氏が玄関前に来ているとのことです。
 思いがけない事にびっくりです。わざわざ遠くからバイクで調理された料理の数々を届けて下さったのです。もう感謝感激の極みです。
 作られた奥様にも心から感謝です。
 満ち足りた気持ちで床に入り、暫く寝すみました。夕方目覚めると痛みが去っています。薬が効いたようです。嬉しくなり起きだし頂いたお料理を温め夕食にしました。

 今回の事で友人の芳情が、しみじみ身に染み心暖まめて下さった事が快復を速めて貰えたと思い感謝する次第です。

 これで一難去ったようです。今まで余り見た事の無かった紅白をハイビジョンで
終わり近くまで観て時々カメラに写したりした後、ラジオで除夜の鐘を聴きながら2009年最後の夜を過ごしました。

 かくして、元旦も二日も安静を理由に久しぶりにゆっくりと過ごす事が出来、腰の痛みも大分楽になりました。つくづく健康体の有り難みが身に沁みました。
 健康は妻のようなものです。居ないと余計にそう思います。

 苦有れば楽有りです。こんな事が無ければ元旦は早くから起きて初詣に行き二日(今年は宮が瀬の予定でした)か三日は上野不忍池で初探鳥で動き回っているところです。

 健康に支障を来したものの人の温かい情けを知り、こんな事でも無ければ得られない貴重な体験が出来た事は私の生涯に於いて忘れられない記念すべき年末年始でした。

 ホシガラスも傘寿です。気持ちは年取りませんが身体は矢張り正直に老いて行っています。
 年齢相応に無理せずに今年以降を生きて行けとの警告に従って行こうと年頭の誓いを樹てて見ましたが、果たして何時まで守れるか自信がありません。

 時々はブレーキをかけて下さい。

 2009年はいろいろと有りました。

 1番は、9月の立山雄山登頂成功です。
 2番は、6月の天売島から道西部の探鳥旅行
 3番は、予てから行きたかった上高地初訪問
 4番は、10月の根室探鳥時の台風による無数の海鳥の乱舞
 5番は、所属している俳句結社で一段階昇級 落語で言えば二つ目です
 6番は、コシアカツバメのゆっくり観察
 7番は、マイフィールドにしている酒匂川探鳥50回達成
 8番は、ウミスズメの近接観察
 嫌な事は敢えて最後にします。
 9番は、北海道の友人の逝去
10番は、年末のぎっくり腰

    以上です。今年はどんな年になる事でしょう.佳い年になることを
    祈っています。