はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

平々凡々のホシガラス

2008-12-08 16:34:28 | Weblog

 11月28日  曇りで朝のうち少し小雨降る。

 曇ってはいるが部屋はそれほど寒くない。
 一念発起してパソコンのリカヴァリーを始めました。
 以前からFMVのPCの具合が悪いので何時か復元作業を
しなければと思いつつ、なかなか決断が付かなかったのですが
ついに開始しました。
 かねてからデーターはバックアップして用意していたので、
机の上には復元に必要な資料やソフトを積み重ね、いよいよ
9時半に開始しました。



 順調に進んだと思うと、時々立ち往生し、インターネットは
プロバイダーに電話して繋ぎ、それからはソフトのインストール
です。
 これもIDナンバーとか、パスワードとかあって、なかなか大変
です。
 それでも昼食抜きで17時半に、やっと終了してやれやれです。

 試しに立ち上げて見ると早いこと、格段の違いでにんまりです。

 11月29日  

 土曜日のスポーツ吹き矢です。伊東で特訓した効果が出るか
と思って出掛けましたが、最初真っ直ぐのレーンで吹いた時は
効果大でしたが、会場が狭いので部屋に斜めのレーンに当てら
れてからは、がた落ちでした。目標の150点が越せず120
点台に終わり、がっかりでした。

 午後は地元選出の参議院代議士の話を聴きに行きました。
 国会でも質問に立った若い人ですが、党内事情もあって
次回立つかどうか不明のようです。
 後援会の長老のような人が長々と個人的な意見を述べて
時間を無駄に費やしていました。
 政治の世界の裏を垣間見た感じでした。

 11月30日  

 小春日和の一日でした。先日、昔の麻雀仲間からの電話
で久しぶりに麻雀に付き合うことになりました。
 一年ぶりのことです。
 ゆっくりと新橋に出て駅近くの雀荘で、6時間ばかり卓
を囲み旧交を温めたようなものです。
 楽しい一日でした。

 12月 1日  のち

 今日からいよいよ師走入りです。今年も一ヶ月となりました。
 別にどうと言う事も無いのですが何か背中を押されるような
慌ただしさと焦燥感が有ります。

 午前中は市民講座で、『孝史遊記』をめぐって と言うテーマ
の話です。
 明治末期に中国へ、国書の碑 を探しに出掛けた難しい名前の
桑原隲蔵(じつぞう)氏が、艱難辛苦の果てに北支(今は禁句?)
の開封の近くで発見して、そこに描かれている契丹文字を拓本した
事実で、今は廃版になっていますが岩波文庫に、孝史遊記として
出版されているとの事でした。

 中国の地名はあまり馴染みが無いので話しそのものが理解出来
なかったのですが、講演した加藤氏が、日本は対米一辺倒であるが
アジアの一員として中国・韓国ともっと友好関係を結ぶべきと最後
に言った事に共鳴するものを感じました。

 中国も文化革命の時に北京でなく南京に首都を構えたら今とは
国情も違ったのでは無いかと感じながら帰りました。

 夜は平家物語の講座です。屋島の合戦の前、盛俊・忠度の最期
の場面では、作者の意図もあるのか、生々しい描写になっていて
読んでいても気持ちの良い所では有りませんでした。

 終わって外へ出るとぽつぽつ雨が落ちていました。
 帰宅後、間もなく本降りになりました。

 12月 2日   曇りながら暖かい日でした。

 体操教室です。時々、体操の基本を学ぶ事で健康にも役立って
います。身体は動かさないと、どんどん退化または偏って行きます。
 月に二回の教室ですが、普段の日に役立っています。

 出掛ける時は寒く感じましたが、体操をしていると汗ばむ程で
窓を開放して身体を動かしました。
 この教室も20年近くなります。

 年賀はがきを用意しました。今年はどんな図柄にするか
まだ迷っています。

 来月出掛ける鹿児島出水市の資料をネットで調べます。
 今年も一万羽近くの鶴が飛来しているようです。

 今日は長女の誕生日です。長女も50歳になりました。
 感無量なものがあります。
 いつでも長女出産の時の想い出が鮮明に想起されます。

 12月 3日  晴れ

 暖かい日でした。広い体育館も暖かいと楽です。
 今日こそは思い、吹き矢に励みますが、基本を忘れがち
で、そんな時は何時も低得点へ矢が飛んで行きます。
 今日も、もう一歩の所でした。反省、反省で努力しましょう。

 午後は句会です。5句のうち2句だけが選ばれ、私としては
まずまずです。

 試みの句で

 咳をしても ひとりの吾と なりし今   4点句
 山茶花や 六十年前の ラブレター    2点句

 だけでした。

 12月 4日  今日も暖かい晴れの日です。

 午前中はグラゥンドゴルフでした。年初来ホールインワンが
今日でやっと100本になりました。
 グラゥンドゴルフも休みがちで年間70回以上も開催されて
いるのに、私は34回目で半分も出ていません。

 12ホール総てパー3ですが、アベレージでは全ホール
3を切っています。
 何時も前半の6~7ラウンドで全ホール、バーディーを目指して
いますが時々、50mのロングホールが残ります。
 今日もロングホールが残ってしまいました。

 午後は久しぶりに大庭へ鳥見に出掛けましたが、収穫無し
でした。それでも今日は良く動き歩きました。

 カラス科のオナガです。姿は綺麗なのに声が悪くて可哀想
です。暗い場所なので良く撮れませんでした。



 川に出るとイソシギが一羽でした。





 17時過ぎ、夕陽を見ながら帰途に就きました。
 昨日に続き、今日も配食が有るので助かります。
 今日は、ご飯付きです。週に二回は夕食を他人任せに
出来るので気楽ですが、その為には定時に帰宅しなければ
ならない制約もあります。仕方ないことです。
 お世話になることに感謝です。

 12月 5日  

 曇って薄ら寒い日で午後からは雨になり、急に雷も鳴り出し
変化の多い一日でした。寒冷前線の通過による突風と雷でした。

 年賀状の裏面の印刷で殆ど一日が終わりました。

 12月 6日  晴れ

 近くのお寺の銀杏が綺麗に黄葉していました。



 横浜の近代文学館で開催された野鳥の会のインドア行事に
出席しました。

 港の見える丘公園の近くなので港を眺めたり、元町のクリスマス
飾りを見たりしました。





 今年から会員フォーラムと言う事で、会員と役員との交流と
講演になりました。
 どこのサークルでも会員減少が目立ち苦労しています。
 それだけ楽しみが多様化していることと、サークルが多い事が
原因です。
 これからは、このような現象に対応する対策が必要になって
来ます。ただ集まって楽しむだけなら簡単ですが、財政的な面
も絡んでの運営となると、いろいろ問題があります。

 今日も財政面での話しが出ました。

 講演は、野鳥を増やすには と言うテーマでした。

 これには自然界全体のバランスが必要です。
 世の中、何事もバランスが必要です。特に自然界のバランス
を壊しているのは人間です。
 庭や郊外の樹木に巣箱をかけたり、冬に餌台を置く事も必要
でしょうが、それよりもっとグローバルに考えると野鳥の棲む
森林の異常な伐採や、温暖化を防がないと野鳥は元より地球上
の生物が、どんどん減って行きます。

 目先の対策だけでは、もう追いつかない時代になっている
ようです。それだけに難しい問題ですが、それには世界的な
活動が必要になって来ます。

 講演を聴いて感じた私見です。

 12月 7日   晴れですが今年一番の寒い
 朝を迎えました。

 私が所属している鳥の会の定例会です。寒いので鳥たちも
あまり出て来ません。
 飼い鳥のソウシチョウ(中国ウグイス)が、どこかの篭から
抜け出したのでしょうか、メジロの群に混じっていました。

 川も閑散としていてカワセミも姿を見せません。

 それでも終わって締めると25種にもなりました。参加者は
22名でした。
 公園の展望台にあがると相模平野の向こうに白く化粧した
富士山が光るように聳えていました。
 つくづく日本の山と思います。

 第二次世界大戦開戦前夜で、最後の戦犯 と言うドラマを
NHKが放映していました。

 上官の命令で敵の捕虜を斬殺した兵隊が、戦犯として囚われ
裁判にかけられるストーリーでしたが、開戦を進めた閣僚なら
まだしも、一兵卒に過ぎない人間をアメリカの命令とは言え
戦争中の特高のように警察官が執拗に探し回り、3年も経って
からやっと見つけ出し占領軍に引き渡し、裁判にかけられ最後
は5年の重労働になって、終わりました。

 一人の捕虜を上官の命令で殺した罪と、たった一発の爆弾で
何十万人を殺傷した罪との比重は、勝者と敗者だけで片づけら
れる問題では無いと思います。

 ドラマは暗に、その事を示唆しているように思えました。
 また、占領直後から日本の官僚は誇りを忘れ対米追従に専念
して来たことも示していました。
 いろいろと考えさせられるドラマでした。

 12月 8日  晴れたり曇ったりの日です。

 67年前の朝、日本は不幸な夜明けを迎えました。

 寒い朝でした。かじかむ手をこすりながら小学校の校庭に
並ばされ校長先生から、日本が米英仏蘭四カ国と戦争状態に
入ったので、日本が勝つまで皆で頑張ろうと訓辞されました。

 11歳の子供では、どんな頑張り方をするのか判らない
ながらも、兎に角日本は勝つのだと漠然と考えていました。

 やがて中学に進み、軍から派遣されている配属将校が私の
クラスの担任になり、その当時既にガダルカナルの苦戦の
話しを聞かされ、本当に日本は勝てるのだろうか、もしも
負けたら日本人は皆殺されるのでは無いかと恐怖心を抱き
ました。それから約4年間、楽しい事は何一つ無く、住む家
は強制疎開で壊され、移った家は空襲で家財ともども焼かれ
命からがら埼玉の親戚を頼って、その家の離れを借りての
仮住まい。

 そして敗戦。とにかく皆殺しにはなりませんでしたが、
それからの日本は不幸な道を進まなければならず今日に
至っています。

 もしも勝っていたら、もっと悪い方向に進んでいたかも
知れません。

 人間万事塞翁が馬 と思うしか有りません。

 12月 8日を迎えると毎年、こんな事を考えてしまい
ます。

 午前中は市民講座で、鎌倉の魅力 と言うテーマで鎌倉の
シルバーボランティア会長さんの話しでした。

 鎌倉の事は、昭和46年にここへ移り住むようになってから
隈無く歩いたので、知っているつもりでいましたがまだまだ
知らない事が沢山有ります。

 身近な町の話しなので有益でした。

 この講座も今日が最後になり又、年明けから始まりますが
抽選なので当たるかどうかです。

 PCの調子が良いので、ついつい又、長々と書いてしまいま
した。

 最後まで辛抱して読んでいただいた方には心から感謝申し
上げます。