はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

秋を楽しみ過ぎたホシガラス その2

2010-11-15 21:10:26 | Weblog
 11月13日  曇り空ですが日中は晴れ間もあるとの予報でした。

 今月から来年6月まで月一回で実施する猛禽類の観察が始まりました。
 参加すると総勢14人が集まりました。
 参加者はいろいろなグループや個人の人々です。何れも猛禽類の観察のベテランで
ホシガラスは参加するだけです。

 何時も楽な地点で観察しますので、猛禽類より普通の鳥や花や虫に興味を注いでいます。

 今日も朝から猛禽類は余り出ません。

 暇つぶしに辺りを見回すと今秋初めてのツグミがいました。



 ヒノキの梢でモズ♀がいます。



 近くに柿の畑が有り、それぞれ枝もたわわに成熟した柿が生っています。近くの人に
聴くと放置してあるそうです。勿体ないことです。そうかと言って持ち主がいないのに
黙って取る訳にはいきません。唯、眺めているだけです。

 

 探索するとキタテハが、枯れ葉のなかで休んでいます。



 傍にはアキアカネもじーっと羽を休めています。寒いので動かないようです。



 キタテハも全然動きません。温かくなるのを待っているようです。



 

 経が1Cmくらいの蔓性の赤い花が、ひっそりと咲いていました。名前が判りません。
 何方か教えて下されば嬉しいです。



 電線でモズ♀が高鳴きしています。



 春の女神のようなモンシロチョウは元気に飛び回っていました。



 モズは今度は朴の木の梢に出ました。



 午前中は遂に猛禽類の出現は有りませんでした。もっとも、どの鳥でもお昼前後から
15時近くまでは余り活動しません。漸く、14時37分から突然現れました。
 オオタカです。高度は100mから150mぐらいです。





 14時38分、二羽になりテリトリー争いなのかペアリングの♂同士の争いなのか
もつれ合っています。



























 沢山の写真になりましたが、この間僅か2分程でした。

 これが、この日の収穫になりました。来月にはもう少し活動も活発になることでしょう。

 9時から開始して15時に終了しました。これで秋の一日が終わりました。

秋を楽しみ過ぎたホシガラス その1

2010-11-15 13:48:47 | Weblog
 雲ひとつ無い好天です。息をいっぱい吸い込みます。身体中に清涼な空気が充満する
ような気持がします。

 11月11日 先日のような強風もなく静かですが、グラゥンドは表面の砂が飛ばされて
一部は舗装道路のように固くなっています。
 
 グラゥンドゴルフもこうなるとボールが走り過ぎてコントロールが難しくなります。前半
7ラウンド、後半3ラゥンド、計10Rブレーすると5Km近く歩いたことになります。
 スコアはまずまずで良い運動になります。
 気持ちの佳い午前を楽しく過ごしました。

 午後は市民講座で、【ラストエンペラー溥儀と五人の妻の生涯】を聴きました。
 今日と18日の二回に亘って話されます。

 溥儀は清王朝に生まれ波乱の生涯を過ごしました。正に世が世なればですが、時代の流れ
に翻弄され続け、それも限られた環境の中で個性が無視された生涯でした。

 1906年に生まれ二歳で清王朝10代の皇帝として即位。4年後、中華民国成立に伴い
退位しましたが、5年後中華民国内紛で再び即位すれど僅か12日で退位することになり
ました。
 1922年、16歳で正夫人 婉容と淑妃 文綉(ぶんしゅう)と結婚します。この時
婉容17歳でした。この正夫人はモンゴル系貴族の娘で西欧的な教養を身に付けただけに
皇室と言う堅苦しい環境に適応出来ず間もなく阿片に浸り続け1946年、非業な死を遂
げました。

 この辺は映画 ラストエンペラー で記憶に新しいものがあります。

 淑妃 文綉は清朝高級官僚の娘で14歳で溥儀の後宮に入りましたが1931年離婚訴訟
を起こして離婚します。慰謝料50万元を要求しましたが、5万元で同意したそうです。
 当時、清国では年に2000元あれば暮らせたので人生50年の時代の頃ですから25年
分の生活費になるので充分だったのでしょう。
 離婚後は私立女学校の教師をしたり、新聞社の校正の仕事をしたりして一時は蒋介石軍の
高級将校と再婚しましたが毛沢東時代になり台湾に渡ることも出来ず最後は1953年45
歳で、この女性も波乱の生涯を閉じました。

 溥儀自身も清王朝の中で1934年、三度目の即位をして12代の皇帝となりましたが
当時は日本による満州国建国が進められ今の中国北東部は騒乱の時代でした。
 その後は日本の傀儡政権として利用され日本の敗戦と共に運命に翻弄され続け文化大革命
では一市民として乱暴に取り扱われ1967年に腎臓癌や尿毒症・心臓病で波乱に満ちた
62歳の生涯を閉じました。

 今日は二人の夫人の話で終わりましたが次は18日に残りの3夫人の話となります。

 11月12日   晴れの日です。

 二年に一度の胃カメラによる定期検診なので朝食抜きで病院へ8時半に入ります。
 9時頃から診察室に入り、事前のいろいろな処置を受け、いよいよカメラが入る頃は
麻酔が効いて全然判らず目覚めると終わっていました。
 医師の診断では異常無しとの事で一応はほっとしました。

 結果が良かったので別の診療所でインフルエンザの予防注射をして貰いました。
 これで、この冬も或る程度安心です。朝、食べなかった分を昼食で補って横浜市の
公園に出ている白化したジョウビタキを見に出掛けます。

 公園内の田は刈り入れが終わって閑散としています。



 暫く待っていると飛んで来ましたが、ムラサキシキブの枝に止まりましたがポジション
が悪いです。贅沢は言えず一応撮るだけ撮りました。







 次は良い位置に出て呉れましたが杭の上です。



 

 鳥のお仲間が紅葉した櫨の枝に止まっている姿を撮っているので待ちましたが遂に
止まって呉れません。地面に降りた後ろ姿です。



 今日はカメラマンも少なく好都合です。



 充分に観察が出来たので帰ることにしました。

 芒原に午後の陽が注いでいます。



 市民農園になっている田にはコンクールに使ったのか案山子が立っています。



 紅葉も秋の陽に輝いていました。



 池ではカワセミが小魚穫りに余念がありません。





 先日、見に行ったトラフズクが四羽に増えていると聞きましたが今日は風邪の予防注射
をして余り過激な運動をしない方が良いと言われているので5Kgもの道具を背負って
余り右往左往するのも考え物と思い自粛して帰宅することにしました。