10月18日 晴れて気持ちの良い秋本番です。
大分涼しくなりました。近くに僅かに残っている稲田では手作業で刈り入れが
始まっています。
市民講座に出掛けました。腹話術師の、笑うことで身体が活性化して病気に対する
免疫力が高まると人形と共に話されました。今、腹話術師は首都圏で7名しかいない
絶滅危惧種だそうです。
人に優しくする事が世の中を明るくすると言い、優しいと言う字はにんべんに憂う
と書くが、憂うとは人のことを心配することですと中々良い話でした。
何時も思いますが、腹話術師の口が全然動かずにあれだけの声が出る事の不思議です。
あれでオペラ歌手のような高い声が出る(いっこくどうさんの千の風に乗って等)とは
益々不思議です。人形の中にテープでもセットされているような気がします。
夜は平家物語の講座です。元暦二年(1185年)京都を襲った大地震の条です。
安徳天皇は海の底へ沈み、大臣公郷が斬首された為、その怨霊の業と当時の民衆は恐れ
おののいたとの事です。
10月19日 何とかと秋の空と言うように今日は、どんよりとした曇り空です。
午前中は体操教室です。先生の到着が遅かったので12時近くまで運動しました。
午後に友人から電話が来て、横浜戸塚区にある某大学の公開セミナーに行きませんか
との誘いに丁度予定していた事が崩れたので、これ幸いに乗って出掛けました。
西武の御曹司、堤清二氏(作家で詩人の辻井 喬さん)と、当事者大学の付属研究所
長さんとの対談でした。
堤氏は83歳とのことですが若々しく、とても負けてはいられないと思いました。
同氏は青春時代、戦後の混乱期を過ごし東大で学生運動に励み一時、共産党に入りま
したが徳田球一を批判して除名されたとのことです。
政界の裏話や会社経営に関する事や文学の事など興味深く話されました。
10月20日 昨日に続き曇り時々雨の日でした。
所属している結社の合同句会です。最初から期待はしないものの一応は参加です。
昼食も出ます。まずまずのお料理でした。
110人ほどの参加です。
投句は、148人から296句有りましたが、その中から3句を選びます。
時間の制限がありますが持ち前の性分から早めに選びました。
13時半頃から披講になりました。私の選んだ句も結構入っていてほっとしました。
自分の句は1点句と2点句だけで無点で無くて良かったです。
16時半頃、終了しました。雨も小止みになっていました。
鎌倉駅から銀座へ出ます。山野ホールでの柳家喜多八師匠の独演会です。
宿屋の仇討ち でした。喜多八師匠らしい演出で面白く聴けました。
10月21日 朝からの雨降りでしたが、夕方には止みました。
雨の為、グラゥンドゴルフが中止になり夕方まで雑用を片づけます。
夕方、鎌倉演劇鑑賞会の観劇に出掛けます。
今日は、文学座の 殿様と私 です。
明治19年、東京麻布鳥居坂の白河子爵邸。子爵は西洋化する日本に馴染めず
酒浸りの日々を送っていました。頭の髷も下ろさず武士の儘で過ごしています。
ある日、外務郷・井上馨の書生に何時も一緒に附いている家令が髷の事で、から
かわれたばかりか子爵の事を因循姑息で華族の資格なしと罵倒されました。
それを聴いた子爵は激昂し、鎧兜に身を固め討ち入りを決意しますが、息子に
和魂洋才の見本を示すように提言され、お家の為にと米国人女性を指南役にダンス
修行を始めますが、中々上手く行かず鹿鳴館にも出られません。
然し、いろいろな紆余曲折を経て最後には、指南役の米国人女性と巧みにダンス
を踊るようになり幕となりました。
10月22日 天気は良く有りませんが雨は降りそうもありません。
今月の酒匂川定例探鳥が雨降りで中止にしましたので別のグループに参加させて
頂き何時もより遅めに出掛けました。
何時ものコースを歩きます。ミズキの実が色づいていました。秋を感じます。
堤防に出る前で、女郎蜘蛛のマンションと言いますか集団営巣が有りました。
堤防に揚がると依然として鳥影は疎らですが今日はアオサギが多いです。
カモメ類も集まって来ました。
写す鳥も少ないので珍しくも無い鳶を撮ってあげました。
次は蝶です。モンシロチョウと思います。間違っていたらご免なさい。
これは蝶に詳しい人に教わったので間違いなくキタテハです。
キタテハより美しいアカタテハです。葉の陰で全身が見えません。
曇っているので明神岳の頂上は雲の中です。
常連のホシゴイと成鳥のゴイサギは、もう何回も登場しています。
飯泉ダムのダム湖は浅いのでゴミが島になっています。ゴイサギの成鳥が頑張って
いました。
ミサゴが飛んで来ましたが、カメラのセットが遅く撮り損ねました。その代わり
チョウゲンボウを遅まきながら撮りました。後ろ姿です。
丁度、頃合いの時間に休憩場所にしているお寺に着きお昼休みとなりました。
飯泉橋近くの釣り堀の傍にどこから飛来したのか珍しくシナガチョウが蹲っていました。
鷹の渡りの時に賑わう矢倉岳も霞んでいました。
復路で漸くシギチドリ類が姿を見せて呉れました。
まずは少ない乍らもハマシギです。
トウネンも居ました。
柳の梢近くにモズが高鳴きしていましたが逆光で良く見えません。
河口付近に来ますと今日は水が多くて河口も広くなっています。
イソシギが出て来ました。
近くで眠っているシギが居ます。イソシギの若鳥と思っていましたが、どうも違う
ようです。図鑑を見たりスコープで確認したりしている内に起きだして結局キアシシギ
の若鳥となりました。
更に運良くイソシギと並んで呉れました。一同納得です。
海も暗く波が高く打ち寄せていました。
最後に鳥合わせをすると50種になっていました。この時期としてはまずまずです。
来月は、もう少し増えるでしょう。楽しみにして帰途に就きました。
10月23日 秋晴れです。
吹き矢の日です。成績はまーまーでした。先日NHKで放映されたお陰で新規参加
の方が見えます。土曜日の会場は狭いので嬉しい悲鳴です。
午後は芸術館でのフラダンス発表会を鑑賞に行きました。北鎌倉の教室の10周年
記念公演です。
タヒチアンダンスでオープニングの後、鎌倉市長が挨拶され可愛い4~5歳くらいの
女の子が花束贈呈した時は拍手喝采でした。
今日の教室は皆さん揃っていて見事な演技で約3時間楽しめました。
公演は馴染みの曲も有りましたが、未就学の女の子が真剣に踊る姿が可愛く又、
中には80歳を超す方も居るとの事でしたが、全然判らなく皆さん若々しく踊って
流石と思いました。
14時半から17時半まで楽しみました。藤沢へ出て、藤沢郵趣会の藤沢市市政
70周年記念切手展を見学します。
医療関係のコレクションや70の数字だけを集めた展示物、藤沢の歴史を回顧する
切手のコレクションを見学しました。
一日、殆ど家の外で過ごしました。
10月24日 曇り空です。
久々に一日家に居てのんびりしました。最近、心の中も曇り空で今にも雨になり
そうです。早く晴れて貰いたいものです。
人生長く生きていれば、誰でも晴れの日も曇り空も雨の日もあります。
それを乗り越えて行くのが人生です。頑張ります。
大分涼しくなりました。近くに僅かに残っている稲田では手作業で刈り入れが
始まっています。
市民講座に出掛けました。腹話術師の、笑うことで身体が活性化して病気に対する
免疫力が高まると人形と共に話されました。今、腹話術師は首都圏で7名しかいない
絶滅危惧種だそうです。
人に優しくする事が世の中を明るくすると言い、優しいと言う字はにんべんに憂う
と書くが、憂うとは人のことを心配することですと中々良い話でした。
何時も思いますが、腹話術師の口が全然動かずにあれだけの声が出る事の不思議です。
あれでオペラ歌手のような高い声が出る(いっこくどうさんの千の風に乗って等)とは
益々不思議です。人形の中にテープでもセットされているような気がします。
夜は平家物語の講座です。元暦二年(1185年)京都を襲った大地震の条です。
安徳天皇は海の底へ沈み、大臣公郷が斬首された為、その怨霊の業と当時の民衆は恐れ
おののいたとの事です。
10月19日 何とかと秋の空と言うように今日は、どんよりとした曇り空です。
午前中は体操教室です。先生の到着が遅かったので12時近くまで運動しました。
午後に友人から電話が来て、横浜戸塚区にある某大学の公開セミナーに行きませんか
との誘いに丁度予定していた事が崩れたので、これ幸いに乗って出掛けました。
西武の御曹司、堤清二氏(作家で詩人の辻井 喬さん)と、当事者大学の付属研究所
長さんとの対談でした。
堤氏は83歳とのことですが若々しく、とても負けてはいられないと思いました。
同氏は青春時代、戦後の混乱期を過ごし東大で学生運動に励み一時、共産党に入りま
したが徳田球一を批判して除名されたとのことです。
政界の裏話や会社経営に関する事や文学の事など興味深く話されました。
10月20日 昨日に続き曇り時々雨の日でした。
所属している結社の合同句会です。最初から期待はしないものの一応は参加です。
昼食も出ます。まずまずのお料理でした。
110人ほどの参加です。
投句は、148人から296句有りましたが、その中から3句を選びます。
時間の制限がありますが持ち前の性分から早めに選びました。
13時半頃から披講になりました。私の選んだ句も結構入っていてほっとしました。
自分の句は1点句と2点句だけで無点で無くて良かったです。
16時半頃、終了しました。雨も小止みになっていました。
鎌倉駅から銀座へ出ます。山野ホールでの柳家喜多八師匠の独演会です。
宿屋の仇討ち でした。喜多八師匠らしい演出で面白く聴けました。
10月21日 朝からの雨降りでしたが、夕方には止みました。
雨の為、グラゥンドゴルフが中止になり夕方まで雑用を片づけます。
夕方、鎌倉演劇鑑賞会の観劇に出掛けます。
今日は、文学座の 殿様と私 です。
明治19年、東京麻布鳥居坂の白河子爵邸。子爵は西洋化する日本に馴染めず
酒浸りの日々を送っていました。頭の髷も下ろさず武士の儘で過ごしています。
ある日、外務郷・井上馨の書生に何時も一緒に附いている家令が髷の事で、から
かわれたばかりか子爵の事を因循姑息で華族の資格なしと罵倒されました。
それを聴いた子爵は激昂し、鎧兜に身を固め討ち入りを決意しますが、息子に
和魂洋才の見本を示すように提言され、お家の為にと米国人女性を指南役にダンス
修行を始めますが、中々上手く行かず鹿鳴館にも出られません。
然し、いろいろな紆余曲折を経て最後には、指南役の米国人女性と巧みにダンス
を踊るようになり幕となりました。
10月22日 天気は良く有りませんが雨は降りそうもありません。
今月の酒匂川定例探鳥が雨降りで中止にしましたので別のグループに参加させて
頂き何時もより遅めに出掛けました。
何時ものコースを歩きます。ミズキの実が色づいていました。秋を感じます。
堤防に出る前で、女郎蜘蛛のマンションと言いますか集団営巣が有りました。
堤防に揚がると依然として鳥影は疎らですが今日はアオサギが多いです。
カモメ類も集まって来ました。
写す鳥も少ないので珍しくも無い鳶を撮ってあげました。
次は蝶です。モンシロチョウと思います。間違っていたらご免なさい。
これは蝶に詳しい人に教わったので間違いなくキタテハです。
キタテハより美しいアカタテハです。葉の陰で全身が見えません。
曇っているので明神岳の頂上は雲の中です。
常連のホシゴイと成鳥のゴイサギは、もう何回も登場しています。
飯泉ダムのダム湖は浅いのでゴミが島になっています。ゴイサギの成鳥が頑張って
いました。
ミサゴが飛んで来ましたが、カメラのセットが遅く撮り損ねました。その代わり
チョウゲンボウを遅まきながら撮りました。後ろ姿です。
丁度、頃合いの時間に休憩場所にしているお寺に着きお昼休みとなりました。
飯泉橋近くの釣り堀の傍にどこから飛来したのか珍しくシナガチョウが蹲っていました。
鷹の渡りの時に賑わう矢倉岳も霞んでいました。
復路で漸くシギチドリ類が姿を見せて呉れました。
まずは少ない乍らもハマシギです。
トウネンも居ました。
柳の梢近くにモズが高鳴きしていましたが逆光で良く見えません。
河口付近に来ますと今日は水が多くて河口も広くなっています。
イソシギが出て来ました。
近くで眠っているシギが居ます。イソシギの若鳥と思っていましたが、どうも違う
ようです。図鑑を見たりスコープで確認したりしている内に起きだして結局キアシシギ
の若鳥となりました。
更に運良くイソシギと並んで呉れました。一同納得です。
海も暗く波が高く打ち寄せていました。
最後に鳥合わせをすると50種になっていました。この時期としてはまずまずです。
来月は、もう少し増えるでしょう。楽しみにして帰途に就きました。
10月23日 秋晴れです。
吹き矢の日です。成績はまーまーでした。先日NHKで放映されたお陰で新規参加
の方が見えます。土曜日の会場は狭いので嬉しい悲鳴です。
午後は芸術館でのフラダンス発表会を鑑賞に行きました。北鎌倉の教室の10周年
記念公演です。
タヒチアンダンスでオープニングの後、鎌倉市長が挨拶され可愛い4~5歳くらいの
女の子が花束贈呈した時は拍手喝采でした。
今日の教室は皆さん揃っていて見事な演技で約3時間楽しめました。
公演は馴染みの曲も有りましたが、未就学の女の子が真剣に踊る姿が可愛く又、
中には80歳を超す方も居るとの事でしたが、全然判らなく皆さん若々しく踊って
流石と思いました。
14時半から17時半まで楽しみました。藤沢へ出て、藤沢郵趣会の藤沢市市政
70周年記念切手展を見学します。
医療関係のコレクションや70の数字だけを集めた展示物、藤沢の歴史を回顧する
切手のコレクションを見学しました。
一日、殆ど家の外で過ごしました。
10月24日 曇り空です。
久々に一日家に居てのんびりしました。最近、心の中も曇り空で今にも雨になり
そうです。早く晴れて貰いたいものです。
人生長く生きていれば、誰でも晴れの日も曇り空も雨の日もあります。
それを乗り越えて行くのが人生です。頑張ります。