ヤジのひとつも飛ばさないと男がすたるのか?

2015年02月20日 | 日記
 安倍総理が昨日の国会で、民主党の議員が質問に立った際、うるさくヤジを飛ばして、委員長からも注意を受けたとか…

ネット上で失望の声が広がっているということです。

またか。と思った人も多いかも。

下品で教養に欠ける人(総理大臣だけど)と言ってしまえばそれだけなんだけど、その人が総理大臣であることはちょっと脇に置くとして、下品で教養に欠けるだけで済む話でもないかなと思ったりもする。

人が話をしているときにヤジを飛ばすことを、恥ずべき行為と思っていないだけではなく、なにかカッコイイこと、武勇伝のひとつぐらいに思っているのではないのか?

日本には、据え膳食わずは男の恥とかいう、しょうもない考えがあるが、もしやヤジのひとつも飛ばせないような人間には国会議員など務まらぬとでも思っているのが日本の政治家なのか?

男は黙ってサッポロビールといかないものか。

口下手がけっしていいわけではないが、反動で小沢一郎氏が好もしくみえてしまうじゃないか。

安倍総理がどこにだしても恥ずかしくない人間ではないことはわかりきったことだが、そんな安倍総理をいっしょうけんめい支えている人たちって…

選挙のときに足や時間を使って票取りに奔走する支持者をなだめすかして、大反対していた政策を取り入れて、安倍総理を持ち上げて神輿を担いでいるのは誰だ?

ひとりの支配者とは独力で支配を維持しているのではなく、周囲には幾人かの取り巻きがおり、その取り巻きたる追従者らが支配者に取り入ることで圧政のおこぼれにあずかる。

1530年にフランスで生まれ、14歳で裁判官になったラ・ボエシが16~18歳の時に書いた『自発的隷属論』の中に書かれている言葉である。

たかがヤジだが、暗い話題である
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英語教育の早期化は英ぺを作り出すことが目的ではないはず

2015年02月20日 | 日記
小さな子どもが英語を学ぶ意義はどこにあるのだろうか。

町の図書館では、月に一度国際交流員の人が幼稚園児~小学生を対象とした英語の本の読み聞かせをしている。保育園・幼稚園の年長クラスでも行っている。

私は5歳の娘を連れて3回ほど参加したことがあるのだが、どの子も英語の単語をよく知っている。絵を見せるとちゃんと、「エレファント」「マンキー」「ラビット」などと答えるのである。(この程度は日本語の延長なのか?)

だが、少しでもフレーズになると、全く反応しないのである。ポカーンと口を開けた状態から退屈なのでモソモソ動き出すまで時間はかからない。交流員は日本語が話せるが十分ではない。周りの母親たちは子どもを静かにさせようとはするが、交流員を手助けするまでには至らない。

国際交流員の任期は1年である。

どこの自治体もそうなんだろうか?1年てあまりにも短い気がする。交流員は「日本で働いたことがある」という経験にはなるだろうが、1年でできることは少ないし、交流員への援助も手薄だと思う。いくらもらってるのか知らないが、予算の無駄遣いのように思える…

どこの自治体もやっているから、予算がついているから、以外に理由があるのだろうか。

小学生の英語必修化に関しても賛否両論あったが、結局3年生からですか?始まってますが、これだって、予算の無駄遣い、国語の授業を増やした方が子どものためになる…なんてことになってるんじゃないですか?

図書館の子ども向けのコーナーに、「世界のともだち」というシリーズがあります。パレスチナとインドのを読んでみると、パレスチナの10歳の女の子は、キリスト教系の学校で、国語(アラビア語)の他に英語とフランス語も習っています。(他の学科は算数、科学、社会、地理となってます)インドの男の子は新興富裕層で、有名な私立校に通っており、英語とヒンディー語を習っています。ユニークなのは暗算の学科があることです。他にも環境・地球科学という学科があって週5時間も費やしています。この男の子はパンジャブ地方の出身なのでパンジャブ語も話しますが、一番得意なのは英語だそうです。

なんか彼我の感強し…

グローバル人材育成のためとか、英語できちんと自己主張したりコミュニケーションを取ったりできるようにするため、とかが英語早期教育化の理由だったような気がしますが。日本語が先だろうとか、主張するだけの考えがないんじゃ英語を話せたって意味ないだろうとか、という反論もありましたね。そう言いたくなる気持ちもわかります。

英語がペラペラという表現があるとおり、日本人にとって外国語というのは、ペラペラっとしゃべるのがかっこいいという軽薄さがどうしてもあるようです。発音の悪い人やカタカナ英語っぽい人は中身以前に英ぺとは認められていなかったりします。

小学校でどのような授業を行っているのか知りませんが、英語を話す人はどこに住んでいる人なのか、どんな人種・民族の人なのか、その人たちはどんな肌の色をしているのか、どうして英語ではそのように表現するのか、そういったことを教えることこそが英語教育の意義だと思います。小さいうちからネイティブイングリッシュに接してればたしかにカッコ悪いジャパニーズイングリッシュじゃなくてカッコイイほんものっぽい英語を話すようになるかもしれませんが、日本人が目指しているのはそういうことなのでしょうか?

わがやの5歳の娘は、ユニセフのカレンダーに写っているアフリカの男の子を見て「この子、黒いお顔やね。どうして肌色じゃないが?」と聞いてきます。自分の肌の色が肌色だと思ってるんですね。間違いではありませんが…そのとき疑問に思いました。絵の具の「肌色」って、外国ではどのように表現されているんだろうって。娘に肌の色について説明はしてみましたが、わからないかんじでした。

せっかくの英語教育ですから、教える先生もその意義を考えて、自分なりに工夫して楽しんでやってもらいたいです。

子どもの中に流暢に英語を話す子がいたからってひるまないでほしいです。英ぺを目指すのが目的ではないのですから。負けるな先生。
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