がんは治っても人は死ぬ。すっかり忘れていました、このことを。

2015年02月02日 | 日記
今年はがんについて学び、がんについて知ることを目標にいろんな勉強会に参加したり、本を読んだりするつもりです。

本屋さんや図書館に行くと、がんに関する本が山ほどあり迷ってしまいます。がんの本についての本もあり、ほほーっと思いました。

最初はなるべくハードルを低くして(いずれは高くするつもり…)簡単そうなささっと読めるものにしようと思い、縦12センチ横13センチのポケット本のようなのを選びました。

1冊目は東大病院放射線准教授・緩和ケア診療部長の肩書を持つ中川恵一さんの『がんのひみつ がんも、そんなに、わるくない』にしました。

2007年に出版されたもので、ちょっと古いのですが、字が大きくて、太字もいっぱいだったのでさっそく読んでみました。

ネットで著者を調べたら、御用学者だの、福島第一原発の放射線に関してデータを無視してデタラメばかり言っているとか、悪いうわさがいっぱい出てきました…

そういう人の本も読んでみないとね!!

「がんのひみつ」と言ったところで、知っている人(患者さんやその家族、医療従事者など)は知っている一般的なものだそうです。ただ、知らない人が非常に多く(ほとんどの日本人は知らないらしい)そういう人にとっては、「ひみつ」になってしまった「がんのホントのはなし」が書いてあるということで、がんについて全く知らない私には「そうなんですか!!」というものがほとんどでした。

日本人はがんのことを知らなすぎる。

知りませんでした、全然。欧米人は日本人よりはよく知っているらしいです。

がんは40代以降に増える長寿ゆえの病気なので、平均寿命の若い国の人はがんになる前に亡くなるので詳しくないみたいですが。

長寿大国であり、2人に一人がなる病気にしては知られていないということですね。

なぜ日本人はがんを知らないのか?

それは、日本人が永遠に生きる錯覚に陥っているからではないか、というのが中川さんの推測です。

今の日本の社会には、死を認めないムードがあり、生活や意識から排除されている。患者さんの闘病記はテレビなどで人々を感動させる一方、死そのものは日常からきれいに拭い去られている。自分の死を意識しなくなった大多数の日本人にとって、がんは他人事なのかもしれない。有名人ががんになると大騒ぎをするのは、死を忘れていたことを補うかのようにその時だけ死を思い出すからである。

中川さんは、平安時代末期から鎌倉時代の歌人・西行が詠んだうたを引用しています。

願わくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月の頃

満月の頃、春の桜の花の下で死にたいものだ…という意味か?

特に死に臨んで詠んだわけではないということなので、常に死を身近に感じて生きていたということなのかな…

中川先生、けっこうロマンチストですね

私がこんなものに心惹かれるのは、普段それだけ死を意識することがないからなんです。祖父母や母、友人・知人が亡くなっても、それをわがこととして引き寄せて考えることができず、どこか他人事然としていて、だから「悲しい」「さびしい」といった一般的な感情しか湧き出てこないのかもしれません。

がんが治っても人は必ず死にます。人間の死亡率は100%なのです。がんを通して人生を考えることが、よく生き、よく死ぬことにつながるのです。

私たち日本人は死なないと言う幻想を持ち、がんから目を逸らしている。死ぬ気がなければがんの話は耳に入らない。

中川先生、いいこと言ってます。

がんは治っても人は死ぬ。すっかり忘れてた
コメント
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