Heal-log

つれづれなるままに。

殺生。

2005年08月16日 | つれづれ
夕暮れ時、寄ってくる蚊を手で払っていた。

殺生はいけない。
特に、お盆に殺生をするのは絶対にいけないらしい。

これは友達のお母さんの受け売りで、私自身がそう言われて育った訳ではないけれど、何故だかとても印象に残る言葉だ。
その友達が言うには、お盆のお墓参りの時に、ヤブ蚊を叩こうとしたお父さんにお母さんは一喝したらしい。
「お盆に殺生したらあかん!!!」

それを聞いた時(確か授業中だった)一家を知っている私は、その光景が容易に想像出来て、大いに笑ったのだけど、それは忘れられない言葉として自分の中に残った。

考えてみれば、この手の昔ながらの教訓というものを、私は親から聞かされたことはない。
勿論こういう仏教的な概念とか、今だったら迷信と言われてしまうようなことは教えられた。
ただ知識として、客観的に。
だから、実感をもって発せられた「お盆に殺生はあかん」という言葉が心に残ったのだろう。

知識として知っていることと、実感として教えられたことは、多分違うと思う。
きっと私は将来、自分の子どもにそう教えることはしないだろう。
そして彼女はかなりの確率で、子どもに「お盆に殺生はあかん」と言うような気がする。
でも、そうやっていろんな形で昔ながらの教えが伝えられていくのは、悪いことではないと思う。少なくとも忘れ去られてしまうよりは。

それにしても、確かに無駄な殺生は良くない。
たとえ蚊であろうとも。
一寸の虫にも五分の魂、と言うし、もっと自分勝手な立場に立つなら、蚊を潰しさえしなければ、そいつが自分の血を吸っていた事実も知らなくて済むのだから。

ハイウェーカード。

2005年08月15日 | つれづれ
来月15日でハイウェーカードの発売が終了するらしい。
来年の4月で使えなくなるらしい。

寝耳に水。

遂に営業車にETC導入か。

普段から毎日真面目に仕事をしていれば、別に何でもないのだろうが、「ゲートをくぐった時間が記録される」のは、割と厄介な事態ではないか。

さしあたって、明日からもっと真面目に働こうと思う。

栞と短編小説。

2005年08月14日 | 読書


イタリアで買った栞が、ようやく役に立つ時が来た。
あまりのキレイさに一目惚れして買ってしまったのだが、

1.文庫本に使えない。
2.多くのハードカバーには栞(糸のやつ)がついている。
3.多くの本では続きが気になって仕方がなく、栞には注意を払わない。
4.この存在自体を忘れていた。
といった理由で、これまで使わなかったのだ。

その点、先日買った小説はなかなか良い。


村上春樹氏の短編集。
アメリカで出版されたのと同じものの日本語版だ。
既に読んだものもあるけれど、なかなか新鮮。
私が好きな、村上文学の雰囲気も文体も、長編と大きく違わない。
栞もついていないし、短編だから、栞を見る余裕もできる。
他の本とチャンポンで読んでも、頭が混乱しないのも良い。

私は結構な活字中毒で、特に夜は何かを読まないと良く寝られない。
けれどもそれが長編だと、結局夜を徹して読み続けてしまうハメになる。

短編はあまり読まないが、夜の一冊としては良いものだと思った。
スッキリして寝られるし、本は長持ちする。
枕元に置くので、多少シワになりやすいけれど(寝相が悪いらしい)。

ともあれ、今夜も一話読んで寝よう。
シェエラザードが我が家にもいればいいのに。

花火、時々ホームシック。

2005年08月13日 | つれづれ
友人宅に招かれて、さいたま市の花火を見た。
マンションの屋上ということもあって、自宅で見るよりも、とても綺麗に見えた。

友人のお母さんの手料理と、少しのアルコール。
妙に花火事情に詳しい子が「あれは10号玉」とか「あれは蜂」とか言う説明を聞いたり、大きく上がった玉の値段を予想したり、ハート形花火を散々見逃したり。
色気があるとはとても言えないけれど、楽しい時間を過ごせた。

この街の花火を見るようになって3年。
最初は余所者気分で見ていたけれど、いつの間にか東京湾花火よりもこっちに照準があっているから、不思議なものだ。
立派な埼玉県民になったものだと思う。


とはいえ花火の日取りを覚えているのは、未だに「琵琶湖」であり「枚方」だ。
今日は特に、友人宅の一家団欒を目にしたからか、仲の良い別の友人が帰省中だからか、ちょっとしたホームシックだ。
普段は実家に寄り付かないくせに。

そう言えば、先日の高校野球で、埼玉ー大阪というカードがあった。
私は大阪を贔屓にしていたのだけれど、周りはこぞって埼玉を応援していた。
そんな当たり前のことに、今更少しびっくりした。

立派な埼玉県民になるのは、まだ先かもしれない。


非常口。

2005年08月13日 | Weblog
万国共通のこのマーク。
扉から走り去ったあとのことを考えたことはなかった。

気をつけねば。

夏の嵐。

2005年08月12日 | つれづれ
夕方から「大雨洪水警報」が出ている。

だいたい警報というやつは大げさで、実際には何も起こらなかったりすることが多々あるけれど、今晩の嵐はかなり「本気」だ。
バケツをひっくり返したような豪雨に、派手な雷。
仕事を終えて、会社に戻った時間がピークだったような気がする。

「私は雨に遭わない人なんですよ」
心配して帰宅を促したお客さんに豪語したことを後悔した。

仕事では車を使うので、濡れることは少ないと思う。
けれども、そこには大きな落とし穴があって、それは駐車だ。

毎日運転するようになって3年目。
未だに私は、窓を開けずにバックで駐車することが出来ない。

という訳で、今日も会社と自宅、2回ほど頭から水をかぶる羽目になった。

右のサイドミラーはどうやって見るものなのか。
週明けに上司にでも訊いてみることにしよう。

8-1-1。

2005年08月11日 | つれづれ
同期が会社を去ることになった。

入社4年目なのだから、別に珍しいことではないと思う。
最初は130人いた同期も何時の間にか100人を切ったが、ペース的にもきっと「そんなもん」なのだろう。
けれども、130人のうち同じ部署に配属されたのは8人だけで、その中の一人が抜けるのは、やはり少し淋しい。1年前に一人が辞めているだけに。

学生時代のクラブ、バイト、そして仕事。
組織があれば、退く人と残る人が出てくるが、私はいつも残る人だ。
残る方にもそれなりに考えることや辛さはあるけれど、辞めようかと悩んで行動に移す方が、何倍も大変だと思う。

彼女が少しばかり「しんどい」立場にいることを知らなかった訳ではない。
エリアやオフィスが違っても、顔を合わせる機会がなかった訳でもない。
何より、彼女が悩み事や不満を吐き出すタイプではないと知っていた筈なのに、どうしてもっと早くに話をしなかったのだろう。
少なくとも、次の職場を決めるまでは引き止められたのではないだろうか。

いつになく雄弁で饒舌な電話の声を聞きながら、そう思った。
勝手な良心の呵責だとは解っていても。


彼女と初めて出会ったのは、入社する前の年の夏だった。
当時私は内定を受けるかどうか迷っていて、内定者懇談会で同室だった彼女に相談したことを覚えている。
今の会社に入ることを決めた理由は沢山あるけれど、業種と同じ専攻を持つ彼女のアドバイスの影響は大きかったと、今でも思う。

「一緒に働けたらいいねo(^-^)o」
京都に帰った私の携帯に入ったメールがとても嬉しかった。

そんな彼女が、納得のいく新しい職場を見つけて元気を取り戻すことを、心から祈っている。

詰めが甘い。

2005年08月10日 | つれづれ
温泉でふやけている間に、最重要事項を忘れていた。

せっかく集めたセブンイレブンのキャンペーンシールを、交換するのを忘れていた。

自分一人ではなかなかシールが集まらず、上司や先輩のランチを、セブンイレブンに強制するという暴挙にまで出たのに。
なんて詰めが甘いのだ。

という訳で先ほどから、シール台紙を目の前に、多少呆然としている。

今月のスープ皿は既に30点が集まった。
今回こそは、さっさと交換して来ようと決心している。

凹。


数字のセンス。

2005年08月09日 | 読書


誰が何と言おうと、数学は難しい。
数学が出来ないお陰で、人生の選択肢は1/4くらいに狭まっていると思うけれど、どれだけ努力しても解らないのだ。
いや、どちらかと言うと努力する気にもなっていないのが現状か。

人生には、多分どう足掻いても回避出来ないものが幾つかあるけれど、その一つが数学だと思う。

大学に入っても、必修科目に統計学。
会社に入ろうと思えば、筆記試験に数学。
キャリアアップしたければ、今の職種ではまたまた統計学。

そろそろ努力をする時なのだろうか。

今日は会社でレクチャーがあったのだが、その中に統計学が含まれていた。
大の苦手分野。
けれども、その内容は拍子抜けするほど面白かった。
教えられた演習問題をやり直したいと思うほどに(やり直していないが)。

簡単なことを難しく言う人は多いけれど、難しいことを簡単に表現出来る人は少ない。
今日の先生は、間違いなく後者に属すると思う。

そういえば冒頭の図書「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」を読んだ時もそう感じた。
これは会計学の入門書なのだが、著者(文学部出身!)の文章力のお陰か、奇跡的に読破できた一冊である。

「数字に弱くても、数字のセンスを磨けばいい」と著者は書いている。
磨くべきセンスがあるのかはこの際無視するとして、考え方を変えるには良い本に出会ったと感じた。

やる気を出させる2つの出来事。
差し当たって明日は、会社でホコリをかぶっている統計学の本を持って帰って来よう。





湯治。

2005年08月08日 | 


昨日と今日で、修善寺はあせび野に行ってきた。
予約を入れたのは4月。辿り着くまで長い道のりだった。

昨年から「伊豆市」となった修善寺は、入社時の研修で2ヶ月間の合宿をした町だ。
駅前は3年前と全く変わっていなかった。
ダイエーマークなのに「セイフー」という名のスーパーも、一軒しかないカラオケも。
当時、蕁麻疹が出るほど嫌だったラフォーレ修善寺へ連れ戻される送迎バスも、そのまま。
けれども、そのバスを懐かしく思える自分がいた。

今回は、幸いラフォーレへの旅ではないので、一路あせび野へ。
駅から30分ほどの距離なのに、気温が違う。
チェックインの14時半までは1時間ほどあったが、直ぐに手続きを行ってくれた。


ウェルカムドリンクとお菓子が嬉しい。

この宿を有名にしている理由の一つは、ホテル的な客室と部屋付き露天風呂である。
今回は和洋室の「花の蔵」を選んだ。


温泉宿にベッド、意見が分かれるところかもしれないが、なかなか快適だ。
昼間っからゴロゴロできるし、お布団を敷く時に机が隅っこに寄せられてしまうこともない。
写真を撮ったあとは、勿論ベッドに倒れ込んで思う存分ゴロゴロした。

テラスには、露天風呂。

この横にはデッキチェアが置いてあって、くつろげる仕組みだ。
ただ今回は、このお風呂の湯温が高すぎて、殆ど入れなかったのが残念。
あせび野ではこの他に、貸し切り風呂が3つと大浴場がある。
貸し切り2つと大浴場に行ってみたが、こちらの温度は絶妙だった。

伊豆といえども修善寺は山なので、景色は緑一色。

眼下に川も流れているので、まさにマイナスイオンの宝庫だった(筈だ)。


1泊2日過ごしたこの宿を「素敵だな」と感じた理由は、計算された建築や洗練されたインテリアだけではない。
前もって苦手な食材を訊いてくれるところや、他のお客様とあまり顔を合わせなくて済む配慮などのホスピタリティがとても光っていた。

真夏なのに、とても涼しくとても静か。
「8月の温泉」もなかなか良いものだと発見した週末だった。

暦の上では秋になった。
けれども戻ってきた修善寺駅は、まだまだ暑かった。

おかしなネーミングセンスのお土産品で、俗世と日常への準備運動をしつつ(結局買っていないけれど)残暑を乗り切ろうと考えながら、帰路についた。