羊日記

大石次郎のさすらい雑記 #このブログはコメントできません

いつかこの恋を~ 6

2016-02-10 22:28:14 | 日記
「私、バスで寝ちゃってから記憶無いんだけど?」誰に施設まで運んでもらったかわからない音。「井吹さんじゃない?」船川は当てずっぽうに答え、音はボンヤリと桃缶を見ながら「そっか、お礼言わないと」船川の言葉を鵜呑みにした様子だった。
練がバスで乗り合わせた客の今夜は冷えるという話を聞いていた後で、朝陽は雪が谷の電気屋にふらりと来ていた。安い電気ストーブはもう売れたという店員に、朝陽はさほど構わず、適当な電気ストーブと加湿器を購入した。「お邪魔しまーす」買ったストーブと加湿器を手に音の部屋に上がる朝陽。「ここわかりましたか?」「隣のお兄さんが、ここですって教えてくれて」「隣のお兄さん?」どの場面の隣か? やや困惑する音。朝陽はストーブと加湿器に電源を入れた。特に説明は無いが省エネ設計の音でも電気代が支払える物と推定される。また買ってもらうこと自体、音はもう特に拒否しなかった。 ストーブに暖まり微笑む音。「よし、人間の住める部屋になった。じゃ、帰ります」「ありがとうございました」手をついて礼を言う音。
「何かあったらいつでも電話して」去り際、ふと机の上の描きかけの入所者のイラストの描かれたノートを見付ける朝陽。「これって川村さん?」「それは見なくていいです!」慌てる音はノートを取り返そうとしたが、朝陽は渡さずさらにノートを見た。柔らかいタッチで精密に多数の入所者がイラストが描かれていた。「絵、描けるんだ」「描けないですっ。子供の頃から好きだっただけで」恐縮する音。「これだけ描けるし、画家とかイラストレーターとかそんな道に進みたいと思ったことはないの? ウチなんかでコキ使われるより違う可能性があったのかもしれないよ? 夢とかなかった?」何気に問う朝陽。「夢?」「皆、あるじゃない」「いやぁ、大変そう」
     7に続く

いつかこの恋を~ 7

2016-02-10 22:28:06 | 日記
「夢って、大変なモノなんだよ」真面目に話し出す朝陽。「捨てようとしても捨てられない。心に絡んで取れなくなる。それが夢。自分の夢に潰される人間だっている」桃缶を見詰める音。「病人にする話じゃないか?」笑い掛ける朝陽。「井吹さんにも夢とかあるんですか?」「あった」記者だった頃の雑誌を取ってある音。「才能あると思うんだけどな」音のノートを見ている朝陽。「もし夢があったとしたら、私はもう叶ってます」「介護の仕事?」首を振る音。
「自分の部屋が欲しかった。自分で仕事を持って、自分のお金で、その日食べたい物を食べて、自分の部屋で自分の布団で眠りたかったんです。これ、ずっと欲しかった生活なんです」「そっか」ノートを閉じて机に置く朝陽。「帰るよ」立ち上がる朝陽。「私、変なこと言いました?」「うん? そしたら僕の夢もまだ続いているのかもしれない」玄関まで送る音。「なんですか?」「あの人とちゃんと話せるようになること」朝陽は仕事中とは一転、ブランド靴を履いた。「ありがとう。早く元気になって」「はい」朝陽は出て行った。
実家で寛ぐ木穂子は明後日東京に帰るという、自宅で電話している練は仕事が遅くなると言い「鍵、二個あるから。郵便受けに入れとく」とも言った。「木穂ちゃん、そのまま持ってて」「うん、うん。部屋で待っとる」木穂子泣きそうになっていた。
「劇団松ぼっくり公演やってまーすっ」小夏が入っていた劇団が街頭でチラシを配っていた。もう晴太が勧めた物ではないコートを着た派手な格好の小夏がそこへ通り掛かり、劇団員の姿にギョっとして、以前のような過剰なグルグル巻きではないマフラーで顔を隠すようにやり過ごそうとしたが、足元に捨てられた劇団のチラシに気付き足を止め、ずっと手に持って歩いていた件のモデル事務所の
     8に続く

いつかこの恋を~ 8

2016-02-10 22:27:57 | 日記
名刺を不安気に見詰め、振り切るようにまた歩き出したが「モデルとか、小夏ちゃんには向いてないと思いまーすっ」晴太が劇団員の口調を真似て、おどけて目の前に現れた。「うるさいっ」小夏はムッして言い返し、通り過ぎようとしたが「ああっ、ちょいちょいっ」晴太に腕を取られた。拍子に通行人にぶつかりそうにもなり「すいません」軽く頭を下げる小夏。「ねぇねぇ、今からバイクで、一緒に温泉行かない?」唐突に誘う晴太に一瞬呆気に取られる小夏。
「なんであたしが晴太と温泉行かなきゃ行けないの? あたしのこと好きなの?」からかいに返すノリで小夏は言ったが「うん」晴太があっさり応え、軽く驚く小夏。「うん、って」呆れる小夏。「うん」半笑いをやめ、真面目にもう一度頷く晴太。小夏はやや首をすくめて、じっと晴太を見詰め返し、顔を背け、早足に歩き出し、すぐに立ち止まった。「向いてないのくらい、知ってるよ!」振り返った小夏。「なんでもいいから、違う自分になりたいんだよっ。どこにでもいる子になりたくないんだよぉ!」晴太に強く訴える小夏。「どこにでもいる子になりたくない子って、どこにでもいるよ?」小夏に歩み寄る晴太。言い返せず、悔しげに子供じみた仕草で晴太を突き飛ばす小夏。「おっ!」よろめかされ、ため息を吐く晴太。小夏は小走りに去ってしまった。
引っ越し業務で移動中、佐引は私立幼稚園の傍でトラックを停めさせた。降りてゆく佐引。加持に促され様子を見にゆく練。幼稚園に息子が通っているという。フェンス越しに何度も跳び跳ねて中の様子を見ようとする佐引。「どれですか?」「どれって言うなっ」佐引が軽く蹴って練にツッコみつつ、二人でちょっと楽しそうに跳び跳ねて中の様子を見ていると、佐引の息子が出てきた。「おい、龍太」声を掛けようとした佐引だったが元妻が背広にコートの男と続けて園から出てきた。
     9に続く

いつかこの恋を~ 9

2016-02-10 22:27:49 | 日記
仲良さげな3人。気まずそうに去ろうとする佐引だったが、龍太が佐引に気付いた。「パパ!」「ちょっとごめん」立ち止まって振り返った佐引に、元妻は龍太をコートの男に任せ、佐引の元に険しい顔で歩み寄ってきた。「なんですか?」「入学金」「瀬野さんに出してもらうからいらないって言ったじゃん?!」「そうだっけ?」うんざりして去ろうとする元妻。「ごめん、行こう」元妻と龍太と瀬野という男は龍太を真ん中に三人で手を繋いで歩き出した。「バイバイ」一度、母の手を離し、佐引を振り返って手を振る龍太。佐引は笑顔を作って手を振り返した。
仕事に戻った佐引は、今度は客のアクセサリーケースの指輪を盗もうとしていた。「佐引さん」目撃した練はもう直接名前だけ呼んで制止した。佐引は指輪をそのままポケットに入れようとしたが、練が駆け寄って腕を取った。目を見て首を振る練。佐引は頷き、指輪をポケットから出して置き、練の肩を軽く叩いたが、そのまま胸ぐらを掴み「舐めてんのかお前っ?!」窓の開いていたベランダに押し退け出した。「俺はな、小室哲哉のブレーンだったんだよ!」柵に練を追い込む佐引。
「佐引ちゃん、戻ってきてくれよって毎日電話掛かってくんだよ?! 舐めてんのかっ!! なぁ? なぁ?! なぁ!!」抵抗する練。「田舎帰れっ!」壁際に押し返す練。「帰りません!」「こんなこと続けても、なんにも変わらねぇぞ?! 金なんか貯まんないぞ?! 一生このまんまだぞ?!」揉み合いを一旦やめる二人。だが、すぐに佐引が練の胸ぐらを掴み直し、引き寄せた。「おめぇも俺みてぇになんだぁっ」練の目を強く見る佐引。「諦めろっ」動揺する練。「ちょっとどうしたんッスか?」そこへ加持が来て「愛し合ってたんだよ、バカ」と佐引は練を適当に抱き寄せ、冗談にして済ませた。
    10に続く

いつかこの恋を~ 10

2016-02-10 22:27:39 | 日記
「君だったら、すぐに色んな雑誌からオファーがくるよ」小夏はマンションの一室にあるらしい件の晴太が聞いたことも無いモデル事務所に来て、既に受かれた様子で子供っぽいポージングで宣材写真を多数撮り終えていた。ノートPCの画面上には無邪気にピースしている小夏の画像。「ちょっと待ってて、契約書取ってくるから」「はいっ」応接用のソファに座っていた小夏は嬉しそうに返事をした。コートは取って脇に置いていた。ニンマリとしていると、コートのポケットの中のケータイに着信が入った。出ると画面に表示されたのは『母ちゃん』という登録名。母からの電話だった。小夏は気まずそうにケータイを閉じて鞄にしまってしまった。
「お待たせぇ」事務所の男が不動産書類を持ってきた。「不動産?」戸惑う小夏。「君が住むマンションね、これがぁ」「えっとぉ」「はぁっ?」急に声を荒げる男。男の顔を真顔で見る小夏。すぐに目が泳ぎ、書類を触り始めた。「あっ、いやその、マンションって私が契約するんですか?」「皆、そうしてるよ?」「私、お金無いんですけど」「それは一時的にこっちで負担するから」ようやく事態を把握してきた小夏。「私、借金するってことですか?」「モデルになると、たっくさんお金が入ってくるから」目が潤み出した小夏は鞄の紐を肩に掛け、作り笑いをして「お母さん、電話してきても」コートも取り、席を立った。男は掛けていた眼鏡を押し上げた。
肩を竦めて部屋を出てゆこうとする小夏の前に男達が立ち塞がった。後ろに逃げようとするが、後ろには眼鏡の男がいる。追い詰められた小夏。ここでチャイムが何度も鳴った。眼鏡男に腕を取られ後ろに下がらされる小夏。「うわっ?! あっ」チャイムは続き、男達の一人が出た。何か甘い物を食べながら笑って、事務所のドアから顔を出したのは晴太だった。
    11に続く